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ここちのよい人間関係の構築をしたい

こんにちは、なおこです。ご覧いただきありがとうございます。

先日、久々に電車に乗ってギャマノン(ギャンブル依存症の家族の自助グループ)で知り合った方とランチをしてきました。

私は、その方と初めて会ったときから「この人なんか光ってる!」と、特別なものを感じていました。オーラは見られない(と思っている)けど、本当に後光がさしているように光って見えました。

ギャマノンには行かなくなりましたが、その方も私の話を面白がってくれる(?!)ので、数ヶ月に一度、会ってお話しています。

今回、彼女と会ったことで気づいた、人間関係についての分かち合いから展開していきたいと思います。


■ こういう人間関係を構築しようと思った

いつも彼女と話していると、あっという間に時間が過ぎていきます。先日も6時間以上でした。笑

笑って楽しかったというより、自然と笑顔になってしまう楽しさで、心が豊かになるような、とても心地のよい時間なんですよね。

彼女の話はもっと聞きたくなるし、彼女も私の話を興味を持って聞いてくれているのがわかるし、何よりお互いの存在をそのまま認めあえているような感覚がするのです。こういう感覚はほかの人に感じたことがありませんでした。

彼女は、「なおこさんと話していると、このままの私でいいんだ!って思える」と何度も言ってくれました。私も彼女と話しているとそういう風に思えるのです。

私が本当に求めていた幸せというか、心の居場所はこういう感覚だったんだと気づかせてもらいました。

「私はこういう感覚になれる人間関係を構築していこう!」と決めました。


■ 過去の私は、悪口の共感を楽しいと思っていた

今までの私の会話を思い出してみると、会話の半分くらいは、悪口や誰かを小バカにするような話をしていたように思います。無意識に自分より下の人間をつくり出して、自分の優越を感じていたのです。

とはいえ、私の友達が性格悪いということではありません。テレビでも基本的にそうやって会話が成り立って、みんな面白がっていますよね。

誰かの行動やファッションなどに反応して「あの人ダサくない?!」「あの店員、態度悪いよね」「普通こうするでしょ」などと言ってみたり…。

「あの人のこういうところヤダよね」「あいつ使えねー」というような話で「わかるー!私もそう思ってた!」みたいに悪口の共感で盛り上がるようなこともよくありました。

また、「なんであの人ばっかり」とか「後から入ってきたくせに」とか、嫉妬や、実は羨ましいという気持ちからきていることも多いです。

自分が劣っていることを感じたくないから、相手が優遇されているのが嫌だから(実際は自分が勝手にそう感じているだけのことも多い)、相手の良くないことを言って落として、それによって自分を良く見せているつもりになっていたのです。


■ 共感してもらえると孤独感が薄れた気分に→依存

自分の意見に賛同してもらえたり、ほかの人も自分と同じように思っていたことがわかると、一体感を感じてうれしい気持ちになりますよね。そうすると、一時的に孤独感が薄れたような感覚にもなると思います。

それは良いことに対しても、悪いことに対しても同じなんですね。でも、悪いことでも、共感してもらえるといい気分になってしまうから、悪いことを言っているということに気づかなくなっていくんだと思います。

そして、そういう感覚を味わうと、また一体感を感じたい、うれしい気持ちになりたい、と人のダメなところを自然と探すようになっていくパターンになってしまいます。そして、人のダメなところを見つけることをうれしいと思うようになってしまいます。ある種の依存です。

こういうことがタチの悪い正義感の根本の1つなのかな、と思います。

ほんとに、良くないとされる物事の根本には、孤独と依存の問題があるんだなと思います。


■ 楽しかったのに虚しさを感じる?!

こういう盛り上がり方で、自分自身が本当に楽しめていたのでしょうか…。 思いきり笑い合ったかもしれないけど、楽しめていたわけないですよね。心の奥には虚しさが残っていないですか?! 

私はありました。もう疲れるくらい笑って、誰かを小バカにして、「あースッキリした!楽しかった」と言いながらも、家に帰ると「はぁーっ」と大きなため息をつき、感じるのは主に虚しさと疲れでした。

また、悪口は言わなかったとしても、お酒を飲んだり、カラオケなどではしゃいだりして発散した気になっても、一人になれば虚しさがまたやってきます。

自分の内側にはモヤモヤやイライラは残ったままなのです。「悪いのはあの人なんだから悪口を言われても仕方ないんだ」とか、自分がネガティブになることを人のせいにしている以上、一時的にごまかすことはできても、この虚しさやモヤモヤは消えないのです。

「じゃあ全部自分のせいなのか!」と怒ったり、落ち込んだりする人もいるかもしれませんが、それも違うと思います。べつに誰かのせいだと決めなくていいんだと思います。判断をしなくていいんです。


■ 虚しさを感じる理由はなんだろう?

たどり着くのはやはり孤独感や劣等感。「どうせ自分なんて」とか「自分は○○していないと価値がない」とかいう自己否定や必要のない思い込みにとらわれているということだと思います。

そのとらわれから抜け出すには、
・自分軸で今を生きる
・優劣をつけないでありのままを受け入れる
・正しい時に正しい場所で正しいことをしているという人生を信頼する

今、パッと思いついたのがこの3つですが、これが私はできるようになってきたと自分で思っています。

これができないから何かに依存したり、外側のことに価値をおいて生きるようになってしまうんですね。


■ 人間関係も、自分が変われば変わる

私が先日のランチで感じた心地よさは、今までの友達が悪いのではなくて、自分が変わったからだと思います。

自分が、自分軸で今を生きていると物事に動じなくなってきます。周りにいるお客さんや店員さんのことが気にならないのです。目の前の人の話に集中できるのです。

そして、優劣をつけないでいられるから、人を小バカにして下げる必要もないし、自分の自慢をして良く見せようとする必要もなく、ありのままでいられるのです。これだけでもずいぶん違います。

さらに、人生を信頼すると何が起こっていてもOKという状態になれます。それは、自分だけでなく、相手に起こっていることもそのまま受け入れられるのです。「必要があってそれが起こっているんだ」と、純粋に思えるのです。

自分と相手が違う意見だったとしても、頭の中でも相手のことをダメだししたりすることなく、素直に話が聞けるんですよね。

ありのままの自分でいられて、相手のこともありのままで受け入れられているのです。

これが彼女とのランチでお互いが感じた「あなたといるとそのままの自分で良いって言われてる気がする」というここちよさの正体なんだろうと思います。

家に帰って一人になっても虚しさや疲れも感じないし、逆に(?)変な高揚感もなく、良い意味でフラットで、とっても楽でした。

新しい人間関係の構築が楽しみです。


■ 余談…

電車に乗るのでなんとなく不織布マスクを着けていきました(普段は自作の布マスク)。飲食中以外はずっとマスクをしていたのですが、ちょっと疲れました。肌あたりが気になるし、耳も痛いし…。

耳の周りにはリンパがたくさん流れていて、足つぼ同様、耳つぼもあるくらい、耳周りの流れが滞ることは良くないことです。とくにマスクを長時間される方、毎日、耳をつまみながら回したり、引っ張ったりして、滞らないようにしてみることをおすすめします。

感染しないことも大事ですが、ご自身の心身の調子にも気を配ってあげてくださいね。

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