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医療人類学という分野に触れて

医療人類学を学ぶための60冊という本の序章にこんな文言があった

医療人類学は現地に深く入り込んでフィールドワークを行い、人々の話を聞き、行動を観察しながら記録し、医療にかかわる行為のバックグラウンドとなる文化ー例えばいのちの捉え方や身体の使い方ーも含めて探究します。
医療人類学を学ぶための60冊

この文章を読んで思ったのは自分が人類学という学問に興味もった意味と期待していること、そしてどのようにしたいかが少し明確になった気がするのでここに書き記しておきたい。

僕が社会課題に向き合う人をターゲットに当事者性について考えてみたいというのは、まさにこの医療人類学という分野で行われた上記のような調査をしたいということだ。

社会課題解決を試みる人たちの活動に深く入り込んでフィールドワークを行い、活動に関わる(広義の意味で繋がりがあるという状況を含む)ひとの話しを聞き、行動を観察しながら記録し、社会課題解決という行為のバックグラウンドになる文化や、更には社会課題が個人に、社会にどのような意味をもつのかについて探究したいということだ。

そしてこのようなカタチのフィールドワークを通して可視化されるモノに期待をし、この形態を取ることの出来る人類学という分野に興味を持ったということだ。


そもそも人類学という学問の視点はとても社会モデル的であると言えるでしょう。

その視点(手法)を医療という「医学モデル」的なものに当てて考えるというのもまた興味をくすぐるポイントでもある。

今の専門性は世界の捉え方を社会モデル的に捉えてみるというものなので、人類学とは相性が良い

またこんな一節も見つけた

 医療人類学は、生老病死や身体に関わる現象を主な研究対象とする。人は誰もが生まれ、老い、病気になり、やがて死ぬ。ただしその過程で体験することは、時代や社会によって異なりうる。例えば、病気になっときに原因を探る思考の方法や、病気を治そうとする方法。「老人」と見なす基準や、老いた人に接する方法、あるいは自身の老いと向き合う方法。死の基準や、死んだ身体を処理する方法。
 これらが私たちの生きている時代や社会でどのように行われているのかさえ、普段はあまり意識しないかもしれない。意識を向けて丁寧に見てみると、いろいろな発見がある。さらに、時代や社会による違いや、それらの背景にある宗教観や世界観にも視野を広げてみると、興味深い世界が開けてくる。身体やいのちをめぐる私たちの「当たり前」は決して絶対的で普遍的なものではなく、世界中に数多くある「当たり前」のひとつに過ぎない。そしてそれはグローバルな政治・経済の動きや科学技術の進歩にも影響されつつ、揺れ動き変化していく。
医療人類学を学ぶための60冊

僕が当事者の当事者性を概念として考えていくにあったってすることは多分医療人類学におけるフィールドワークの手法がとても良いと感じる。
(ちなみに理由はまだ言語化できない汗)

とりあえず、研究をするにあたってどの切り口から切り取るか悩んでいたが、一つの切り口を見つけた気がしてワクワクしている。

引き続き検討していきたい。

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