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自分のことなんて、自分を大事にしなきゃわからない

わたしは数年前から、自分がやりたいことがさっぱりわからなかった。


「やりたいこと」がはっきりしていて、生き生きとそれを行動に移している人がうらやましかった。


わたしは運良く、向いていてしかも好きな仕事に就くことができていたので、毎週月曜日にイヤイヤ身体を引きずって電車に乗る、みたいなことはなかったおかげか「やりたいこと」を考えることは日々の忙しさの中に埋もれてしまっていた。


目の前にあるやりたいこと、たとえば温泉に行くとか、すきな映画を見るとか、お気に入りのカフェでぼーっとするとか犬と遊ぶとか。


弾丸で旅行に行くとか、美術館に行くとか、ヨガをするとか。


なんとなく自分の中で、「今これやりたい!」という欲求に正直になることは、昔からわりと得意だったように思うのだが、


たとえば「今なんのために生きているのか?」「仕事や立場などをとっぱらった時に、わたしは何が好きで、何をして生きて行きたいのか?」みたいなことは、いくら考えてもわからなかった。


コロナあたりを機に、生活スタイルや仕事を変えた友人が多くいた。


一回いろんなことに強制ストップがかかり、立ち止まってうまくいかなくなった仕事や生活を見直したり、イヤイヤやっていたことについて向き合ったりした人が多かった。


それをきっかけにいろんなことを学び始め、それを仕事にした人もいるし、今までとはぜんぜん違うジャンルの仕事に転職して「これが本当はやりたかったんだ!」みたいにイキイキしはじめた人が本当に身近にもけっこういて、彼らに影響を受けるたびにわたしはすごいなー!と思いながらも内心モヤモヤしたし、焦ってもいた。


好きな仕事をしていて、とくに不満はないはずなのに、なんでこんなにモヤモヤするんだろう。



それは、彼らがなにかについてイキイキ語っているときのような、「なんでその仕事をしているのか?」という情熱の源泉みたいなものが、自分にはもうなくなっていることに気づいていたからだった。


わたしにとって仕事と人生はイコールのようなもので、どんな仕事をするかはどう生きるかと同じ意味をもっていることに、そのときあたりに気づいて、自分が好きでその仕事に意味や意義を感じている時に、わたしはすごくしあわせだなあと思うのだ。


わたしは専門職で、資格を持って仕事をしているのだが、裏を返せば肩書を取っ払われたらなにも残らないということである。


友人の看護師さんとまったく同じ話をしていた。わたしたちは、資格をとりあげられたらその瞬間なんの価値もない、なんの仕事もできない人になってしまう、と。


それを考えたとき、すごく怖くなった。


じゃあ、肩書きも資格も無くなったわたしは誰で、どうやってごはんを食べていくんだろう?と思った。


それを考えた時に、わたしはここ数年、なんどもなんども自分の「やりたいこと」について向き合わざるを得なくなったけど、なんにも浮かんでこなさすぎることに地図をなくした迷子のような心細さを感じた。


なんでもいいから自分を示す指針のようなものが欲しくて、取り憑かれたようにカテゴライズをしまくった結果、なんとなく自分の輪郭がぼんやり見えてきたけど、それは何通りかのパターンの中に存在している自分でしかなく、自分というものがついにわからなくて絶望した。


そのいくつかのカテゴライズの中で出会ったのがセルフラブ習慣だった。



自分の欲求にわがままになりつづけ、小さい欲求を地味に叶えていきつづけることによってでしか、自己愛は育てられない、というこのとことん地味な習慣が、なによりもてきめんなわたしへの処方箋になったのだ。



どんな本を読み漁っても、セミナーに行っても、カテゴライズをしまくっても、やりたいことも自分が本当に望んでいることもわからなかったのに、セルフラブを続けることで以前はわからなかった自分の本心が見えるようになった。表面上に出てくる感情の奥の奥の、本当はそうだったんだ!そういうことが言いたかったんだ!みたいな欲求がわかるようになった。

誰かに合わせたり、社会に適応したり、会社でうまく立ち回ったりしようとしたりすればするほど、わたしたちは自分の本当の奥底にある何かを見失いつづけていて、いざふと「自分は何がやりたくて、なんのために今生きているんだっけな?」となったときに、いちばん大事な本心の声は奥の奥の奥の方にしまいこまれてしまっていて、もう聞き取るほどもできないほどに小さくなってしまっているのだ。


時代は変わっている。



個の時代だとか、好きなことをして生きようとか、このまま会社に依存していてもいずれ上手くいかなくなるとか、そんなことはだれでもわかっている。


それでも


今までさんざん一生懸命合わせて、適応して、今までの社会でうまくやってきてた人ほど無理ゲーな時代じゃん


と思った。


だってすでに個の力で生きている人は、自分の本心に正直に生きることができている人であり、そもそも自分を押し殺して適応しようなどという性質とは正反対だからである。


わたしが今までの仕事をこれからもつづけていくことが幸せなんだったら、いちいちやりたいこと探しや生きる意味なんて考えなくて良いけど、自分の中で「ああもう一年後、この仕事してないな」と思うほどに、目的地がずれていることに気づいていながらそれを続けていくことはできないのだ。


自分の本心を大事にして生きはじめれば、やりたいことが自然にわかってくるんだと知ったので、わたしとおなじようになにがしたいかわからない人には迷わずセルフラブ習慣をおすすめする。

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