当事者だからこそ
少し前になるけど、とある朝の情報番組で、ハリウッド俳優のアン・ハサウェイが、映画「魔女がいっぱい」公開にあたって独占インタビューしているのが流れていた。
洋画はもとより、映画を観ることが滅多にないので、「プリティ・プリンセス」や「プラダを着た悪魔」という出演作があるのは辛うじて知っているが、あとわかっているのはすごい美人ってことくらい。
インタビューも、映画の見どころや、共演俳優(「プラダを着た悪魔」以来の共演俳優)の話などで進み、ふーん、きれいだなぁーってくらいで聞いていた。
そして、私生活での結婚、出産という話に至り、妻となり母となった変化なんて話になった。こんなきれいな奥さんでお母さんって奇跡だな〜くらいに聞いていた。
しかし、インタビューも終盤、インタビュアーがした質問と答えのやりとりで、一気にグワァーっと心を掴まれてしまった。
インタビュアー:映画の中ではこどもたちに魔法をかけて動物にしてしまいますが、実生活でお子さんに魔法をかけるとしたらどんな魔法をかけたいですか?
アン:(ほぼ即答)“寝る”魔法ね!「今昼寝しなさい〜」「夜よ〜眠りなさ〜い」でスッと寝てくれれば最高ね!
あぁー、アン・ハサウェイは、本当に自身の手で子育てしてるんだなぁって変な関心をしてしまった。
一般のお母さんなら当たり前のことも、セレブ(だろう)ハリウッド俳優となれば違うんじゃないの?という愚問を吹き飛ばす当事者感。
「“寝る”魔法をかけたい」という言葉は、恐らく育児の当事者からしか出ないだろう。
あいつら、本当に寝ないんだよ。寝てほしい時に。
で、飛躍して思った。
当事者だからこそわかることは、当事者でしかわからない。
裏返せば、当事者ならわかるはずのことがわからないとすれば、それは当事者でないことの証左だということだ。
政治の世界にそういう目を向けたくなる。
「出生率が下がっているのは出会いがないからだ」なんて、出会えずにいて、出会えても産めずにいる当事者から出る言葉じゃない。
育児に関わる施策にせよ、生活保護の問題にせよ、高齢者介護施設にせよ、当事者なら、真摯に当事者に向き合うなら出ないはずの施策が出たり、削られるはずのない予算が削られたりするのは、立案して実行する政治と行政の世界に当事者がいないからだ。
そういう意味では、今の日本には本当の民主主義はない。
様々な当事者がそれぞれかけがえのない“民”のはずなのに、今の日本の政治は一部の“民”にしか向いていない。それ以外の“民”を向こうともしなければ、当事者として受け入れることもしない。
すごく飛躍しているのはわかってる。
でも、アン・ハサウェイが「我が子にかけたい魔法」を問われて「“寝る”魔法」と即答できる当事者感が様々な問題で抱ければ、様々なことが少しずつでもいい方向に向かうんじゃないか。
そんな風に思った。
っていうお話。
「魔女がいっぱい」、観に行こうかな。
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