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人に憂いを

「優しいね」とよく言われる。その度いつも「どこがだろう」と思う。人に言われたことはなるべく否定しないようにしている。その人のことを否定してしまうからだ。それでもその「優しい」という言葉だけは、いつも違和感しかない。

そんなことを思い、昨夜の行為を少し悔いながら朝食の片付けをしつつ珈琲を飲む。やはり年甲斐もなく成り行きの夜は辛い。そもそもどうしてそうなったのだろうか。相手がどんな人でどんな顔でどのような行為だったのか。酔っていたのか、そもそも成り行きだったのか。本当にシたのか。全く覚えがない。でも「優しいね」という言葉を聞いたことだけは覚えている。

「思い出したくもないな。」

言葉と珈琲を飲み干して煙草に火をつける。…やってしまった。辞めようといつも思っているが、どうしても吸ってしまう。そもそも買うなという話だが、箱だけはせめて傍に置いておきたいという自分の甘さが問題なのだ。それは分かっている。

火をつけてしまったのだ、吸うしかない。そうやって勝手に自分を肯定して煙草を吸い始める。さて、どうしたものか。仕事は午後からだ。と言っても自分の中で決める時間だから午前も午後も本当はないが。ひとまず私のベッドに寝ている男をどうにかしなければならない。

そうやってベッドを見る。その背中は私よりもだいぶ若く感じる。また若い男か…。ため息と煙を吐き出し煙草を消した。なるべく音を立てぬように男に近づいた。

「おはよう」
急にその男が振り返って驚いた。若すぎる。これはたぶんまだ10代だろう。そして何より驚いたのが、見た目だけでいうなら、今までの系統とまるで違ったからだ。ただ、うん。笑顔が可愛い。うん、分かる。わかるぞ昨夜の自分。この笑顔に騙されたんだな。お金を取るタイプの相手かもしれない、と思い近くの財布に目をやった。…そういえばお金がなかった。それなのに自分はこの男を買ってしまったのか。

「あー、いくらだっけ?泊まりもあるから結構するよね?」
「え?なんのこと?」
「え、だって、買った…んだよね?」
「え?」
「え?」

この流れだと買ってはないのだろう。じゃあどうしてこんな若い男と…。話を聞くか、と思ったが相手は裸だ。ひとまず着るものを見繕うためにクローゼットを開けた。昔の男の物が残っていて良かった。サイズはMでいいだろう。下着は…たぶんボクサーの方が似合うか。シャツは…これ?いやこれか?…いや、違う。ひとまず着るものだ。何ニヤニヤしながら似合いそうな服を選んでいる。頭を振り適当に彼の方へ投げ着るように促した。彼が着替え終わるのを待ち、話を聞いた。

話を聞いて、分かったこと。

澤野つづき。17歳。ホスト。源氏名は赤牛翼(あかうしつばさ)。屋久島出身。芸能の道に進みたくて、高校の卒業を待たずに家出同然で出て来たらしい。年齢と源氏名に関してはなんていうか、その話を拾ったら負けな気がしたので流した。『あなたに翼を授ける』なんて名刺に書きやがって。全く上手くなんかないぞ。

彼によると私は昨夜酔いに酔っていたようで、大雨のなか道のど真ん中で酒瓶を持ち倒れ込み、泣き笑いしながら大熱唱していたらしい。しかもHYの366日。なんだその「失恋した時にしてしみたい行動ランキング」がもしあればTOP5に入りそうな行動を一度に全部しやがって。私失恋か何かでもしたのか。最後に人と付き合ったの5年前だぞ。

そんな状況を見ていられなかったのか、彼は出勤前にも関わらず私に声をかけたそう。悪態をつけられたがそんなわけにもいかず、どうにか私の住所を聞き出し、家まで送ったとのこと。が、私はそこで送り出さずに家に無理やり入れたらしい。おい、私。

で、今だそう。ちなみにシてはいないらしい。彼はホストなわりにまだ経験がないようで、それを聞いた私が『ひとまず裸を見て自慰だけはさせてほしい』と言い、お互い裸になって一方的に自慰をして眠りについたそう。…おい、私。

「だから別にまだお店にも行っていないし、お持ち帰りってわけじゃないので、お金はいいですよ」

彼は笑顔でそういった。可愛いなおい。

「でもお店に行く予定だったんじゃ…」
「あ、実は他のバイトもしてて、遅刻してた時に見つけたんで、休みにしちゃいました」
「ええ、申し訳なさすぎる…」
「いやいや。全っ然大丈夫ですよぉ。」
「え、でもさ。」
「はい?」

私は起きたときの違和感について聞くことにした。

「優しいねって、言ってくれたの、なんで?」
「え?」
「いや、なんか、『優しいね』っていう言葉だけは覚えていて」
「なんで?」
「い、や…。なん、と、なく?」
「ん、なんでそんな歯切れ悪いの?」
「…」

ほぼ初対面の彼に言う話ではない。言えないし、結構知り合って長い友人にもこの話はしたことがない。

「…いや、とりあえずなんで?」
「いやあ…」
「?」
「初めてだって言ったらシないでくれたの、優しいじゃん」
「は?」
「え?」
「あ、いや…、続けていいよ」

つい強く威圧的に「は?」と言ってしまった。何が優しいんだそれ…。

「いや、続きは特にないけど。優しいなあ、って思ったの。」

なんだそれ…。舌打ちしそうになったが、ため息だけでどうにか留まった。

「え、なんでため息?」
「いや、別に…。」

なんだその笑顔は。なんでその顔で優しいなんて言う。頭が痛くなってきた。モヤモヤするしイライラするしガンガンする。彼とはもう一緒に同じ空気を吸いたくなかった。自分の部屋にある記憶にない上着を拾い上げ彼に投げた。

「悪いんだけど、帰ってくれる?」
「え、え、なんで?俺なんか怒らせることした?」
「別になにも。なにもしてない。いや、何もしてないのが悪いのか?」

気付けば少し小さな声になっていた。

「え?なんて?」
「…とにかく。私は今から仕事なの。君にかまっている暇はない。道端で酔っている私を介抱してくれたのは、感謝している。本当にありがとう。でも今は、帰ってほしいんだ。今着ている服はあげるから。それ着てそのまま帰って。」
「…わかった。」

少し不服そうな顔をしながら玄関に向かう彼。…さすがに言い方が悪すぎたか…。

「あのさ、」
「ん?」

彼は少し寂しそうな顔で振り向いた。可愛い。こいつはこういう顔も可愛いのか。

「いや、介抱してくれたお礼に、今後お店行かせてもらうよ。」
「本当!?」

急に嬉しそうな顔をして近づく彼。犬か。

「え、嬉しい!ちゃんと指名してくださいね、ね、ね。約束。ね?」

なんだこいつ…。もしかしてずっとこれを狙ってやっていた…?いや、今はもう何も考えたくない。

「あーあー、分かった分かった。約束約束。はいはい、帰った帰った」
「あ、そうだ。」
「ん?」
「名前、教えて」

…教えたくない。

「…」
「だって、今度来てくれた時名前で呼べないじゃん」
「…青木」
「えー。苗字ぃ?」

…なんだろう、教えちゃいけない気がする。…でもたぶんこれ、言わないと帰らないやつ…。

「…渚」

出来るだけ小さな声で答えた。彼はとびっきりの笑顔になって、こう言った。

「じゃあ、なーちゃんだね!」

…ほーら。

「ばいばい。」

がちゃ。扉が開く、音がした。

「やっぱなーちゃんは、優しいねっ!」

ばたん。扉が閉まる、音がした。

「優しくなんかねーよ。」

そう言って私は大きく舌打ちをした。

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