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人見知りについて改める

 私は昔、自称「人見知り」でした。昔というのは、今はもう自らを「人見知り」です、など言わないようにしているので、もう人見知りではありません。昔の私は、勝手に自分を人見知りだと思い込み、それに伴った行動をすることで、相手に気を遣わす自分なりの良好な人間関係を保ってきました。今思うと何て身勝手で、最悪なことをしてきたのかと思います。人見知りは自称でしかない!!今回はそんな人見知りについて書いていこうと思います。

 この記事は私の考えで、人それぞれの考えがあるのは承知です。もうこれ以上人間関係を広げたくない人や、人に対して全く興味が無い人も少なからずいるでしょう。ですが、最低限生きてくには、人との関わりも必要になってきます。一人で生きていくなんて絶対にできないことですから、これから生きていくうえで、新しい人と出会うことはまだまだあることでしょう。これを機に自分は人見知りだと思い込むことは辞めにしませんか?そういう記事です

 人見知りとは

 まず、人見知りとはなんでしょうか。一般的には「初対面の人と話すのが苦手」といった意味合いで使われることが多いのではないでしょうか。「私は人見知りなんです、、、」この言葉よく聞きますよね。

 これと近しい意味で「コミュ障」という言葉もよく聞きます。こっちは「人と話すこと自体に苦手意識を持っている(人による)」という意味合いで使われていると思います。私の経験上、自称人見知りの人には自称コミュ障という方が多い気がします。

私が自称人見知りではなくなった理由

 自称人見知りだった時の私は、初めて会う人に対しては、誰であってもその人に対し壁を作ってからのスタートになっていました。会話なんて、全く弾ままず、そもそも盛り上げようとする気がないので、会話を早く終わらしその場から去り自分の思う安全な環境に逃げたいと思いながら会話していました。それは、自分が人見知りだと思い込むことで、必要以上の人とは関わらず常に居心地の良い環境に佇み、相手から話し始めるのを待ったり、会話を広げるのも相手に任したりと、会話は全て相手に任してきた身勝手な私でした。

 なぜ人見知りが自分勝手なのかというと、自分を「人見知り」「コミュ障」だと思い込むことで、コミュニケーションをとる努力を諦め、相手に対して「私は人見知りで話す努力をしないので、そちらで気を遣って話してください」と言っているのと同じことなのです。こう考える身勝手で仕方ありません。

 自分は努力を放棄し、常に相手任せな会話、対人関係。それも誰かに評価されたわけでもない、自身勝手な思い込み「人見知り」なだけで。これはただの逃げなのではないか??これがもう二度と自分を人見知りなんて言わないと決めた理由です。


 意識が大切!!

 おそらく、自称人見知りの皆さんは誰とでも上手く会話できる人に憧れを抱いたことがあると思います。私は無茶苦茶ありました。客観的に見る誰とでも気さくに話せて、人間関係が良好だと思わせる人。幅広い人間関係を築ける人が羨ましく、そしてかっこよく見えていたのが、過去の私です。

 今でもその人たちのように話せるかと言ったら自信はありませんが、昔の自称人見知りので、人と話すことにいきなり壁を作っていた自分はもういません。今は、誰とでも話せるマンに進化中です!!

人見知りって すごい自分勝手!!

 もう一度言わせてください

「自称人見知りは」コミュニケーションをとる努力を諦め、相手に対して「私は人見知りで話す努力をしないので、そちらで気を遣って話してください」と言っているのと同じことなのです。

 これを機に意識だけでも変えていきましょう。そしたら行動も変わります

 

 

 

 



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