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距離感がバグってる人ってほんと思いやりがない


わたしは現在有給休暇消化中の身である。

つまり、働く必要はないけどお金だけもらえる権利があるという素晴らしい期間なのだ。

通常、退職前の有給休暇中ともなれば、藉こそ会社に残しているものの、実質的にはもう完全に退職したことと同じ扱いであると、生まれてこの方認識していたつもりであり、この所属しているようないないような消化試合をこなしたあとに、書類を送ったり社用スマートフォンを送り返したりするなどのごくごく事務的な手続きを残すのみであると思っていた。

いままで転職した会社はみんなそうだったからである。

まさか三連休が明けて、ごく当たり前のように有給休暇を満喫中のわたし宛に個別メッセージをガンガンに送ってくるヤカラがいるとは思わない。まだなにか言っておかなければならない用事があるなら、出社期間中に言ってもらいたいものである。なんのために出社最終日に、バカでかい花束などもらったのか。

しかも事務手続きのような必要な内容ではなく「これどう思いますか」てきな「知らんがな」案件の内容でわざわざ相手にメッセージを開いてもらって、時間も手間も取らせるほどではない内容である。

わざと1日半寝かせて返そうと思ったら、さすがに返信がなさすぎてどうでもよくなったのか、通知は消え失せて代わりに「送信取り消し」アナウンスがなされていた。

このタイプの「ちょっと言いたいことがあったから連絡してみた」勢は、人との距離感がバグっている傾向があってわたしのもっとも苦手な人間の部類に所属する。

こちらの都合などおかまいなしに、向こうのタイミングで、向こうの言いたいことだけを時間も状況も関係なしにぶつけてきて、いつもそれに振り回されながらいい感じのボールを投げ返さなければならないためいちばん付き合うのに疲弊するタイプだ。

じつはこの会社に入ったときから思っていた。話のさえぎり方とか、連絡頻度とかまたそのタイミング

「あ、この人疲れるタイプの人だ」

その予想はものの見事に最後まで外れなかった。

たとえば自分がかたときもスマートフォンを離さなくて、手元に届いたLINEを2秒と待たずに既読にしていることが当たり前なのであれば、相手にもそれを同じように要求する発想しか持てないような人のことである。

コミュニケーションは思いやりだと思っていて、相手の立場や状況や、相手が心地よいと思う連絡頻度や距離感を察知できない人間は総じて思いやりがないと思っている。

思いやりとは、「おやすみ中のところ申し訳ございません」や、「返信不要です」などの気遣いを含むし、今それを受け取る相手の状況、おもんばかってますか?それ、必要ですか?と聞きたくなるようなふるまいのすべてだ。

そんなの当たり前だと思っていたし、それができない人がいることがストレスだった。たとえば「仲がいいからこれくらいいいだろう」とかいう人がいるが大事な相手なら相手ほど、状況を想像して思いやるべきなのである。ましてや個人的な関係性でもない会社の人なんて、さらに遠い存在なんだからそれですらこんなに距離感がバグっていると腹が立つを通り越して心配になる。

相手の状況を想像することのできない思いやりのない人とわたしは心底から関わりたくない。

これは会社でも個人でも同じだけど、相手との適切な距離感をつかめない人は、けっこうじわじわと嫌われると思っている。

人にはパーソナルスペースというものがあるから、ズカズカ入り込まれるとストレスを感じるし、「お前に何がわかるんだよ」的な逆鱗に触れることだってままあるのである。

自分と人との境界線があまりなくて、人類皆ともだちみたいな距離感の人がいることも知っている。でもそうじゃない人もいるし、パーソナルスペースが狭い人も広い人もいるのである。

「この人の心地よいスペースはここなんだな」と察知して、その人のスペースを尊重して、大切にしながらコミュニケーションを図れることが、思いやりなんじゃなかろうか。

わたしはわれながら距離感にはうるさいと思っているのだが、それはなにより自分が距離感にピリピリしながら生きてきたからかもしれない。

ちなみにインナーチャイルドがうまく育たなかった人は、人との境界線があいまいになって、距離感がつかみにくくなるらしくわたしにも心当たりがあるのだが。その話は長くなるので今度にしようと思う。

「こいつ朝から何を息巻いてるんだろ」と、ぬるい目でみながらコーヒーでもすすっていてほしい。



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