セルフラブという矛盾が辿りつくところ
40代の終わり辺りから、
「今が1番元気」
と、実感するようになった。
それは、不思議に更年期に入ったころだけど、
この5、6年で、寝込んだのは3年前の一度だけ。風邪で。
ほんとう、身体には感謝してもしきれない。
幼い時は、あんなに身体が弱かったのに、
心につらい体験の思い出を引きずって、いつもどこかに疲労を感じて生きていたのに、
今、こうして健康で、笑って暮らせるなんて。
何が、私をこうしたところに連れてきたのだろう?
生野菜を主食がわりに食べているから?
果物をたっぷり摂っているから?
毎日、湯船に浸かるから?
耳ツボとふくらはぎのマッサージが気持ち良すぎるから?
お水を飲むのが好きだから、
朝に白湯を飲むから、
カフェインを取らないから、
身体を動かすのが好きだから、
朝の太陽を浴びるから、
いっぱい笑うから?
16時間断食がちまたで流行る前から、身体はそんな食生活を好んでいたし、
冷えを感じたら、即足湯、そして、あっついお酒にたっぷりと生姜とレモンを入れて頂くのが私のマジック。しかもマグカップで!
何よりも、寝込まなきゃならない状況になる前に、ちょっとでも疲労を感じたら、率先してベッドでゴロゴロするのを選ぶから?(笑)
健康でいられる理由なんて、実際のところわからない。
それはただ、ただ、恩寵なのだ、と思う。
だって、どんなに健康的に生きているように見える人でも、思ってもみなかったことが、起こるのだから。
私は健康でいたいから、という理由でこれらのことをやってきたわけでなくて、
身体が「気持ちいい!」
と言うことを、素直に聞いていたら、こんな生活習慣になっていた。
身体も心も、
気持ちいい、が大好き。
それを自分にさせてあげる、が大切だった。
身体と心の健康は繋がっている、というけれど、
今の私があるのは、
47才のとき、なんとなく、
「残りの人生は、不平不満のない人生にしよう」
と決めたのが始まりだった気がする。
今、思うと、それが「自分を愛する」ことを意識的に始めた時だったかもしれない。
「不平不満のない人生」にする、
と言っても、起こってくることをコントロールできるわけではない。
起こったことに対する自分の反応に気づいて、それが不平不満なら変えていくことにしたのだった。
めんどくさー。
何でこんなことやらなきゃいけないの?
あの人のせいで。
だって、こんなお天気だから。
だから言ったでしょ?
あなたはいつもそうよね。
もう、こんなフレーズ、言い飽きたわ、
ってある日、そう思ったから、
そういう言葉たちとおさらばすると決めた日は、
ほんとにセイセイしたものだった!
現実に対抗して、目の前で起こったことに、いちいち否定して生きていくのをやめたのだった。
あの47歳の日から、どんどん自分を愛するということに導かれ、磨きをかけて(笑)、
私はあの頃から、ずいぶん変わったと思う。
冒頭に書いたように 身体は元気で軽くなったし、心の方もずっと、ずっと軽やかになった。
たくさん笑うようになった。
気楽になった。
人生のあらゆるフェイズ、
嵐も凪も、そのままに受け入れることを学んだ。
受け入れられなくても、そんな自分を受け入れた。
この瞬間こそが、ただひとつの真実に他ならないことを知った。
嵐でも、凪でも、海底には変わらない静寂と平安が在るように、
自分自身の奥に在る、そこに戻ることが多くなった。
どんな重くて暗い雲の向こうにも、いつも在る、太陽という、愛の場所へ。
セルフラブを続けるうちに、そこへ連れて行かれるとは思ってもみなかった。
だけど、もともとセルフ(自分)は、ラブ(愛)そのもので、セルフとラブを分けることなど不可能なはずだったのだ。
「自分を愛する」という言葉は 真実から観れば、矛盾でしかない。
だから、そこに辿り着くしかなかったのだよね。
「愛」という「自分」に。
おかえり。
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