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高校時代の思い出

今日は少し昔の話をしたいと思う。

もう20年近く前になる高校時代の話だ。

ちなみに俺の通っていた長野県立野沢北高校は普通の公立高校なのだが、卒業生にLINEの出澤社長、ファンコミュニケーションズの柳澤社長、「君の名は」の新海誠監督、宇宙飛行士の油井亀美也さんなど経営者と有名人をなぜか輩出している。何か特別な事をやっている高校ではなく、ただの普通の高校だ。有名人が生まれているのは本当に謎。

俺は中学まで野球をやっていて、タッチとH2の影響で本気で甲子園を目指していた野球少年だった。でも、中学時代レギュラーになれずに野球への情熱は段々と薄れ、高校では野球をやらないと決めていた。高校に入学し、髪も染めたいし、本気で部活やるのはやめとこうかなーと思ったけど、部活に入ることが推奨の高校だったので、一旦進学校の中でも割とテキトーにやれる不良が集まるハンドボール部に入ることにした。

不良の集まるハンドボール部

当時のハンドボール部は適度に運動して、適度にがんばる。部室で授業をサボる。という感じのゆるい部活で、俺の代は10人くらいいたがおそらく最初から本気でハンドボールをやりたい人はいなくて、中学は野球部で俺と同じ様な不純な動機で集まった奴らだった。

そんな中に土屋が2人いて、それが後にGoodpatchの創業者になる俺(土屋尚史)と後にShippioの共同創業者になる土屋隆司だった。(実はキャプテンも土屋だから3人土屋がいたw)

土屋隆司も中学野球部でおそらく俺と同じ様に適当に部活をやるためにハンドボール部に入っていた。当時は髪型が五右衛門っぽかったのでゴエモンと呼ばれていた。とにかく真面目に振る舞うのが嫌いですぐに笑いの方向に持っていきふざける奴だったが、それでも試合に出ると「え、そんなシュートどこで練習してたの?」みたいなシュートをサクッと打って、1点入れるみたいな奴で、同じ代の仲間からは信頼されてる奴だった。

俺もよくくだらない事を話してふざけあっている仲間だった。適当にやって適当にシュート決めて楽しむ部活それがハンドボール部だった。

インターハイ常連校の先生

しかし、ある時状況が一変した。

俺たちが2年生になった時にそれまでの顧問だった阿部ちゃん(体育教師)と交代で、数々のハンドボール部をインターハイに連れていった経験のある先生が赴任してきた。そして、「このチームをインターハイに連れて行く」と言い出した。そこから練習メニューは大きく変わった。適当にやるようなハンドボールではなくなった。

先生は、赴任してきた段階でチームをしっかりと強いチームに育てるには時間がかかると考え、1年生が3年になる時が勝負だと思っていた。3年は夏の大会ですぐに卒業する。しかし、悪しき文化を持った2年生、つまり俺達の代は先生に取っては邪魔だったのだろう。まあ文化を変えるのは相当難しい。組織崩壊を経験した自分も今なら分かる。先生は俺達の代の排除のタイミングを伺っていた。

合宿の夜

今でも思い出す大会前の合宿の夜のことだ。俺たちは夜に合宿所を抜け出して、コンビニ行った。そして、合宿所に帰って来たところに入り口で仁王立ちで立っている先生がいた。

先生は、「お前たち、何をしている」と凄み、1人ずつアゴを掴んでいった。さすがハンドで鍛えた先生だ、50歳を越えているのに腕力が凄い。1人ずつアゴを掴まれている流れで土屋隆司の番が来た。隆司はその流れを見て、先生が利き手の左手でアゴを掴みに来るのを右手で払い除けた。なんて度胸のある奴なんだと思った次の瞬間、反対の腕でアゴを掴まれていた。先生も流石である。

そして、最後に先生は「お前たち、今後どうするか考えろ!」と行って去っていっった。

次の週、俺達の代の2年生は10人中6人が辞め、4人が残った。先生に取っては、してやったりという感じだろう。俺はというと、辞めた6人と仲が良い側の人間だったが、辞めずに残った。

辞めた6人は、「俺たち今から受験勉強するわ。」と言って去っていった。その中に土屋隆司もいた。

その後、1年生が半分以上レギュラーに入り、俺はバイク事故による足の怪我もあったのでレギュラーを外されたが、一緒に練習を頑張り、3年生の最後の大会ではインターハイまでは行けなかったが、北信越大会に出るくらいまでの強豪チームになった。

先生は俺たちの代には最後までコミュニケーションを取りづらそうにしてたが、最後の大会の試合の前にトイレで一緒になった先生に「試合に出してやれなくて悪かったな」と言われた事は今でも覚えている。その後、最後の試合の後半20分に出て、強豪校からボールを奪い1点をもぎ取った。良い思い出である。

そして、最後まで部活を頑張った4人は全員大学に現役で合格し(エース金井は東大へ)、途中で辞めたメンバーはみんな浪人した。人生そういうものなんだろう。

苦しい時に辞めない方が良いというメンタリティは高校時代のこの成功体験から来ている。

まさかの再会

高校卒業後、俺が26歳くらいの時に一度だけ参加した同窓会に土屋隆司も来ていて、話を聞くと土屋隆司は高校を卒業後、浪人したのではなく、なんとアメリカに渡り、宇多田ヒカルも出た名門コロンビア大学を卒業し、三井物産に入社し、商社マンとしてエリート街道を歩いていた。高校当時の土屋隆司を知るものとしては想像もつかない道を行っていてびっくりしたのを覚えている。

そして、そこから会う事もなかったのだが、今から3年前のある時にFacebookで連絡が来た。

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まさか、三井物産の商社マンというエリートコースを捨てて、土屋隆司は俺と同じ様に起業してしまっていた。

久しぶりに会うと高校時代と全然変わらない様子の彼に安心した。話を聞くと隆司は三井物産時代に中国に赴任していて、中国人の若者たちの優秀さにビックリしたらしい。頭の良さ、貪欲に学ぶ姿勢、国を良くしたいという情熱を中国人の若者から感じ、このままでは日本がやばいと思ったというのが起業を志すキッカケだったらしい。

そして、三井物産時代の同僚の佐藤さんと一緒に年収2000万を捨てて、2016年にShippioを起業した。

話を聞いて、なんてアホな奴なんだと思ったけど、なんとなく隆司らしいし、同級生が同じスタートアップ起業家になったのは単純に嬉しかった。

領域を聞くと物流業界でイノベーションを起こしたいと言っていて、率直に良いテーマだなと思った。土屋隆司の事を昔から知っていたし、物産で10年働いて物流に対する原体験もある。そして、誰もやりたがらない領域、共同創業者の佐藤さんにも会って、直感で多分彼らは成功するなと思った。

ついにShippioを手伝うことに

そこから3年、定期的に飯に行ったりしながら経営の相談にはちょこちょこ乗っていた。「いつかGoodpatchに仕事をお願いできるくらいになりたいよ」とずっと言ってくれていたのが、去年ShippioがシリーズAの調達をした事がキッカケでいよいよ現実になった。

Shippioという会社のビジョン・ミッション・バリューを作るという会社のコアをデザインする仕事。

去年ランチに行った時に、プロダクトのUI/UXの相談をされたが、今のShippioに必要なのは会社がなぜそのビジネスをやっているのか、会社の方向性やブランドのコアを明確にすることだとアドバイスした。この後の組織化のフェーズでこれがないと絶対に組織が分裂すると。過去に組織崩壊を経験した俺はこれを痛いほど分かっていた。

お披露目会_200110

2019年10月から取り組んだShippioプロジェクトはBX(Brand Experience)プロジェクトとして、弊社のエースチームが担当し、たった3ヶ月でビジョン・ミッション・バリューを作るというタイトな内容だったが、とんでもなく良いプロジェクトになり、非常に高い顧客満足度とCEOの佐藤さんからは起業して以来3本の指に入るくらいInspiringなプロジェクトになったという評価を受けた。

ShippioのVision・Mission・Anchors

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確実に彼らの長期的な資産になる言葉とアウトプットを残せたと思っている。Goodpatchにいるメンバーは分かると思うが、ビジョン・ミッション・バリューがしっかりしている事は会社を長期で助ける。まさに資産なのだ。

ShippioのCEO佐藤さんのnoteとプロジェクトのインタビューもあるのでぜひ見て欲しい。

高校の同級生と一緒に仕事をする機会なんて、ほとんどの人がないと思うが、今回のShippioは本当に高校時代の思い出と相まって、とてもエモーショナルで良い案件になった。

これだから人生というのは面白い。

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Naofumi Tsuchiya / Goodpatch

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Founder, CEO of Goodpatch Inc. 東京、ベルリン、ミュンヘンにオフィスがあるデザインカンパニーの社長です。 Goodpatchのpは小文字です。2020年6月、デザイン会社として初の東証マザーズに上場。