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今かかえていること

みなさんは年末年始どんなふうに過ごされたのでしょうか。
わたし(女性)は母が年明けに天に旅立ち、その関係でいつもとは違う年末年始になりました。もしこの文章が重く感じられた方がいたら、あなたの感覚は正しいです。

わたしの実家は日本海側の山間です。父は田舎で戦後苦労して育った人です。母とは恋愛結婚でした。

母は心根の優しい人で誰にでも同じように親切にしていましたし、自分の名誉とかそういうのとは無縁で地道に自分が良いとおもったことをやっていくような人でした。そのため葬儀にはたくさんの人が訃報を聞きつけて、見送りに来てくれたほどでした。

わたしが20代で都会に適応できず一度実家にもどったとき、たくさんの私の悩みを大型店の駐車場の車の中でしっかりゆっくりと聞いてくれたのも母でした。

そんな母が旅立ち、年明けの家の核は父と弟と私、ほか、葬儀を手伝ってくれる父の友人や葬儀屋さんが打ち合わせにくるという時間が流れました。そんな中、わたしのフラストレーションはどんどん高まってしまったのです。

わたしの年末年始の主な役割の一つ、がお茶出し。
父や弟、葬儀屋さんたちが打ち合わせをする間、亡くなった母の弔いで訪問が続いたのですが、そのお茶出しは暗黙の了解で私の役割なのです。
母の入居していた施設でのお茶出しもわたしに回ってきました。

わたしの心情としてはすごく嫌でした。なぜなら、その光景を嫌というほど今まで見てきて、わたしもずっと手伝ってきたけれど、わたしとしてはもうその図式が耐え難かった。でもそれを今回まさに自分がやらなければならなかった。こっそりいなくなって逃げたりもやりましたが、全部逃げ切れるものではない。

おそらく私が長男で生まれてきていれば、その役割は弟だったかも知れません。でも自分が女性であるために、わたしの気持ちとはたとえ合っていなくてもやらないといけないもののように感じます。

今わたしは東京に住んでいて、パートナー(男性)と一緒に住んでいます。自分たちの家のことはパートナーとも色々話し、性別での仕事の割り振りではなく、わたしたちの役割分担でできています。そんな生活と実家のフォーメーションは真逆でした。

実家で弟に打ち明けたら「じゃあそれを俺にやれっていうんだな」と逆切れされてしまいました。少しは手伝ってくれるようになったけれど。厳格な父にそのことをメールで打ち明けましたが、反応が正直怖い。そんな今のわたしです。

ありがとうございます!!うれしいです。100円は話し手と聞き手(私)で分けますね。次できるまで時間がかかるかもですが、気長によろしくです。