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「自然と学ぶこと」と「教育」

これは、とある授業でうちの教授が話していたことである。

私がずっと覚えている情報のひとつは、ある講義の中で、目を見張るような出来事があったことです。

プレゼンターが車のキーを掲げて尋ねたのです。

「何が見えますか?」

私たちは車のキーと答えました。

すると、司会者は車のキーを回して尋ねました。

「今、何が見えますか?」

「車のキーです。」

そして、逆さまにした。

「今度は何が見えますか?」

「まだ車のキーです!」

こうして、赤ちゃんは生まれたときから、どんなものをどんな風に回しても、どんな面から見ても、同じものであることを学ぶのです。

そして学校に入ると、文字や数字に関しては、この概念が通用しないと言われるのです。

彼らからすれば、「えっ、そうなん聞いてない!」って気持ちだと思います。

次に司会者は、透明なシートを手に取り、太いマーカーで「d」を書きました。

そして、それを手に取り、問いました。

「何が見えますか?」

「d 」

ではそれを右から左へ回してまた尋ねました。

「何が見えましか?」

「b」

そして、上から下へめくってみました。

「今度は何が見えますか?」

「p 」

それから左から右に回しました。

「今度はどうでしょう?」

「q」

どうでしょう?さて、多くの子どもたちが、dとbの読み書きを最も苦手とし、それらを混在させてしまう理由がお分かりいただけたでしょうか?

あるいは2と5、これもよく似ている。あるいは3や8もそうです。

だから、私たちの生活の中にある他のどんな物でも、どの面から見ても、どのように描いても同じであるにもかかわらず、Sという文字や数字の3は正確に正しい方法で書かれなければならないと主張するのです。

さらに混乱させるために、FはほとんどEに見え、fはtに見え、Iとlは同じ(一方は大文字のi、一方は小文字のL)である。

特別支援教育では、子どもたちは小文字から学ぶべきだと考えています。

小文字は難しい上に、より一般的に使われているからです。

また、私たちの携帯電話や最近のパソコン、Chromebookのキーボードがすべて小文字であることに注目してください。

学習障害のある人のために開発された特別なフォントもあります。これは、より斜めにカーブしているので、例えばd、b、q、pは互いに似ていないでしょう。

また、最近研修で知ったのですが、学習障害のある学生は、まず筆記体で書いたり読んだりすることを学ぶと、非常にうまくいくそうです。

筆記体では、1つの単語のすべての文字をつなげるので、読みやすくなります(ディスレクシアの症状の1つに、画面にタイプされた文章が、スペースもなく圧倒的な量の文字のように見え、分離した単語として非常に読みにくいというものがあります)。

また、筆記体の場合、書くことを止めないため、文字が混ざりにくく、反転しにくいのです。

Professor Jitka Nelb Sinecka

確かに言われてみれば、すごく良くわかる。

僕も沢山逆さ文字を書いてきた身なので、あの時のもどかしさや困惑をうまいこと言語化してもらったように思う。

そうそう、こんな気持ちだった!という感じだ。

最近学際性や交差性、批判的思考など考える機会が多くあり、この教授の話を聞きながら、示唆に富んでいるなぁと聞いていたのである。

というのも、【どんなものをどんな風に回しても、どんな面から見ても、同じものである】ということと、文明の利器である文字には【向き】があるということは、人間が学際性や交差性、批判的思考などの思考を会得する上で大事なステップであると思うからだ。

これらの思考はは様々な角度から考えてみるということを可能にしてくれる。

そして、様々な角度から考えてみるということは意識的に角度や向きを変えていかなければならない。

まさに、僕らは学校の中で自然の摂理からすれば異常なことを学ぶ訳だが、それそのものがトレーニングになっているという事なのだろう。

これまでも似たようなことを考えてきたが、ここまで言語化されたのはこの教授の話しのおかげだ。

故にここに記しておく。

今日はこのあたりで。


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