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言い返せないなら藁人形で

先日インスタライブをしていた時に
「旦那がデブと言ってきて傷付く。無視するけど何も言い返せなくて悔しい。何て言い返したらいいでしょう?」
というコメントがきた。


皆さんは、Amazonで藁人形が売っているのをご存知だろうか。

私も知らなかったのだけれど、去年とあるイベント中に
「誰かのせいで深く傷つき続けるぐらいなら、藁人形で呪う方がまだいいかも。
藁人形はAmazonで売ってます」

と答えた人がいた。もちろん冗談だけれど。

でも、想像してみて欲しい。
もし誰かに「デブ」と言うたびに、自分の写真や名前を貼られた藁人形に釘を打ちつけられたら、きっと「や、やめてくれ!!」と言うはずだ。
もちろん冗談。冗談です。

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呪いの効果は実際わからないけれど、厄除け・厄払い・お守り・お詣り・貞子・呪怨・呪いのビデオ・「末代まで呪ってやる」・金田一少年の事件簿・デスノートなどというジャパンカルチャーに触れて育った日本人なら、藁人形が確実に不吉なものだと分かるはずだ。
(ちょっとググったところ"呪い返し"とかいうのもあるらしいので、用法要領を守って正しくお使いください。もちろん冗談だけれど。)

「他人の嫌がることを言う」=「面白いイジり」だと思っている人たちは、その言葉でどれだけ人の心が傷付くか、わかっていてない。

もし誰かがハサミを振り回したり殴ったりしたら、周りの人たちも止めるし、傷つけれられた人がいたとわかれば、病院に連れて行ったりケアすることも出来る。
でも心の傷は目に見えないからケアしにくいし、ずーーーーーっと何十年も、呪いの言葉をかけられたまま生きる人もいる。

特に身体のことなんて、自分から1番離れられないものだ。服は脱げば良いけれど、体だけは、どうしても「わたし」から今すぐに脱いだり形を変えることはできない。生きている限り、逃れがたい自分自身の命の一部だ。
そんな他人の命の一部を、あーだこーだ言うなんて、人間としてルール違反じゃなかろうか。
他人の体型や容姿を嘲笑う文化はもう時代遅れの風潮にしていくべきだ。


「デブ」と嘲笑った人たちが、藁人形の力で忽然と姿を消してしまうような世界だったら、どんなに良いだろうか、と私のソウルジェムは濁ったりするけれど、今のところはきっとそんな世界線じゃない。

次にバックトゥザフューチャーのドクに会ったらリクエストしてみようと思う。





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FRaU Webに書いたコラム記事です




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