福島民報サロン7/16掲載
「ひらめき、きらめき」
気づけばパティシエになって16年。まさか自分がここまで続けるとは思ってもいなかった。
パティシエを目指したきっかけも特にない。お菓子作りなんて家でやったことも無いし、せいぜいホットケーキくらいだ。高校生のころは普通に進路について悩んでいた。当時は現代社会の授業が毎回楽しみで大好きだったのもありそこだけ飛びぬけて成績が良かったため社会科の先生に大学に行かないか?とお誘いを受けていた。同時に地元に就職する選択肢もあった。ただどちらも、その先の自分を想像できず渋っていた。そんなときにふと、いいアイデアを思い付いた。「旅人になろう!」なぜか直感的にそう思った。海外に出て色んな景色をみて、楽しいだけじゃなく色んな失敗も重ねて体験して、その先に何にかあるのではないか、何か見つけられる気がした。その時遅めの反抗期真っ只中で母親と会話をしたくなかったのでどう会話せずに高校を卒業して旅人になろうかと考えていた。一番に仲良しグループの友達に自分の進路について報告をした。いいね!と言ってくれると思っていたらまさかの本気の説得が始まった。混乱したが、みんなの話を聞いて私はゲンジツテキではないのだと衝撃を受けた。またふりだしに戻った高校2年の2月、台所でバレンタインのチョコを溶かしながらどうしようか悩んでいた。そしてチョコの香りに刺激されたのか良いアイデアが浮かんだ。「この良い香りの中なら最高にいい気分で仕事ができるのではないか!?」そうして私のパティシエ人生が始まる。なんの知識も技量もなく、途中でパティシエの道を選んだ事に不安を抱きながら専門学校に入学したが、すぐにお菓子の魅力のとりこになった。
世界中のお菓子に触れ、プロの技に圧倒され、自分の生きてきた世界の狭さに頭を殴られたような衝撃を受けた。それは18歳で上京して初めての一人暮らしやバイト、最高の仲間たちとの出会いが相まってのことだったかもしれないが、何よりも新しいことを学ぶことが楽しかった。ただ職人の世界は厳しい。労働時間や給与は最低ランク、当時は基本給14万で国民保険だった。毎日寝不足で必死、男も女も関係なく力仕事満載。30㎏近くの粉袋やグラニュー糖を何体も運んだり、大きな30コートを持ち上げながら仕込みをした。ぴりついた日々だったが楽しかったし、どんどん仕事が出来るようになる実感を得て自信もついた。しかし人生を長い目で見たとき、結婚や出産、どんなライフスタイルを思い描いてどう歩んでいきたいのか立ち止まって考えた時にパティシエを続ける事を躊躇した。そこでゆっくり考えて出した答えは、パティシエを続けながら歩みたい人生を送ろう。である。自分でお店を出して自由きまま心のままに生きよう、とてもいいアイデアだ。自営業を続けていく上でたくさんの課題や壁があるし、簡単なことなんて何一つない。パティシエだけを続けるよりも難しい道のりだけど、局所的に見るのではなく色んな視点で見たら私のベストだと思う。私のひらめきを信じて進むのみ。私の名前は直生(なお)。真っ直ぐ、素直に生きる。
双葉郡楢葉町 おかしなお菓子屋さんLiebe横須賀直生
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