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私は大学生が苦手

 私は大学生が苦手です。そう言う私も大学生の時代があったのですが、その当時から「大学生」という人が苦手だった。もしかすると、自分自身でさえにも嫌気がさしていたのかもしれない

 小学校→中学校→高校→大学と段階を踏むごとに、心身ともに発達し大人と化し、その中途半端な大人且つ学生という身分が「大学生」にあたる

 ここから私が「あーー、無理かも」と思うことをべれべれと書いていく。気を悪くする方は今すぐにこのページから逃げることをオススメする


群れをなす学生

 群れ・群れ。群れ。校舎内どこへ行っても学生たちが群れをなしている。まるで、肉食動物に怯えているか弱い子羊のようだ。彼らは決して心を開いてもいない「友人たち」いや「知り合いたち」と群れをなさないと校舎では生きていけないのだ。さらには、校舎内のみならず行き帰りの電車でえさえ一人で乗れず、誰かと共にしなくてはならない。か弱き子羊なのだ。そんな人たちを見てきた私は、いつも不思議に思っていた。「中途半端な友人関係の塊になぜ属しているのか」「一人でいること何が怖いのか」と、ここでお気づきの通り私には友達はいなかった、なのでこのような卑屈なマインドが生まれるのだろう。いかんせん群れをなす学生に対して冷酷で非情な眼差しを向けていた私に大学で友達を作る気など毛頭ないのだから。

さぁ、次へ行こう

 知識の披露会

 薄い知識を披露しあう学生たち。これも気に食わない。私の趣味はもっぱら読書だ。本を常に持ち歩き、隙あらば大学内のベンチで本を読んでいた。   そんな私にもたまに学生同士話す機会がある。その時の会話が実に楽しめない、日常会話ならいいのだ、気楽に会話を楽しめる。だが問題なのは、知識の披露コンテストがいきなり始まるパターンだ。何が問題なのかというと、本の「はじめに」や「見開き」に書いてありそうな、紙よりもペラペラな内容を堂々と「俺物知りやろ」と言わんばかりの顔で話してくる。あれは何なんだ。戦場に気合と根性で竹やりで戦いに来ているのと同じだ。さらには、SNSに書いてある内容を博士ぶって話してくる、あの自信はどこから湧いてくるのか、その源泉私にくれないかと思う限り。私も興味のある内容であれば、ちゃんと聴く。そして、気になることは質問する。だが、紙よりも薄い知識の彼らには「質問」はご法度、なぜなら答えられないから…

さぁ、次だ

 意識だけ高い系

 私は周りとは違うと思い込んでいる学生。いわゆる「意識だけ高い系」だ彼らはよくいる学生のように群れをなさず、行動する勇気もないくせに起業アイデアを考え口癖は「あー企業してー」だ。そして、横文字をよく使う。「エビデンスは?」「アグリーアグリー」「マストの要件があるから待って」「その業界シュリンクが進むいっぽうじゃない?」「このロジックは弱いなー」こいった感じで覚えたてのビジネス用語をとにかく連発。彼らが欲しい返しは「え、それどういう意味?」これだ。この返事がくると鼻が天井に刺さるのではないかと思うほど、伸ばしこう言ってくる「え、こんなんも知らんのかよ笑」そう、このタイプの学生が一番相手にすべきでない。彼らには、スタバで美味しいとも思っていないブラックコーヒーと、全く機能を活かせていないMac bookがお似合いなのだから。

 最後に

 冒頭に私には友達がいないと言い、その通り私は大学で友達がほとんどできず、一人で過ごす4年間を送った。常に群れ学生を横目に校舎を歩き、羨ましくさへ感じていた。なぜ、私は友達ができなかったのか??その理由は明確だ。なぜなら私自身が最後に紹介した「意識だけ高い系」という人種だったのだ。常に、行動する気もないのに、起業のアイデアについてべらべらと話し、会話で横文字も横行、興味の無い人からすると実に耳障りだったと思う。つらつらと大学生について私の思うことを書かせていただいたが、もしかすると、私はただただ友達が出来ずにそれに対し周りを妬み僻んでいた一番イタいやつだったのかもしれない、、、

 

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