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自分を幸せにする信念に書き換えていくうちに行き着いたところ

アメリカに来た当初は、驚くことが多かった。
それまで自分が信じていたもの、信念や観念が次々に壊されていくのを味わったのだから。

自分の信じていたものが壊されるとき、
そこには2種類の感情のうち、どちらかが生まれる。

一つは、驚きと、AHAモーメント(ひらめきの瞬間)、そして 解放、喜び。
二つめは、驚きと、嫌悪、 怒り、もしくは落胆。

解放のほうは、問題ない。
でも、嫌悪、怒りは、後に引く。

実際、解放感の方が勝っていたから、あれから35年、私はまだこのアメリカに住んでいる。
でも、嫌悪を感じた場合は、いつまでも、心の中でぶちぶち言って、抗うこともあった。

けれど、郷に入れば郷に従え、で、
いつの間にか、それが気にならなくなってくる。

以前、感じていた怒りは、なくなり、
それが自然と思えるようになる、まではいかなくても、
まあ、そんなもんか、
仕方ないか、
などと、自分の中でそれが「問題」とはならなくなる。

それは、自分の信念が書き換わったせいだ。

そうでなければならない、
そうあるべきだ、

が壊されて、
どっちでもいい、
それもあり、
と、いつしか自分の受容能力が広がっている。

そして、私はもう、それについて怒らない、がっかりしない。
そのことがもう、私の怒りのトリガーにはならない。

だから、
怒りを感じるところに目を向けて、
何が私を怒らせているのか、
悲しませているのか、
不安にさせているのか、
そのもとにある信念を見つけて、
自分を平和にしてくれる信念に書き換えてしまえばいい。

常識?
そんなもの、自分の心の平和にくらべたらどれほどのものだろう。

常識なんて、場所が変わればひっくり返ることさえあると知った。

自分の心の平和が一番大切。
でなければ、平和な家庭も、平和なコミュニティも、平和な世界も実現しようがないのだから。

それに気づいてから私は、自分の心に平和があるように、
違和感を見つけたら、
すぐにそれをノートに記して、
自分を平和にする信念に書き換えることを
しばらくやっていた。

最終的には、
「すべては完璧」
「誰も悪くない」
これは真実だと思ったから、
この言葉をすべてに採用している。
どんなことが起こっても、例外はない。

そうしたことで、
どんなに気楽になったことだろう。

「問題」とは、ただの概念なのだ。
同じ出来事が、人によっては大きな問題になりえても、他の人には大したことのないことかもしれない。
出来事を「問題視」しなければ、どこにも問題はない。

思考があれこれ言ってきても、
「すべては完璧だよ、
誰も悪く無いよ(私も含めて!)」
そう思い出せばいい。

それを繰り返していれば、
世の中の映像が、
ただ、たんたんと進んでいくだけなのを見るだろう。
いちいち出来事を自分のほうに引き寄せていくこともなくなっていく。

すべては、自然現象なのだ。
これが起こるのも、
あの人がああなのも、
私がこれをしているのも。

アリがアリ塚を作るように、
蜂が花から花へと飛ぶように、
樹々が、秋には紅葉し、葉を落としていくように、

私たちのすべての現れも、

自然の一部と感じれば、

例え怒りが湧き上がったとしても、

それも、
やっぱり、問題ないのだ。

やっほー!




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