同性婚の是非~札幌高裁令和6年3月14日判決を素材にして

一はじめに

 同性婚の是非については、以前にも書いたことがある。どちらかというと民法739条や戸籍法74条の規定を憲法24条違反とするのは先鋭的な意見で地裁レベルでは一切認められていないし、比較的リベラルな人たちが多い憲法学者の中でもおそらく少数意見だと思われる。
 

 ところが、札幌高裁は真正面から24条と向き合い、文理解釈によらず合目的的に文言を解釈して、「両性」を当事者と解釈しなおして民法・戸籍法の違憲判断を下している。

 札幌地裁・高裁は昔からリベラルな判決を下すことで有名だけど、これほどとはな(笑)
 短期間で理論や議論が深化していってる気がする。



 同性のカップルなどが結婚が認められないのは憲法に違反するとして国に賠償を求める集団訴訟は、全国5か所で6件起こされ、これまで賠償を認めた判決はないものの、憲法判断は分かれており、「違憲」が3件、「違憲状態」が3件、憲法に違反しない「合憲」が1件となっている。
 
 高裁での判決は令和6年3月14日の札幌高裁判決が初めてで、令和3年3月17日の札幌地裁違憲判決の控訴審判決である。

 論点は、民法等において同性婚を認める規定を置いていないことによる区別取扱いが、憲法24条、13条、14条に反しないかである。憲法の条文には構造的な優劣があって、本来は個人的尊厳について規定する13条があって、それを受けて24条の規定の意味を考えるべきだと思う。高裁判決も24条と13条を行ったり来たりして趣旨をとらえづらい。
 ただ、本件で問題になっているのが婚姻の自由で、これを法律があってはじめて認められる制度的保障と考えているために、頭髪の自由みたいな人格的自律権と捉えられず13条違反が最初に論じられることがないのだろうと思う。
 しかし、のちに述べるように、婚姻制度がなくてもあえて法律上の婚姻を求める自由は人格的自律もしくは自己決定権として憲法13条で認めるべきだと思う。
 法律がないから権利として認めないという主張は一見正しいようにみえる。しかし、それは、多数決原理を意識的にせよ無意識的にせよ盲目的に信奉して、法原理機関としての裁判所の役割を放棄している。また、婚姻制度の意味をたんなる制度として矮小化してるようにもみえ、少数者の人権が踏みにじられている現状への認識が乏しい。

 刑法など国民への刑罰が問題となる法律は別として、法律の解釈、特に個人の人権を保障する憲法の解釈は訓詁学であってはならないと思う。
 

二 憲法24条1項違反について


1 問題の所在 

 24条1項は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と規定しており、「両性」「夫婦」との異性婚を前提とした文言を使用していることから問題となる。

2 学説の存在


(一)異性婚限定説
 この点につき、憲法24条の「婚姻」は、異性間の婚姻であって、同性婚を想定していないことから、同性間の婚姻の自由を保障していないとする見解がある(高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第4版』(有斐閣2017年)153頁。樋口陽一『憲法と国家』(岩波書店1999年)110頁。工藤達朗「憲法における婚姻と家族」赤坂正浩ほか『ファーストステップ憲法』(有斐閣2005年)153-154頁)。
(二)中間説
 これに対して、憲法24条が異性婚を想定しているとしても、同性婚を否定しているとまではいえないとする見解がある。(大野友也「日本国憲法と同性婚」月報全青司452号(2017年)13頁)。憲法24条が「婚姻は両性の合意のみに基いて成立」するとの趣旨は、旧民法に定められていた戸主の同意権の否定であって、同性婚の排除ではないことから、24条が同性婚を禁止していると解するべきとまでは言えないからである。この見解からは、24条が同性婚を法律婚とすることを要請していないことを前提に、同性婚に法的地
位を与えるか否かは法律に委ねられているとする立場や、憲法の他の条文
の解釈を勘案して同性婚に法的地位を認める立場がある。 (木下智史・只野雅人編『新・コンメンタール憲法』(日本評論社,2015年)288頁[木下智史執筆]。)

(三)同性婚許容説または同性婚保障説
 さらに、「当事者の合意(当事者主義)」「同権」「相互の協力」「個人の尊厳」「両性の本質的平等」という24条が「婚姻と家族に関して打ち立てた普遍的な原則は条文が許容する範囲内で、最大限人権拡張的に解釈されるべきであ」って、同性間の婚姻であっても24条が許容していると考えるべきであるとする見解がある。(中里見博「現代改憲論における家族条項改変問題」法律時報77巻9号(2005年) この見解は,憲法24条のみで同性婚を許容する論理を展開している。(井上嘉仁「憲法二四条は立法裁量を強力に統制するか──社会的ジェンダー構造の司法的統制に向けて」広島法学40巻3号(2017年)276頁以下)
 この見解は、今回札幌高裁が採用した見解に近いと言える。憲法を合目的的に解釈し、24条の婚姻のなかに同性婚も含めて解釈するのである。
 そして、24条は異性婚と同程度に同性婚を保障していると結論付けた。



 「法令の解釈をする場合には、文言や表現のみでなく、その目的とするところを踏まえて解釈することは一般的に行われており、これは、法人や外国人の人権が問題となる場合をはじめとして、憲法の解釈においてもかわることはないと考えられる。」「憲法24条についても、その文言のみに捉われる理由はなく、個人の尊重がより明確に認識されるようになったとの背景のもとで解釈することが相当である。」「憲法24条1項は、婚姻するかどうか、いつ誰と婚姻するかについては、当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解され」
「性的指向及び同性間の婚姻の自由は、個人の尊重及びこれに係る重要な法的利益であるのだから、憲法24条1項は、人と人との間の自由な結びつきとしての婚姻をも定める趣旨を含み、両性つまり異性間の婚姻のみならず、同性間の婚姻についても、異性間の場合と同じ程度に保障していると考えることが相当である。」

2024年3月14日札幌高裁判決


3 千葉勝美著 「同性婚と司法」岩波新書


同様の見解は、千葉勝美著「同性婚と司法」岩波新書でも示されている。


憲法の条文は、性質上、抽象的な規範を示すものが多く、その解釈においては、機械的な、あるいは辞書的で一義的な文言解釈しか許さないということではない

千葉勝美著 同性婚と司法 岩波新書


そのうえで、提案その一として24条1項の婚姻にも同性婚を含まれるとして保障の範囲内とする。札幌高裁判決はこの論旨に沿ったものと言えよう。

4 自説の見解


二 憲法24条2項違反について


1 はじめに


24条1項の婚姻のなかに同性婚が含まれないとして、同条2項「家族」に同性カップルを含むことは可能であり、現行民法の規定が24条2項違反に問われる可能性はある。

2 問題の所在 


 24条2項は「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と規定しており、1項を前提とした規定であるから、婚姻及びその家族に関する事項について制度化するにあたっての基本原則を立法に対して示した規定と考えられる。

そこで条文上規定される「家族」の意味が不明であるため問題となる。

3 判例の見解


  この点につき、最高裁は、

 憲法24条は,1項において「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」と規定しているところ,これは,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。……ある法制度の内容により婚姻をすることが事実上制約されることになっていることについては,婚姻及び家族に関する法制度の内容を定めるに当たっての国会の立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると考えられる。
 婚姻及び家族に関する法制度を定めた法律の規定が憲法13条,14条1項に違反しない場合に,更に憲法24条にも適合するものとして是認されるか否かは,当該法制度の趣旨や同制度を採用することにより生ずる影響につき検討し,当該規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たるか否かという観点から判断すべきものとするのが相当である。

夫婦別姓訴訟大法廷判決 最大判平成27年12月16日


 ここで示される家族像は、「社会の自然かつ基礎的な集団単位」としての「夫婦及びその間の未婚の子」や「養親子」から構成されるものである。ここからは、最高裁が同性婚のような形態を憲法上の典型的な家族ではないと捉えている可能性はある。

 

4 自説の見解



 しかし、家族のような多様な価値観を含む概念を社会通念として一律規定するのはもはや難しいのではないだろうか。一部の人たちが、子どもを前提とした男女の共同体として家族像を位置づけるのは自由であるとしても、法律が国民に対して「家族」のあり方を押し付けるのはもはや無理がある。法律が認める「家族」は子どもを前提とした男女の共同体しか認めない、それ以外の共同体は家族として法的利益を認めないというのではあまりにも狭量であり、国家としての価値観の押し付けにならないだろうか。
 「さまざまな人的結合があり得る現代社会において、国家が異性カップルという特定の結びつきにのみ法的承認を与えることは、国家による個人生活への統制を生じさせることになるであろう。」との指摘(榎透 「日本国憲法における同性婚の位置」 専修法学論集第135号)はとても重い。



三 憲法13条違反について



1 問題の所在


 同性愛者の婚姻の自由等の人格的自律権が憲法13条によって保障されているかについては、憲法13条の射程を狭く人格的利益説の立場に立っても、上記の自己決定は憲法13条の保障の範囲内となると考えるべきであるとされる。(榎 透 「日本国憲法における同性婚の位置」 専修法学論集第135号)

 では、法律が同性カップルに婚姻制度の利用を認めないことが憲法13条から許されるのであろうか。この点については、まず、婚姻制度がなくても自由にパートナー選択が可能な状況である場合に、あえて法律上の婚姻をする自由を憲法上の人権として認める必要があるか、という問題がある。
また、法律上の婚姻制度それ自体に利益が存在するのかという点も問題となる。

2 札幌高裁の判断



 これについて札幌高裁は「同性愛者が婚姻という制度の適用を受けられるかどうかについて検討すると、婚姻の制度は、法制度の一部として法律がその具体的な内容を規律しているものであるから、性的指向及び同性間の婚姻の自由に係る人格権の内容は、憲法上一義的に捉えられるべきものではなく、憲法の趣旨を踏まえつつ定められている法制度との関係で初めて具体的に捉えられるものであると解すべきである (夫婦同姓制度訴訟大法廷判決参照)。」として「具体的な法制度を離れて、同性間で婚姻することができないこと自体を捉えて直ちに人格権を侵害し、違憲であるか否かを論ずることは相当ではない。」とする。そして結論として、本件規定が13条に違反するとは認めることはできないとしている。

 婚姻の自由が法律という制度的保障を前提としている以上、憲法13条から導かれる人格的自律権を侵害しているとは認められないとして13条違反を否定する判断は、地裁も含め裁判所が一貫して採る立場である。

3 自説の見解


 しかしながら、同性愛者の婚姻の自由等の人格的自律権を憲法13条で認めながら、婚姻制度は法律上の制度であるから、同性婚を規定する法律がない以上法的利益は認められないとするのは、13条の趣旨を没却するするものといえよう。法律が規定されないがゆえに、婚姻の自由が阻害されているのであれば、それはとりもなおさず、13条が認める人格的自律権を侵害していると判断すべきである。




三 憲法14条違反

1 問題の所在


 24条2項は、婚姻及び家族に関する事項における立法裁量については、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して行使すべきであり、区別的取扱いに合理的根拠を有しない場合には14条1項違反となる。
 婚姻制度をどのように定めるかは、立法府の合理的な裁量に委ねられおり、性的指向に係る婚姻制度における取扱いの区別が、合理的理由のない差別的取り扱いに当たるか否かが問題となる。

2 平等原則違反とする立場 ~札幌高裁・札幌地裁・名古屋地裁

 札幌高裁は、区別取扱いの合理的根拠の有無について詳細な検討を加え、「異性愛者と同性愛者の違いは、人の意思によって選択・変更し得ない性的指向の差異でしかない」「性的指向に差異がある者であっても、同じように制度的な保障を享受し得る地位があり、それを区別する合理的な理由はない」と指摘して、本件区別取扱いには合理的根拠がないとして憲法14条1項に違反すると判示した。

 3 平等原則違反とはいえないとする立場 ~大阪地裁・東京地裁・福岡地裁


 これに対して、本件区別取扱いが平等原則に反しないとする立場もある。
令和4年6月20日の大阪地裁判決は「同性カップルへの法的保護については議論の過程にあり、異性カップルが享受する利益との差は相当程度解消され緩和されつつあるので、14条1項違反とは直ちにいえない」とする。

 令和4年11月30日の東京地裁判決も「憲法24条1項は異性婚を定めており、本件規定が同性婚を認めていないのは、1項の要請に基づくもので合理的根拠があり、14条1項違反とはいえない」とする。


4 自説の見解

元最高裁判事の千葉勝美氏は、平等原則の今日的意味について次のように述べている。


 「憲法14条1項は、法の平等を謳い、明文で性別による差別を禁止している。それは個人の尊厳に関わる重要なテーマであって、司法としては、その問題にどのように対応するかが問われ、注目されている」

 「今日、憲法14条1項の問題については、司法としては、これまでの価値観等を所与の前提とすることができない場合があることを念頭に置く必要が生じている」

 「時代の流れを読み取り、正義にかなった公平な判断を下す場面やテーマが多くなってきている」

 「そのうえで未来に繋がる判断を行うことが求められている」

千葉勝美著 同性婚と司法 岩波新書

 思うに、性的指向が個人に意思や努力ではいかんともしがたい性質のものであることに鑑みれば、異性婚と同性婚を区別する取扱いの合理性の有無の判断については立法目的が重要なものであること、およびその目的と規制手段との間に事実上の実質的関連性があることが立証されなければならないと解する。
 この点、婚姻は異性間の人的結合関係に関して国家による特別の保護を付与する法制度と解する立場がある。
 しかし、前述のように24条の趣旨を当事者の意思と解し個人の尊厳を保護する立場からは、異性間にかぎらず、婚姻制度の立法目的は、親密な二人の関係に社会的承認を与え法的保護を与える点にあると解すべきである。
 したがって、本件規定が同性という理由のみによって婚姻手続きを認めないのは、立法目的と規制手段との間に実質的関連性があるとはいえず、憲法14条1項に違反する。

四 おわりに

 同性婚をかたくなに認めようとしない人たちがいるのは、おそらく伝統的な価値観に基づく社会秩序の維持が保てないと判断するからだろう。そして婚姻やそれに基づく家族が社会の根幹にかかわるために民主的なプロセスでの議論が欠かせないと考えるのだろう。
 しかし、同性婚を求める立場の人たちは、あくまで少数者であり、法的承認を求めても認められないまま多数者の意識・無意識によって個人の尊厳が侵害されている人たちでもある。民主的なプロセスでは解決できない状況で個人の尊厳が踏みにじられているからこそ、法原理機関での救済を求めているのである。そのような訴えを法原理機関たる裁判所が立法裁量論で判断を避けることは裁判所の責務を放棄するに等しく許されないのではないだろうか。
 しかも、かりに同性婚の導入を認めたとしても、大多数者の異性愛者の人権を侵害するわけでもない。むしろ同性婚を認めてこなかったのは、少数者の存在を多数者が意識してこなかったからだ。伝統的な価値観を少数者に無理強いしていることこそが問題であるという意識が必要なのではないだろうか。個人の尊厳を侵害してまで守らなければならない社会的秩序があるとも思えないし、同性婚を導入したからと言って社会的秩序が崩壊するとも思えない。むしろ、同性婚を認めることは、同性愛者を社会の枠組みの中に組み込むことを意味するだろう。










参考文献
榎 透 「日本国憲法における同性婚の位置」 専修法学論集第135号

2024年3月14日札幌高裁判決文全文https://www.call4.jp/file/pdf/202403/04097ed5db19a01e5f19d1c99857d8be.pdf

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