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学校図書館

先日、関東地区学校図書館研究大会川越大会に参加してきました。
今年の基調講演は辻村深月先生でとても勉強になるお話でした。

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本離れについて
 窓口が増えてきたことで、本に行く前に動画やゲームに行くことが目につく。ただ、昔から本を読む人は読むし、読まない人は読まないのではないか。本は楽しいから読むという思いが大切である。
 本離れを強調しすぎることは危険である。大切なのは子どもたちにタイミングときっかけをたくさん用意してあげること。そして、いつか渡したものを読んでくれるかもと信じてあげる事である。
 読むことの意欲を高めさせるには急がないこと。しなきゃいけない、やらなきゃいけないになってしまうと楽しくなくなってしまう。キッカケはどこにあるかはわからない。映画が楽しかったから原作を読んでみようと思ってもいい。強制されないから手に取れるということもあるので、機会とタイミングを用意してあげる。(文責:芳乃)
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 物語への窓口は紙の本と電子やオーディオ、映像などがたくさんある。これは、物語の楽しみ方が多様になってきているということである。だからこそ、何かを楽しみたいと思った時に触れる可能性や楽しむための入り口がたくさんあるのが現代なのだ。
 こういった当たり前に聞こえることを再確認した。
 また、楽しいから本を読むということ。楽しいから何かをするという視点が全ての出発地点なのだと考えさせられた。
 それは辻村先生の新刊「この夏の星を見る」からも感じた。この本もとても面白かった。

 また、辻村先生はメディアミックスについて次のように語っていた。
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 映画と原作があるが、私は原作通りだけを望んでいない。映画では映画でできる1番の表現をしてほしい。作品を挟んでどのような表現をするかの力比べをしているつもりである。原作になかったけれども、そのシーンを挟むことで自分が伝えたかったことが表現されることもある。それがメディア化の楽しみの一つである。(文責:芳乃)
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 原作には原作の、映画には映画の、ドラマにはドラマの表現。こういう意識を持ったことがなかった。あの映画は原作の方が良かった、などとよく思ったりしていたのだがそのことがいかに狭量か考えさせられた。新しい物の見方を得ることができた。

 また、学校図書館の思い出として次のようなお話もされていた。
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学校司書さんと話していて印象に残っているのは「ミステリーだけがいっぱいあればいいのに」と言ったら「図書館はいろんな本がたくさんあるのがいいんだよ」というふうに言われたこと。「5年10年に1回しか借りられない本があって、その本を求める人にその本を提供することができると言うのがいいんだよ」ということが印象に残っている。
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 これぞ学校図書館の役割であろう。また、辻村先生は「小学校の司書さんに会いたくて図書館に行っていた。図書館や図書室は本とともに人と出会う場所だと思っている」とも話していた。学校司書や司書教諭が学校図書館にいる最大の意義であると思った。
 自身の実践としても、学校図書館に毎日顔を出すと言うことを続けている。
 とある年度では、私に愚痴を言ったり話を聞いてもらいたくて図書室に来ていたという生徒が何人かいた。私としては、「これで良いのだろうか?」と感じていたの。辻村先生の「学校図書館は人と出会う場所である」という言葉に勇気をもらうことができた。

 最後の学校関係者へのメッセージにて
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かがみの孤城を書いた時の取材で、カウンセラーをされている人に「僕らの仕事は風のようになりたい」と言われた。あの先生のおかげで言われているようじゃまだまだであり、気がついたら大人になっているようであってほしい。そして、私はそのような作家になりたい。日常的がふと思い出した時に、そう言えばあの本が支えになっていた。そんな“風”のような存在になってほしい。
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 つい自分が自分がと思ってしまうが、大切なのは“風”のようにさりげなく支えられるということなのかもしれない。とても胸に刺さるメッセージだった。
 
 さて、新学期この講演を学校図書館運営に活かせるだろうか。 
 やりたいことはたくさんあるが、地に足ついた実践を積み重ねていきたい。


(今日の写真)

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