ボクが相談しないのは…

幡野広志さんの著書、『なんで僕に聞くんだろう。』を読んだ。

積読には燃え殻さんの『相談の森』もある。

新聞の人生相談なんかを読むのもわりと好きだ。

でも、ボクが誰かに何かを相談することはあまりしない。

相談したいことがないわけではない。

でも、実際に相談することは稀だ。

その稀に相談する際には、稀にしかしないが故に相談がまとまらず、自分でも何を訊いてるかわからなくなる。

なんでかなと思いつつ、『なんで僕に聞くんだろう。』を読んで、うっすらわかった気がする。

多分、以下の二点のいずれかだと決めつけてしまうからだ。

その一、相談する前からある程度、しかも数パターンの答えが想定されてるから。

その二、相談しても相手が困るだけだろう。

今まで稀にしてきた相談が全てこのどちらかに当てはまる。少なくともそんな気がする。

悩みや煩悶はあるんだけど、それが何から来るのか、そしてそれがいかにどうしようもないことかをわかってしまっている(気になっている)から、相談するのが怖い。

最近、そういうの抜きで相談したのは、転職についてだった。

もう5年半ほど前のこと。

転職するならココ!ってところでお勤めの方に、実際のところどうなのかって話を聞いた。

でも、その時もなかなか本題に入れず、お相手の方に申し訳ない時間を過ごさせてしまった。
相談後のやりとりでも、幾分気を遣わせてしまった。

(しかも、相談の結果意を決して転職のエントリーをするも一次面接までで不採用だった)←余談

相談するのが怖い。

思った通りの回答を受けて、でもその回答の通りにできないのが怖い。

思っていなかった回答を受けて、でもその回答を活かせないのが怖い。

お相手を困らせて気まずい空気になるのが怖い。

だから、ボクは相談しない。
自分の人生に関わることについては相談しない。いや、相談できないのだ。怖いから。

本当は鬱とのうまい付き合い方を相談したい。

家計を安定させる方法を相談したい。

ハイパー児童館ぷれいすの始め方を相談したい。

でも、しない。できない。

怖いから。

そんなだから、『なんで僕に聞くんだろう。』を読んでいてすら、ややビビっていた。

相談内容は自分と全然関わりないってわかっているのに、幡野さんの回答は全て自分に向けられているのではと幾度も錯覚した。

でも、だからこそ、この本の相談と回答を元にnoteを書いてみたいとも思う。

燃え殻さんの『相談の森』も、怖いけど楽しみだ。

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