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SEVENTEENと一人旅


認知症で、ほぼ一人では社会生活が送れなくなってしまった母の通院のお手伝いのために、25年ぶりに一人旅の日帰り帰省をしてきました。

母は妹家族と同居してますが、妹も仕事があり時間に制約があるので今回はヘルプを頼まれての帰省でした。
母にとって久しぶりの歯科の通院でしたが、認知症を発症したことを歯科医に伝えなければならず、本人は認知症の自覚はないので丁寧にその状態を説明する必要がありました。
心配した歯科医院ではカルテに認知症と丸印で書かれ、歯科医はじめ歯科衛生士もそれなりの対応で、付き添いの私にも丁寧に説明してくださり、短期間で治療が終わるように段取りを組んでくださり、私はおかげさまで2度の付き添いでお役御免となりました。
最初は車で娘を連れて実家に一泊の帰省でしたが、様子が分かりあと一度の治療となったので、ようやく私の一人旅が実現したのでした。

母は、認知症になるまではとても綺麗な人でした。
昔、化粧品の販売員をしていたこともあり、化粧には毎朝時間をかけて丁寧に変身していたのを覚えています。
髪にもこだわりいつも綺麗にセットされていて、美容室の仕上がりが気に入らないと自分でハサミを持ち出して手直ししたり、着ている洋服も明るい色で華があり周りを明るく照らしてくれるような、手先の器用な美しい人でした。
若い頃の私は、スキンケアやら化粧やらにあまり興味はなく簡単に済ませていたので、いつも母からもう少し自分を構ってあげなきゃダメよと言われていました。
そんな母の認知症の発症は、私にとってとても悲しい出来事でした。
現在は、今を認識するのが難しく、過去のことや自分のことはわかるので、自分の世話で精一杯といった状態です。毎日時間をかけてた美容は全くできなくなり、白髪の、でも肌は美しい小さなおばあちゃんになってしまいました。


25年ぶりの一人旅というのは、子どもが産まれて25年母として生きてきている理由です。
帰省するときには、一人ではなくいつも子どもがそばにいて、私よりも子ども(孫)の顔を見せてあげたい、すきあらば子どもを母に預けてゆっくりしたいという状況だったから。
新幹線を利用しての、当時幼い2人の息子を連れての帰省は想像を絶する苦労ではあったけど😂

あの頃は子育てが私の全てだったし、休息も実家でしか取れなかったようなそんな時期でした。
25年の月日で3人の子どもたちに恵まれ、大切に育てた上の2人は成人し肩の荷がほとんど降りた今です。
年の離れた末っ子は、残った家族に頼んで、ずっとやってみたかった一人旅の実現を認知症の母のお世話という口実を使って強行したわけです。
いや、ほんとはいつだって私にはこの選択ができたはず。なのに、どこに遠慮したのか、自分の中の正当性を疑問視してなかなか行動に踏み切れなかったことで、25年もかかってしまったわけです。
自分で自分を閉じ込めてしまってたのかな。もっと本当は自由だったのにね。

これからは大切なものは一生懸命に愛して、自由はもっと自分で選択して行動できたらいいな。
まあ、その一つに推しの存在があるわけだけども←SEVENTEENとユンジョンハン❤️

一人旅、私は久しぶりに緊張を感じてたけど、実際は玄関を出てすぐに、全くそれを感じなくなったの。
その大きな理由はね・・・
やっぱりSEVENTEENだったのです👏👏👏
毎日聴いてる彼らの音楽をAirPodsで聴きながらの長距離移動だったので、いつもの私のままでいられて、SEVENTEENに守られながら、日常を感じながら、そして安心感をもらいながらの旅になりました。
新幹線の窓の外のどんな景色も、通り過ぎるたくさんの人々も、セブチの音楽と共にあれば私にはいつも通りの幸せだし、私自身だし、誰にも犯されない領域だし、って感じでした。

この感覚ってすごいと思うんだよね、
推しって最強!
本当にSEVENTEENとユンジョンハンありがとう💓
大げさかもしれないけど、どんな難題が起きても私は彼らと共に生きていける。
推しって素晴らしい存在👏
嬉しいとき、楽しいとき、辛いとき、悲しいとき、いつでも彼らがいることで救われる私が今ここに存在しています。
これには感謝しかありません。
どうか、私の好きな人たちが健康で幸せでいてくれますように。

サランへ💓


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