かわいいかわいいももたろう(こどもは宝、という話)

ももたろうはハゲている、わけではありません。
とてもおでこが広いのです。

ハゲるというのは退化なわけであって、生まれて4年も経っていないももたろう(3)がハゲているというのは誤りがあります。
ももたろう(3)はかわいいのです。

ももたろうはベンツ車を見ると「ぺんっつ!」といいます。
ホンダ車を見ると「おぉんだっ」といいます。
スバル車を見ると「しゅびる」といいます。

マークの中に星がきらきらしているから「しゅびる」が特にすきらしいです。

ももたろうが生活しているのは、神奈川にあるわたしの実家です。

実家の和室で、畳のへりにはたらくくるまを並べては、ほかの多くの男児がやるように、こめかみを畳に擦り付けてタイヤの動きを覗いて遊んでいるのです。

東京に住むわたしのことを彼は何だと思っているのかと、母と話し合いましたが、まぁだいたい
「ときどき遊んでくれる 自分に好意的な にんげん」
だろうということで話は決着しました。

ビデオ通話をすると、「こっちおいで」とずっと呼び掛けてくれるのですが、自粛期間にはそれもかなわないということを告げ、「ももちゃんがこっちおいで」と伝えたら、スマホを床に置いて踏みつけてきました。スマホに入ろうとしたのです。

急に画面の天地が変わり、わたしは酔いそうになったのです。

このように愛おしい存在のももたろう(2)は本名ではありません。
彼は、わたしや一緒に生活するわたしの両親とも血がつながっていません。
そんな子供の事情で今回はももたろう(仮・3)と呼称しています。

このように多角的な都合から、どこをどうみても、ももたろう(仮・3)は大変かわいいのです。

こどもの集まる家(ハーメルンとかではない)

我が家はわたしが小学生くらいのころから、よその子供が誰かしらいる家でした。

「子供をたくさん預かっているお母さん」というからには、『魔女の宅急便』のオソノさんみたいな、いわゆる肝っ玉母さんのような母をイメージされるかもしれないですが、それはあなた、完全な先入観です。

わたしの母はいつも何かに疲れ、腰を上げるのもめんどくさそうな、覇気の無いつかみどころも無い、オソノさんとは真逆のタイプの人間なので、里親をはじめたのがこの「母親の希望」だったと知ったときは、実の娘のわたしもびっくりしたものです。

そして里親というと『養子縁組』を想像する方が多いかもしれませんが、ウチは戸籍に迎え入れることはなく、養育里親といって、必要な期間だけ一緒に生活をする里親でした。

子どものタイプによって期間は異なるので、一人だけのときもあれば複数人が我が家で生活していたこともあります。

里親だけでなく、近所の子供の託児所的なことも引き受けていたので、わたしが学校から帰ると知らん子どもがいるということが当たり前の家でした。

しかし、長年続けた里親活動も、母が60近くなったあたりで本当に体力的に厳しくなってきます。
長く活動していた里親を一度セーブしようと考えていたそのころ、ももたろうという小さな命の存在を知ることになったのです。

里親を始めたのはもともと母の希望でしたが、実は父も小さな子供が大好きなのです。

目を離すと見知らぬ赤子を胸に抱き、気が付くと若いママさんとお話ししている変なおじさん、それが我が父なのでした。

ファミレスへ食事に行けば向かいの家族の赤ちゃんを、外出から帰ってくると同じマンションのよその赤ちゃんを、いつのまにか胸に抱いてヘラヘラしているのです。(各親の了承を取っています、悪しからず。Not誘拐。)


そんな父が、そのときももたろうの存在を知って、手を挙げずにはいられなかったのは当然のことでした。

大学卒業と同時に入社し、来年には定年を迎えるはずの職場をあっさり退職して、この赤子を受け入れたのです。

ももたろうがやってきた(桃には入っていなかった)

奇妙なご縁に誘われ、ももたろうは生後2週間ほどで我が両親のもとにやってきました。

今回のこどもの養育のメインは父です。

父がおしめを変え、母はせ洗濯機をまわす。

父が離乳食を準備し、母が大人の食べ物を準備する。

初老の変な夫婦との生活でも、ももたろうはすくすくと育っていきます。

わたしが初めて会った時のももたろう(0)は、顔も真っ赤でしわしわ。右手にすっぽり収まってしまう大きさでした。

数か月後に会うと超高速でズリバイで駆け抜けるようになり、いつの間にかテーブルにつかまって立ち上がり「ぃやいぃやい」とかいいながら屈伸をしていました。

3歳となる彼は今では、どんなことも説明をすればすんなり飲みこんでなんでもやり方を覚えてしまいます。
控えめに言って天才なのです。

買ってもらったばかりのストライダー(幼児用自転車)をすぐに跨げてしまいました。
控えめに言って天才です。

キャベツみたいな変な花を指さしながら座り込み「はびょたんきえいね~(葉牡丹キレイね)」といいます。
控えめに言わなくても、天才児です。
(なぜ父が「葉牡丹」という不思議な花を教えたのか、という疑問は残ります)

我が家ではこのももたろうに限らず、前述のとおり血のつながらぬ家族とたくさん生活し別れてきました。

どんな気持ちで両親が受け入れていたかなんて知らないですし、生活していた子供たちが幸せだったかどうかも知りません。

「両親が里親をやっている」と話すと、「ご立派ですね」と感想をいただきますが、これが娘としてたいそう違和感を感じてしまいます。

受け入れた子供を「愛情たっぷりに育てていた」、と形容するには差支えがあるくらい普通の日常。
毎日ハグして学校に送り出すわけでもなく、毎日手の込んだ愛情たっぷり手料理を出し続けるわけでもなく、子供のしつこいカマッテ攻撃をときにはめんどくさそうにして、ふつ~~~の日々を送っていたわけです。

これを立派だとしてしまうと、福祉が全部立派なことになってしまいそう。

福祉はあたりまえのことでなければなりません。

ただあるがまま、できることをやっている。

手を伸ばした範囲でできることをやっているだけ。

子育てがちょっとばかり苦手なひとがいて、子供が好きな初老の夫婦がいる。

不得手なものを得意な人が手伝えばいい。

それが我が家のスタンスです。


それにしても、ももたろう(仮・3)の面倒を見ている父は、もう意地の極みような形相なのです。

乳児のときは3時間おきの夜泣きに合わせて起きだしてはキッチンで人肌のミルクを作っていたし、今は10キロ以上ある体を抱っこして買い物に行っている。

ももたろうは「体力がありすぎてついていけない」そうで、「妻が何もしてくれない」と愚痴っている。

その母は暴れまわっているももたろうの様子を眺めているだけで、疲れてうんざりしている。

60を過ぎた両親の体には、幼児の子育てはとんでもない苦行のはずなのです。

離れて暮らす娘は、この生活どこまでやるつもりなのかと心配します。

しかし、好きで始めたことなのだから、しっかりやってもらいたいのです。

大きくなるももたろう(鬼退治はいつ)

ももたろうはずっとかわいい。

言うこと聞かないし、爆音で泣くし、ご飯をちゃんと食べないけれど。

ももたろうはとてもかわいい。

ももたろうが今後の人生を切り開くための、何か土台になるものを用意してやりたいと我々大人は考えています。

君はどんな少年になるのだろう?

君はどんな青年になるのだろう?

君はどんな大人になるのだろう?

恋をするかな?

グレてしまうかな?

あの小さい人間たちは、少しづつ大きくなるからだと心を、環境に合わせて増大させている。

彼らは何にも知らないし、何でも知っているかのように生きている。

だから自分から幸せをもぎ取れるような魂を、君のあるがままの個性に灯せたら。

健全な魂を持ってもらえたら。

そんな風に勝手な思いで大人は子供に希望を託してしまいます。

だからももたろう。

そんな大人の自分勝手な思いに振り回されず自分だけのきびだんごをお腰……胸に抱いて、おおきくなっておくれよな。

ももたろうが私たちのもとにいる期間は、たぶん残り少ない。

大きくなったら、きみはわたしたちのことはもう覚えていない。

それでいいんだよ。

いろんな記録をその広いおでこの細胞に残して、記憶なんてぜんぶ忘れておおきくなるんだよ。

いつか本物のスバルで鬼退治に出かけるくらいに。

君に会えていま、わたしたちはとってもおもしろいよ。

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