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自分とは違う人で物事を見る(俯瞰を超えて、宇宙)

みなさん、こんばんは。なおぼーです。

転職して、1か月が経過しようとしています。基本的に、副社長が舵をきっていて僕はその舵の動きを見ています。そこでの学びを綴っていく。

実際に創ったやつが一番凄い

先日、直島に行き安藤忠雄さんの作品を見させて頂きました。僕の中では、コンクリートの「力強さ」と光の「繊細さ」が美しく、塊の中を鋭い光が差し込む情景が良かったです。また、アート自体に何かを問われている。そんな気持ちになった。

でも、自分にとって一番凄い事は、「芸術性」ではない。正直、自分にできない事は全部凄いと思っている。一番すごいのは

創ったという事実

島、人、自然、歴史、アート、お金、暮らし、人生、動物、材料、社会、もっと多くの関係性に揉まれながら創りきることができる事が一番凄かったりする。

実社会や生活でも同じである。僕も、先月までは「会社はもっと〇〇すべきだ!」と正論を述べていた。今の時代、正論を言うことなんて誰でもできるしインターネットでも正しい事は沢山書いてある。しかし、本当に大切なのは実行できるかどうか。自分が描いた状況や夢を創れるかどうかである。そのために、まずは、誰かがどうこうではなく、自分に何ができるか?を考える。ここまでは、自分の思考でもいける。恐ろしいのは、ここから。。。

自分じゃない人で考える

全員、自分のためにで生きていてもよい。でも、少しでも欲がでると本質を見失う可能性が増える。1週間前に自分で〇〇システムがより良いと思うんだよね!と言ったとしよう。正しいと思って、会社のために1か月継やしてより良いと思うことをやり進める。そうすると、途中で間違いだと感じても少し調整してその道で歩こうとしてしまう。しかし、自分じゃない人で考えると、自分が良いと言ったとか、ここまで進めてきた時間が無駄になるとか一切関係なく、今日という一日で改めてより良くするにはを考える。その結果、昨日は違うと思っていても新しく知った知識で考えると違うと思っていたことが正解かもしれないと進み始める。何もなかったかのように、より良い道だと信じ進み始める。そんなことが普通できるだろうか。常識は常識じゃない。そんな考えがあることを初めて知った。これは、毎朝45分の真夏の草取りの最中に起こった物語である。なおぼーは、「他国があることを初めて知った人間」のような衝撃を受けた。
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最後の表現が、正しいかはしっくり来てないが、毎日こんな感じ。最近、あんまりリアクションを取らなくなった。間違えた。取れなくなった。当り前じゃない知識が頭にマシンガンのように打たれ続けると、撃たれていることすら忘れてしまう。撃たれなくなって、初めてリアクションを取るのだろう。ほな、また明日。おやすみなさい!

最近、言ってなかった。いつも読んでくれて「ありがとう」。

「ありがとう」が言える大人ってカッコいいよな。

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