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ジャッジメントをやめれば、心の豊かさがもどってくる。
この8月に、6日間のライティング・リトリートを主催するから参加しないか、と友人から連絡があった。
彼は、「書くこと」を通じて、自分自身の内面と深く繋がり、自身をオープンにしていくことをテーマにしたクラスをずっと続けている。
著書も数冊あり、近年は、本を出版したい人への全体的な支援も始めた。20年前、初めて出会ったころには、考えられないほどに、生徒も増え、彼のビジネスは充実しているようだった。
彼には、ふだん暮らしている都会の家と、ときどき戻る、山の中の家があって、その途中に私の家があるものだから、その行き来に突然現れることがある。
そして、いつも私に聞くのだ。
「書いているかい?」
と。
私の周りで、彼ほど書くこと、言葉を、愛している人はいない。
言葉そのものの響きや、リズムを口に出して、楽しみさえする。
彼の朝は、詩を朗読することから始まった。
そして我が家に来ると、かならず、彼の本にも載っている、「自分の心と繋がる」メソッドを持ち出して、私に書かせるのだ。
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3年前の、この季節だった。
前日、遅くにやってきた彼が、うちに泊まった翌朝の朝食のとき。
庭のポーチのテーブルで、薄いカーテン越しに朝日がきらきら射していた。
お茶を飲みながら、やっぱり彼が聞いてきた。
「最近、書いてる?」
あの頃、私は書くことにまったく興味が持てないでいたから、正直に答えた。
「書いてないのよ、ぜんぜん」
「ぜんぜん?」
「そう、ぜんぜん。日記くらいのものね。」
「日記? じゃあ、書いているんじゃないか」
私は言い返した。
「日記なんて書いているうちに入らないわよ。」
彼は怪訝な顔をした。
そして言った。
「どうして、書くものについて、そんなジャッジメントをするんだ?
書くものに、正解も、不正解もない。
君は、ここにある植物に、花がつかないからと言って、これは植物じゃないって言うかい?それと同じだよ。
自分が書くものを、もっと大事にしたほうがいい。
自分の中から流れてくるものだよ。
日記だって、立派な書き物だ。
どんなものも、見下してはいけない。」
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ジャッジメント・・・・
私は、書く、という行為そのものに対しても、ジャッジしていたんだ、と気づいてはっとした。
日記は小学生のころからの日課だった。それは私には、書くことの範疇にも入っていなかった。
若いころ、地元のタウン誌で働いていた私は、そこを離れても、長く、文章を寄稿していた。
その後、本を出版したこともあった。
そういった、はっきりとした「目的」があるもの、書く場所を用意されたものだけが、「書く」と堂々と呼べるものだと思っていたふしがあったことに、気がついた。
「アルケミスト」を書いた、パウロ・コエーリョは、こんなふうに助言してくれていた。
師は言う。
書きなさい。手紙でもいい、日記でもいい、
電話をしながらの走り書きでもいい!
書きなさい。
書けば、神に近づき、隣人にも近づくことになる。
もしこの世界での自分の役割を知りたいのなら、書きなさい。
誰の目にふれなくとも、
誰の目にもふれさせるつもりはなかったのに、
意に反して読まれてしまったのだとしても、
心をこめて書きなさい。
書く、という単純な行為は考えをまとめ、
自分をとりまくものがなんなのか、はっきりさせる。
一枚の紙と一本のペンが奇跡を生む。
苦しみを癒し、夢を明確にし、
失われれていた希望を取り戻したり与えたりする。
言葉には力があるのだ。
・・・手紙でも、日記でも走り書きでもいい。
![](https://assets.st-note.com/img/1654794662029-fTxCB69VJb.jpg?width=800)
友人の言葉は、私に「書く」という意味だけでない、
「ジャッジメント」ということにおいて、
私の心に刺さった。
これまで、どれだけの、私の生み出すものに、判断をしてきただろう。
自分の書いたもの、
自分の作った料理、
人との会話で、放った言葉、
日常の、小さな、あらゆるところで、私は、私をジャッジし続け、
自分を認め、許してこなかった、
自分のやることを、私はどれだけ自分で、見下してきたのだろう・・・。
そのことに、気がついて、
涙がこぼれた。
それから私は、B4サイズのスケッチブックを買った。
彼が、あの朝の会話の最後に、私に送ってくれた言葉、
Let the Pen Dream
ペンに書かせなさい
ペンに夢見させなさい
その言葉を感じると、
真っ白な、スケッチブックに、自由に
縦も、横も、上も、下も関係なく、
言葉をスケッチしたくなったのだった。
あれから3年。
スケッチブックは何冊にもなった。
私の自由な言葉たちは、
ジャッジメントのない、自由な世界をも、連れてきてくれた。
どんな、自分がやることにも、
温かなまなざしで、受け入れる、
優しさが、
やっと自分のものになった。
満たされている。
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