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「物事が長くつづくこと」の最適解


「本当になんにもつづかないんだよね。」


このあいだ友人に言われた。


仕事も、趣味も、恋愛も、好きなことも特にない。


とりあえず何か新しいことをはじめればソツなく一通りできるけど、すぐに飽きるしおもしろいとも思わない。


そもそも何がやりたいのかも好きなのかもわからない。だからとりあえず片っ端からいろんなことをやるんだけど、ひとつのことを長くやるほど好きにもならない。


「いまは何の仕事をしてるの?今の仕事は比較的つづいてるから、好きな方なの?」


「好きっていうか、今までやった中でいちばん休みが多くて身体もラクで、座っていられるし、お菓子も食べられるし、そんな感じ。それだけ。」


べつに選んでやっているわけじゃない、と消去法のような理由を彼女は答えた。


「ただひとつだけのつづけられるもの、自分にとってのやりがい、これだけはっていう人に誇れるもの、そういうのがないんだよね。ずっと。なにかひとつのことを自信をもって続けられる人が羨ましい。」


彼女の話は切実で、おおいにわかるところがある。わたしも同じようなことでずっと悩んでいたからだ。





この本はわたしにとっての救いで、ひとつのものだけを極めなくてもいいんだよ、というある種の最適解のようにも思えた。


なんでもソツなくできるというのはある意味とても器用なことで、いろんな才能に恵まれている。


「なにかひとつのことが続く人」というのは、不器用な人だ。


ほかのことが好きにもなれず、熱中することも、上手くもできなかったから、それを極めるしかなかっただけ。そのスペシャリストになるしか選択肢がなかっただけ。


誤解を恐れずにいうとそういうことである。


だからなんでもとりあえずできてしまう、というのはすごく贅沢な悩みでもあるし、本来器用なことは良いことであるはずなのに、とかく「器用貧乏」はまったく良いことのように語られない。


そういう人は、きっと少なからず多いんだと思う。


同じように飽き性で、つづかないというよりも興味の対象がコロコロ変わるわたしでも、長く続いたものがふたつある。


そのふたつの共通点について最適解を発見したので、書いておこうと思ったのだ。

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