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建築は兵士ではない

二条城の見所は、かの有名な国宝・二の丸御殿ではなく、本丸の石垣に潜んでいるのではないか。

二条城を久し振りに訪れる機会があり、ぼくはその石垣に驚かされた。石がほとんど均一な形で整えられて、線状に組まれているという姿は尋常ではない。石は本来、野にあり山にあって自然のかたちをしており、こうした「規格化された部品」のような姿をしていないからだ。ノミで石を切って均一に形を整え、石組みの表面が平滑に仕上げられた姿を見ていると、天下の秩序が重んじられ、出る杭は打たれる(目立たないように平らにされる)江戸時代初頭における幕府公式の態度が、石垣に込められているようにも感じられる。

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二条城本丸石垣

一方で、延暦寺の門前町である坂本の石工集団・穴太衆の石垣は、二条城のそれと対照をなしている。それぞれの石が各々の個性を発揮しながら組み合わされて、無秩序に見えながら全体としてひとつにまとめあげられており、彼等はこの技法を得意としていたそうだ。「石の声を聴き、石の行きたいところへ持っていけ」という言葉が穴太衆にはあり、大小様々な形をした石の個性を生かしながら互いに均衡させることで、外から加わった力が分散され、石垣は高い強度を持つことができたという。

坂本に残る彼等の石垣を訪れる機会があるならば、正面からだけでなく、側面からも眺めることをぼくはお勧めしたい。実際に石垣を目の前にすると、なによりも、石組みの表面が平らでなく立体的であるのに気づかされる。石同士が接する目地部分が、石の輪郭に沿って奥まることで、それぞれの石が持つヴォリュームが生かされているからだ。石のヴォリュームが生かされているということは、石の個性が生かされていることに繋がっている。

部分と部分の関係に着目しながら、石垣から木造建築へと話を進めていきたい。

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坂本の穴太衆石垣

日本の古建築は、プラモデルのようにパラパラとした「軍隊的な木造建築」と彫刻然とした「群像的な木造建築」の二種類に分類することができる。

古建築の大半を占める「軍隊的な木造建築」において、各々の木材は「規格化された部品」のように均質に作られており、個別性が剥ぎ取られて、整然と行進する兵隊のコマのように扱われている。整然とした木材達の行進は、高度に組織化された軍隊の美しさを備えているように、ぼくには思われる。

他方、「群像的な木造建築」では、一つひとつの木材が際立って、彫刻的な存在感を持っている。それぞれの個性を生かしながら、どちらが主でも従でもなく、必然的な形で組み合わされている木組みの特徴を持ち、そうした姿は単独的な存在である一つひとつの木材が、水平的に協業することによって建築をつくり上げる姿と重なり合う。「群像的な木造建築」について、ぼくは数える程しか実例を知らないのだが、それらを貴重なものとして、この機会に紹介したいと考えている。

「軍隊的な木造建築」と「群像的な木造建築」がひとつの境内に同居している例として、室生寺を挙げてみたい。

室生寺は土門拳が撮影したことでも知られる、奈良県宇陀市にある平安時代初期から鎌倉時代後期にかけて造営された伽藍である。その五重塔は「軍隊的な木造建築」に当たり、小ぶりで均一な部材がチ、チ、チ、チ・・・と組織的に連続、行進させられることで、繊細で優雅な佇まいがつくられているが、部材を個性のないコマとして集団化することによって生み出される「専制国家のマスゲーム」に通じる美しさをも、同時に秘めている。

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室生寺五重塔

同じ室生寺の境内にある金堂は「群像的な木造建築」の数少ない実例のひとつに挙げることができる。金堂では、柱や長押、垂木や外縁の縁束にいたるまで部材の一つひとつが単独的な存在感を放ちながら、一体の建築として組み上げられている。各々の部材はそれぞれ明確なヴォリュームを持ち、建築の壁面においては、部材が「出る杭になる」かのように際立って深い奥行きを持つため、建築の表面が凸凹していることは特筆すべきだろう。

金堂4

金堂1

金堂3

室生寺金堂

鎌倉時代初期に整えられた元興寺極楽坊禅室も、同じく「群像的な木造建築」の特徴を持つ。とりわけ、あたかもギリシャ神殿に使われている石柱が木材になって転用されたかのような彫刻的な柱が、本堂の内部空間に立ち現れているさまは圧巻である。

元興寺7

元興寺3

元興寺2

元興寺極楽坊禅室

そして「群像的な木造建築」における三つ目の実例として、伊勢神宮がある。伊勢神宮の建築は、引きで眺めると原初的な木造軸組構造に見えるが、寄りで見ていくと、一つひとつの部材が柔らかそうなヴォリュームを持っており、部材と部材が粘土のようにグニュッとぶつかり合っているように見える。部材自体は、円形であったり、ふっくりした厚みを持っていたり、幅広だったり、そのままで使うと癖のある形をしているが、部材同士のあいだに隙間を空け、位置をずらしたりすることによって、それぞれの部材の艶かしい存在感が引き立てられ、ふくよかであると同時に、シャープに見える木組みが成立している。石がそうであるように、木のヴォリュームが生かされているということは、木の個性が生かされていることに繋がっている。

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伊勢神宮

「建築は兵士ではない。死んでもすぐに補充されて、戦線には何も異常なしと片づけられてしまう兵士ではない。」鈴木博之『建築は兵士ではない』

2014年に亡くなった建築史家である鈴木博之が若かりし頃に書いた『建築は兵士ではない』という著作を、ぼくは近頃古本屋で手に入れた。鈴木によると「近代建築」とは建築を組織的・体系的に作り上げていこうとする方法であり、近代的な軍隊組織が正確な機械のように回転して、機械的に勝利を遂げるための方法と重なるという。近代的軍隊においては、司令官はひとつのポストにすぎず、すべての兵士は交換可能な部品として位置づけられる。建物は抽象的な方法によって建設され、近代的軍隊の一兵士のように、つぎつぎに補充されうる一個の部品、無性格なコマとしての色合いの強いものになっている。したがって、機能上に支障をきたしたならば、都市において古い建物は簡単に消され、死んだ兵士を補充するように自動的に新しい建物に置き換えられる。

しかし、人がそうであるように一つひとつの建物は本来それぞれの個性をもっており、無色透明で無性格のものではない。町にすでに建つ各々の建物の存在をそれ自体として見てやり、その存在を生かしながら活用していくことが、殺伐としない暮らしの場所をつくることに繋がると鈴木は語るが、こうした具体的な存在を尊重することから始める手法は、穴太衆が大小様々な形の石を組んで石垣をつくり上げた姿と似かよっているように思われる。

『建築は兵士ではない』ならば、建築を構成している一つひとつの部材も兵士ではないのではないか。一つひとつの建築を形成している、様々な部材もまた無色透明ではなく、個々の形や重み、癖を持って存在しているからだ。「群像的な木造建築」において、単独的な存在である一つひとつの部材が、どちらが主でも従でもなく、それぞれの個性を生かし合いながら、建築をつくり上げている。

建築は世界の縮図になりうる。「自由で平等な」世界のあるべきかたちが「群像的な木造建築」の中に姿を変えて潜んでいるように、ぼくには思えてならない。

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