日本科学未来館にいってきた

感想をつらつらと記入したいと思う。

・落合陽一計算機自然
なるほど、計算機というものと自然の境界が分からなくなることをうまく科学的アプローチでアートとして消化している。テーマとしては、人の曖昧さと、人が計算機であることをうまく科学を使って表現している。
目は視覚情報から得られていることをうまく使ってまるでカルタが置かれているように作られた作品にはまんまと騙された。
デジタルネイチャーの世界を表現した世界、アート作品として素敵だと思った。シンプルに好きな印象だ。蝶を本物と偽物に分けたアプローチは、計算で作り上げた人工と自然の見分けがつかない世界が現前しつつあることを見せつけられる。蝶を電磁誘導で羽ばたかせるアプローチは面白いと思った。あれは半永久的に起こるのだろうか。
5つの観点で過去から未来にかけて進化を紐解く展示、歴史をシンプルに表現していて分かりやすかった。ただ機械の進化ではなく、それによって人々の生活がどう変わり、人々が何を感じるようになったのかを整理している点に、作者の人間としての当事者感が垣間見える。面白いなと思った点は、超未来社会、人のインプットアウトプットと機械のインプットアウトプットの区別がつかなくなり、受け手と作り手に機会が混ざること。まだ想像できないけど、確実に来るな。特に受け手が機械はどうなるんだろうと気になる。人の言う「価値」って実は曖昧で、誰かがその価値基準を作って、ある一定の人が信じるから価値が生まれる。還元できる価値が変わるのかな。
もう一つ、大切だと思ったのは、複雑な形のものづくりだ。自然の歪さを、そのまま残して作品を作ろうとすると、本来難しいが、計算機を挟むことで可能になると言うものだ。流木の建築や音階スペクトル型鉄琴はまさにその例だろう。一方で、風化や進化に計算結果を適応させ続けられないというのも事実としてありそうだなと思った。
今回、私の中の「自然と調和したテクノロジー」というテーマに1番近しいと思う「デジタルネイチャー」の世界をインプットしに行った。展示を見て思ったのは、落合陽一さんはやはり科学的アプローチだなと。科学が自然的振る舞いをする、区別がなくなる未来の示唆と、啓蒙を、現代の感覚に刺さる形で問いを作っている。私は何がしたくて何ができるのか?このデジタルからアナログと比較して世界を見るアプローチは、科学者でない私には進んでも意味がないだろう。


・コンピュータの仕組み
これすごくすごく分かりやすかった。
配列の初めに場所のデータ入れる、その後ハブでどっちに行くのかを配列で分類。それを何回か繰り返して相手に届く。
ボールっていう単純なものと、転がっていくのを追いかけたくなる心理で、直感的に仕組みがわかる。すごく分かりやすかった。

・未来逆算思考
ゲームっぽくすることで、未来を意識することを直感的に感じることができた。秀逸だなと思ったのは、未来までの道のりを凸凹にして、未来を見えないようにしていること。
凸凹の奥=未来の視点に立たないと、未来を見れないようにして、視点の変化を体で感じさせているのが上手い。さらに、やって終わりじゃなくて、ゲームオーバーしたらその世界の子孫から手紙が届いて、何でこうなったかを説明される。このプロセスが、まるで自分の子孫から言われているようで、占いを聞いて悪い道を避けようとするように、こうしては行けないんだと直感的に思わせるようになっている。シンプルだけど面白いアプローチだ。中学生辺りの子達が、わいわいと未来をみてゲームを攻略したり、メール楽しみに見に行ったりと、みんなででも1人ででも楽しんでて面白そうだった。

展示という手段で、サイエンスへの入りを面白く、楽しく、ハードル低く入ることができる。アートや、科学館という超入門なものの存在の大きさと、その手段の素晴らしさを改めて感じた日だった。

#日本科学未来館
#サイエンス
#量子コンピュータ
#デジタルネイチャー

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