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ペットシッターを頼んだら後悔した話


「今日は俺が子ども見てるから、たまには一日好きなことしてきなよ」

と旦那さんに言われたとき、

「え、そんなこと言われても急にひとりだとなにしていいかわかんない」

ってなるんだ、という友人の話が今までわたしにはピンと来なかった。

ふだん、自分のことはさておき家族のためにがんばっていると、そこに自分の欲求とか、要求とかを優先することは少ないのだろうから、急にやりたいことが思い浮かばないのも当たり前なのかもしれない。それは彼女たちが家庭のために一生懸命になっている証拠だし、自分よりも誰かを優先することができるなんてやっぱり母親になるっていうのはすごいことだなあーと、自分との違いを感じながらぼんやりと思っていた。

でも、わたしは大きな誤解をしていたかもしれない。

たまたま外せない用事が夜にまたがってしまい、はじめてペットシッターを頼んだ。

当日になって急に用事がキャンセルになったので、ペットシッターを断ろうとしたところ、当日キャンセルはキャンセル料がかかるのだという。

せっかく頼んだのだから、予定は無くなったけどたまにはひとりでゆっくりしてくるか、と思いもこのごはんと散歩をシッターさんに頼んで出かけることにした。

行きたかった本屋とカフェが一緒になった商業施設は片道2時間かかるまあまあの距離だし、週末なのでイベントも重なっていて帰りは混雑するかもしれない。本は読みたかったけど、早く帰りたかったので行き先を近場に変えた。

お寿司屋さんに行って、お寿司を食べ終わってもまだ13時。おっそくないかな。この時計。気持ち的にはもうごはんも食べたしやることがないので帰りたいなーと思い始めていた。でもまだシッターさんが来る時間にもなっていないのだ。

せっかくだからお茶でもするかと海沿いのカフェに立ち寄った。海を眺めながらコーヒーを飲んで、海まで下りていってサーフィンをする人をながめた。でもまだ14時だ。

え?やっぱり遅くない?時間。

わたしはシッターさんに仕事を頼んだことをすでに後悔していた。

最近は毎日もこと一緒にいたので、ひとりで過ごすのが久しぶりなのにもかかわらず、自由なはずの一日をどう過ごしたらいいかわからないのだ。

そのあともう一軒、カフェでドリンクをテイクアウトしたり、公園の芝生に転がってSNSを見たりしてむりやり時間が過ぎるのを待ったけど、死ぬほど時間が経つのが遅かった。前はこういう休日が好きだったはずなのに、やりたいことがぜんぜん思い浮かばなかった。

回らないお寿司を食べて、カフェで淹れたてのコーヒーを飲んで、海を眺める時間よりも、部屋のソファに転がりながら丸まっているもこの横で本を読んだり、散歩に一緒に行って田んぼをながめたりしているほうがしあわせなのだ。

わたしは結婚した友人たちの

「急にひとりだとなにしていいかわかんない」

の意味がなんとなくわかった。

彼女たちは、自分をないがしろにして家族のために尽くしていたわけでも、欲求を押さえ込んでいたわけでもなくて、単純に家族が大切だから、ひとりでいるよりも家族と一緒にいるほうがしあわせを感じる価値観に変わっただけなのか。しあわせを感じる優先順位が変わっただけなのか、と思った。

わたしはひとりで好き勝手に生きていたころ、時間は全部自分ひとりのために使えたし、それが自由でしあわせだと思っていた。でももこと一緒に暮らしている今の方が不自由なのにしあわせなので、どうやって今までひとりで楽しんできたんだっけかな、と思った。

そんなこと、みんな知っている感情なのかもしれないけど。

シッターさんがまだケアをしてくれている時間なのに、待ちきれずにおみやげのプリンを買って帰るくらいには家に帰りたすぎてよくわからなかったし、待っていてくれる存在がいることの破壊力を知らなかった。

よっぽどのことがないかぎり、今後ペットシッターを頼むことはたぶんない気がする。

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