隔離生活が明けたら、身体だけが年老いていた(我が家にコロナがやってきた・下)
我が家をコロナが襲い、立て続けに3人が罹患して1週間。
熱はそれぞれが3日目を迎えることには平熱に下がり、食欲も戻ってきて、あとは発症後10日間の健康観察期間満了を待つばかりとなった。
みんなで検温するのもドキドキする。
ゴドゴブの呪いもあるので、36.8℃とか出るとドキリとするけど、何とか持ちこたえている。
と、思っていた。
思っていたかった。
後発の3号の発熱から7日目、健康観察期間満了まであと3日。
そんなタイミングで、私が発熱してしまった…
37.5℃
潜伏期間2日ちゃうんかい。
いや、でも、少し悪寒がする程度。
そもそも寒いんだし、ただの風邪かもしれぬ。
しっかり寝れば変わるかも。
そんな期待と希望を打ち砕く身体中の痛みで起きた翌朝。
熱は38.5℃になっていた。
嫌な予感しかしないなか、以前に一度だけ受診(健康相談に近かった)した内科に赴いた。
問診の末、やはりPCR検査。
しかも、唾液を取るもんだと(だって先週の3人もそうだったし)思っていたのに、なんと鼻の粘膜を取る検査。
ツーンとしながらトボトボと就く家路。
そして、家庭内隔離生活が始まった。
今まで病い組3人をソフトな隔離にしていたが、残る元気2人を守るべく、新規罹患者の父である私は、普段下二人兄弟の部屋に隔離された。
長男、長女も基本それぞれの部屋を出ない生活へ。
むしろ窮屈な生活になったのは、長男と長女だった。
私が罹患してしまったせいで、より窮屈な生活になるわ、健康観察期間延びるわで、とんだとばっちりである。
一方、病院、保健所、小学校の養護教諭などの見解を受け、3号と4号は健康観察期間満了をもって登校可能となった。
併せて、妻も出勤可能となった。
一度かかっているから、家族に罹患者がいてもよそにうつす危険が少ない、ということらしい。
一方、まだ元気な2人は、今後発症する可能性、無症状保菌者となる可能性から登校を止められてしまった。
致し方ないこととはいえ、やはり不憫だ。
長男は高校の見解で濃厚接触者としての7日間の健康観察期間満了をもって登校再開となった。
しかし、長女は区の見解に従い、家庭内の最終罹患者の健康観察期間満了をもって登校再開となり、この間にある学年末考査を受けられなくなってしまった。
私は、迷いに迷った挙句、宿泊施設療養は選択せず、家庭内隔離生活を継続することとした。
熱は3日目には平熱になったものの、身体の痛みが引かない。
背中を中心に鈍い痛みが残り続ける。
なんといっても、身体に痛みがある間は寝られない。
仰向けになっても、うつ伏せになっても、横向きになっても痛い。
身体を伸ばしても、丸めてみても痛い。
痛みがある間は、ほとんど熟睡できず、結果寝不足の状態になっている。
そうすると、元から乱れている自律神経は狂ってしまい、身体に別の不調が出る。
元々腸が弱い私は、完全に腸が不調に。
そもそも、今回かかった内科も、腸の不調を相談しにかかったのが最初だった。
そこで、自律神経からくるものだろうと診断されたのだった。
とはいえ、5日目あたりにようやく身体の痛みが楽になってくると、精神的には落ち着いてくる。
ずっと動いていない身体を、少しずつでも動ける身体にしないといけない。
そこで思いついたのはラジオ体操。
これなら無理なく楽に身体を動かせる。
動的ストレッチとして優秀だともいうし。
スマホでラジオ体操をかけ、しっかりと取り組む。
おかしい。
ウソだ。
ラジオ体操がこんなにキツいはずはない!
しかし、それは極めて正式なラジオ体操だった。
思った以上に優秀な動的ストレッチである。
運動不足の人は、ぜひラジオ体操に真剣に取り組んでみてほしい。
そして、ついに自宅療養期間が満了。
幸い軽度で済んだのか、味覚や嗅覚にも影響を感じず、無事に社会復帰を迎えることができた。
満了を迎えてすぐ、3週間のブランクを埋めるべく方々に用事を済ませに出かけた。
このあたり、なんというか、貧乏性な感じがしていけない。
すると、翌日になって襲ってきたのは脚全体の筋肉痛である。
「昨日山登りでもしたっけ?」と疑いたくなるほどヒザは笑い、ふくらはぎは張り、ふとももは震えている。
ほぼ1週間、家の中で部屋とトイレを行き来する程度しか歩かないでいた結果、身体は老人のようになっていたのだ。
コロナが軽症だったおかげで得られた教訓は、「歩かないと身体が老ける」だった。
結局、いつも通りと言えるようになるまでさらに1週間程度要した。
感染症は、かかってしまうのは仕方ないことでもあるけど、やはりかからないにこしたことはない。
まだまだ猛威は収まらない。
改めて、しっかり対策していきましょう。
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