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友情のお話

「友情」とググってみたら、一番上にwikiがでてきて、「友情で結ばれた「友達」は互いの価値を認め合い、相手のために出来ることをしようとする。友情は、互いの好感、信頼、価値評価に基づいて成り立っているものである。一般には友達の中でも特に親しい人間であり、自分を犠牲にできるかで友情の有無を量れるものである。・・・」

と出てきた。たしかにそうだよなー、と納得。

なぜ、「友情」を調べてみたかというと、ここ数日ちょっと嫌だなーともやもやすることがあったのだけれど、昨晩仲良しの友人と飲み、ちらっとその話をして笑ったら一時的に気分が晴れたし、学生時代の仲良しグループの友人たちに久しぶりにメッセージをして、10月末に会うことになって、ものすごく楽しみになったり、、、常々友人たちの存在に救われることがたくさんあるので、改めて「友情ってなんだろう」と思い。

私は、小学校時代の友人から最近できた友人まで、すごくたくさんの優しい友人たちに恵まれていて、それぞれの時代の友人、みんなすごく素敵で誇りに思っているのだけれども、やはり特に最近大人になってから、独立してから出会った友人たちの多くは、社会課題解決のために一生懸命志をもって歩んでいる人ばかりで、話をしていても、意志と思いやりを感じられ、とても尊敬できる人ばかり。

一方で、考えてしまうのは、自殺報道などがあると、「誰かまわりに相談できる人はいなかったのだろうか」ということで、そうやって、辛いことを相談できないで、孤独でいる人が世の中にはたくさんいるのだろうな、と思うと考えこんでしまう。そして、私自身も本当に辛いことって周りの人に話せるかな、と思うと、それはそれで「心配かけたくないし」と躊躇してしまって結局自分の心に閉じ込めることが多い。

ただ、話せなくても、心の支えにはなってくれているので、すべての人がそういう存在の人に恵まれることを心から祈ります。

また「友情」ということで考えはじめると、これまでとても親しくしていた人との別れも何度かあって、時々「あー、話したいなー」と思うことがあります。それは遠く離れてしまって、もう連絡先知らないというのもあるし、ちょっとした言葉の行き違いで仲たがいをしてしまった人もいるし。

仲たがいしてしまったときは「きっと今はこういう状態になっているけれど、きっと時がたって、縁があれば、また仲良しに戻るのだろうな。もっとよい関係になるんだろうな」とかなり前向きに考えています。

若い時は、ケンカしたらもう終わり!みたいに短期的な視点でしか物事を考えられなかったけれど、大人になって色んな経験を積み重ねてくると、時が解決することもあるなーという実感がもてるので、きっといつかまた仲良しに戻れる、と思いながら、その日までにもっと成長していたいな、と思う。

そして、会えなくてもいつでも幸せを祈っているよーと伝えたいです、テレパシー伝わりますようにー。

写真は私の親友ふたり。いつもありがとう。

#友情

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#経験

#若林直子


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