命の恩人の名を知らずに生きている

うつ状態を抱えて生きて、もう12年目になる。

そうは言っても働いて生きている。
軽症なのかもしれない。

病院も2回変えた。

今の心療内科(“こころの診療科”と、その病院では呼ぶが)は薬よりも睡眠を中心にした生活習慣の改善を目指す方針で、今では抗うつ薬も睡眠導入剤も服用していない。

寛解とはなかなかならないが、自分のうつとの付き合い方はだいぶ心得てきた。

しかし、ここに来るまでには気持ちの波があった。

2014年、うつ状態になって6年目。

家では新生児の世話でストレスMAXの妻の溜息とイライラに押し潰され、仕事もままならず、ついに病休に入った。

休みに入ってすぐに羽根を伸ばそうといろいろ画策するも、妻から叱責されて引きこもりへ。

引きこもりになって以来、ずっと頭から離れなかったのは、生命保険と住宅ローンの団信と遺族年金のことだった。

生きていても家族や家計を苦しめるだけ
やりたいこと(ハイパー児童館ぷれいす)などどうせできない
仕事でも替えの効く程度の存在

役に立つためにすべきは、生きることを辞めること。

Twitterのアカウントは、眉間をアップした白黒の自撮り写真をアイコンにし、本名登録の名前にはダガー(†)を添えた。

†は十字架を表していて、人名に添える際は、その人物が故人であることを示す。

プロフィールは完全なる希死念慮。

そして自死を仄めかすツイート。

でも、手は下せなかった。
怖いのだ。

死して嘲笑されることが。

冷めた目で自分の亡骸を見つめる家族の目が。

そんなある日、Twitterに一通のダイレクトメッセージ(DM)が届く。

作家の乙武洋匡さんだった。

こんなうつオヤジをなんとかしたいと、乙武さんに「助けてあげてほしい」とDMを送った人がいて、その方の訴えを受けて乙武さんがコンタクトを取ってくださった。

DMに記載された携帯番号に電話をした。
これをスルーする不義理はできないと、なぜか思った。

騙されてる可能性もよぎったが、繋がった電話の向こうにいたのは、本物の乙武さんだった。

乙武さんは、おそらく私のツイートをある程度遡り、居場所づくりのことにも触れてくださった。

最後に、当時代表をお務めだったグリーンバード新宿の活動にお誘いいただいて、電話は終わった。

極度の緊張(たしか、正座してた)から解き放たれると、不思議と希死念慮が弱まっていた。

その後、お誘いいただいた活動に参加して乙武さんと直接お話させていただき、何より外に出て空気を吸って活気に触れたことで、だいぶ気持ちが楽になった。

あの時、あの電話がなかったら、生きてはいるだろうけど、もっと抜け殻だったかもしれない。

ところで、乙武さんにSOSを送ってくださった方は、私とも乙武さんとも面識のない方。

Twitterで相互フォローの関係でもなかった。

お礼のDMを送った際には、生きていてくれてよかったというようなコメントをくださった。
面識もないオッサンにここまでしてくださるこの方は…

この件を機に相互フォローとなったものの、それ以上交流があるわけでもなく。

さらに、全く別件でキレ気味にアカウント削除して再登録などしたため、今となってはあの方のアカウント名すらわからなくなってしまった。

どこのどなたかわからないあのTwitterのアカウントは、間違いなく命の恩人である。

あの方が乙武さんに繋いでくださったお陰で、まだ私は生き生きと生きている。

家計的に首が回らないのでしばらくは新たな何かに踏み出すことが難しいけど、生きていればなんとかなるし、夢も希望もなくならない。

名も知らぬあの方の恩に報いるためにも、その恩人が繋いでくださった乙武さんの励ましに応えるためにも、これからも笑顔でしぶとく生きる。

今は、そう誓っている。

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