生産性の向上についての考察

巷間でいわれる、経済成長を遂げるためになぜ「技術」の向上が大事なのか、いまいちピンときてなかったが、本書を読んで納得できた。

GDPを拡大させる、すなわち経済を成長させるためには、「資本」と「労働力」と「技術」の三要素が重要で、「資本」と「労働力」があっても「技術」がなければ付加価値を向上させることはできないという。

資本には内国資本と外国資本があり、国内への投資を増やすためには魅力的な市場にならなければならない。

労働力は、少子高齢社会の日本では「高齢者」「女性」「外国人」の労働力が課題となる。

そして、ここでいう技術とはたんに技術力のことだけをいうのではなく、日々のオペレーションによって磨かれる工夫やノウハウをも指すという。狭義の科学技術だけでなく、いわゆるトヨタのカンバン方式とか、京セラのアメーバ経営のような工夫をも含んだ、付加価値の差をもたらすものを総称して「技術」と呼ぶのだそうだ。

 要するに、経済成長理論における「技術」とは、狭義の科学技術のみではなく、それぞれの生産の現場で付加価値を生み出すのに必要なあらゆる営みすべてをさし、これが生産性の向上へとつながるというわけだ。

 生産性の向上をこのように捉えると、GDPを拡大または一人当たりのGDPを向上させるために、生産性の向上が大きなカギを握ってくることがよくわかる。一人当たりのGDPなのだから、少子高齢化の影響が問題ではなく、「技術」すなわち生産性の問題だということになる。

 付加価値を生み出す例として本書では、素人の料理とプロの料理人がつくるチャーハンでは原材料が同じでも価格が異なるという事例があげられていた。すなわち、この差が付加価値であり、日々のオペレーションの修練により付加価値の多寡が生まれる余地があるということだ。日常業務に習熟して多くの仕事を同じ時間でこなすことができるようになっても付加価値は高まるということになる。


 もっとも、供給と需要の観点から経済成長を見たとき、日本経済は供給が足りてないというよりは需要不足が原因で経済が低迷しているのではないか。生産性が向上しても、需要不足の状態では消費の低迷は続き、景気は後退するのではないか。取り組むべきは生産性の向上ではなく、需要の喚起なのではないかと。
 


 これは潜在GDPと現実のGDPを混同するところからくる誤解であるらしい。

 技術を議論するときのGDPは潜在GDPのことで、需要不足を議論するときのGDPは現実のGDPのことなのだそうだ。

「供給は自らの需要を創造する」というセイの法則は潜在GDPさえ高ければ現実のGDPもそれに引っ張られてついてくることを意味するが、現実はそうなっていない。むしろ「需要に対して供給が行われる」という有効需要の原理のほうが現実に合致しているようだ。

 この問題は、新古典派経済学とケインズ学派の対立点らしい。


 技術を向上させ付加価値を生み出し一人当たりのGDPを拡大させることは基本的に重要だろう。だから潜在GDPを拡大させるためには、技術の向上は必要なことだ。しかし、日本の経済を見直したとき、不足しているのは供給不足ではなく、明らかに需要不足だろう。モノやサービスを買わない、すなわち消費の低迷が需要不足をもたらしているおり、それが景気の低迷につながっているといえる。



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