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700万年変らない、人間の本質が学べる進化心理学について

最初に言っておきます。

この記事はフェミニズムやジェンダーレスといった多様な価値観が認められようとしている現代社会において、不快感を伴う内容になっているかもしれません。しかしこの記事での内容はあくまで統計的な平均や一つの考え方です。

「女性の性的な一番の価値は若さ」

「育児放棄をするのは男性」

このシリーズではこのような炎上案件な文章が度々登場します。

しかし、何度も繰り返すようですが、これはあくまで「統計的な視点からはそういう傾向が見られ、その理由はこうも考えられるよね」と言った文脈のものです。

その事を踏まえた上でこの記事を読んでいただけると幸いです。

では本題に入りましょう。

進化心理学とは?

みなさんは進化心理学というご存知でしょうか?
進化心理学とは超簡単に言えば進化論的に人間の心理を紐解いていく学問です。

もう少し詳しく説明すると。1859年に出版された「種の起源」という本をご存知でしょうか?この本はダーウィンによって書かれた現在の進化論の根幹をなす考え方を形成した本です。

この進化論の根幹をなす考え方というものをまず最初に説明しましょう。所謂、自然淘汰と適応についての話です。(なるべく難しい言葉は使わないように心がけますが義務教育で習ったレベルの単語は説明なしで登場しますのでご了承ください。)

生物は生殖し子孫を残します。

その際にその子孫の特徴は有性生殖ではみな異なるものなっています。

その特徴の異なる子孫たちの環境への適応度ももちろん違います。

環境への適応確率が高いもの、低いものが生まれるわけです。そうすると生き残りやすいものはどうしても適応確率が高いものに偏ります。

これが自然淘汰と言われるものです。つまり適応確率が高いものだけがまた子孫を残す事ができるのです。

生殖→特徴の差→適応確率の差→また生殖というこのループをダーウィンの生命の輪と言います。

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このループ一回での特徴の差というのは基本的には微々たるものです。

しかし生物はこのループを何万年、何世代と繰り返していきます。

そうすると今に残っている特徴は昔とは全然異なる特徴になっているというのが進化論での考え方です。

有名の話ではキリンは首を長くするように進化したことによって他の動物が食べられないん若葉を食べられるようになったと言った例です。

ここで大切なのはこの進化はあくまでランダムであるという事です。つまりキリンは若葉を食べたく頑張って首を伸ばしたのではなく。

たまたま子供に首が長い特徴を持ったキリンがいて、たまたまそれが自然界で優位に働いただけです。

そしてその少し首が長い遺伝子をもったキリンから偶然にももっと首が長いキリンが生まれて、そのもっと首の長いキリンも生き残るといったようにあくまで新たな特徴の発生は偶然なのです。

ここで遺伝子という言葉が登場しましたが、進化論ではこの環境に適応した遺伝子が残るという考え方が重要です。

もっと言えば私たち生物自身も遺伝子が長く残るための都合の良い形に過ぎず、今の私たちの身体は何世代も残る遺伝子たちの部分的な乗り物とも捉えられるわけです。

この事に関してもう少し詳しく知りたい方はリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んでみると良いでしょう。40年以上も読まれている古典の超名作です。

教養として読んでおいて損はないでしょう。


さてここまでで進化論についての説明はよろしいでしょうか?要するに環境に適応した特徴だけが生き残り、今の生物の特徴を形作るというわけです。

ここで大切なのは心理的特徴もその例外ではないという事です。

つまり私たちの性格や心理は長い進化の過程で形成されたものということができるのです。その事を考える学問が進化心理学と言えます。

さらには人間は知性を武器に生き残ってきた種族でもあります。

人間の脳の大きさは他の哺乳類と比べても不釣り合いなくらい大きく、頭が大きすぎるせいで人間の赤ちゃんは他の哺乳類と比べても早期での出産となっています。

これは二足歩行により産道が狭くなっていることも関係しているのですが、頭が大きい人間の赤ちゃんがお腹の中で大きくなりすぎると安全に出産できなくなるからです。

そのため生まれたばかりの人間の赤ちゃんは他の哺乳類の赤ちゃんと比べても一際未熟で何もできないのです。

牛の赤ちゃんは生まれたらすぐ立ち、猫や犬も数週間で自分で餌を取れるようになります。

それに比べて人間の赤ちゃんは何年も親が付きっきりで世話をしないとまず生きていけません。

さらには脳は体重の3%に満たない質量なのに平常時のカロリーの25%も消費する超燃費の悪い臓器です。

しかし逆を言えば人間は赤ちゃんが未熟だったり燃費が悪かったりと色々なデメリットを差し引いても頭を良くするメリットがあったからこそ、そのような進化をしてきたということが言えるのです。

いや、進化論的に正しく言えば頭が良い個体の方が生き残りやすかったということです。

卵が先か鶏が先のような議論となってしまいますが、そもそも未熟な赤ちゃんを育てるには種族間での助け合いが不可欠です。

そしてそのためには高い社会性が必要となるで、そのくらいの社会性を持つくらい頭が良くなければ人間は生き残ることもできなかったということです。

そして人間がこんなにも知性を発達させた理由はもう一つあります。それは人間同士の争い合いに勝つためです。

種族間での争い

例えば、みなさんセコイアという木をご存知でしょうか?

この木は世界一高い木でその高さは100mにもなります。

この高さは毛細血管現象で水を木のてっぺんまで届けられるほぼ限界と言えます。

通常、木は高ければ高いほど他の木より日光を浴びやすくなるので進化の上では有利です。

しかしあくまで他の木より高ければよく、そのためにとても100mなんて高さはいりません。

むしろ高くなればなるほど風の影響を受けやすく折れるリスクが上がり、体が大きい分、他の木より吸水も多くしなくてはならなかったりリスクも多いです。

では何故セコイアはこんなに高く進化していったのでしょう?

それは多分セコイアが密集して生い茂る森で他のセコイアより多く日光を受けるためでしょう。

つまりセコイア同士の競争に勝つためにセコイアはこんなにも高く進化したと予想できるのです。

そして、それは人間も同様かもしれません。

人間がもし仮に自然淘汰を生き残るためだけに知性を発達させてきたなら、きっと月に人を飛ばすほどは賢くなれなかったでしょう。

つまり人間もセコイアと同じように人間同士で知性比べをしてきて今の脳の大きさになったと考えられるのです。

しかしなぜ人間同士で知性で争う必要があったのでしょう?

それは賢い方が、モテたからでしょう。

性淘汰

もう少し詳しく言うと高い社会性を持ち大きな群の中で生きていた人間は人間同士で資源や社会的地位を巡って政治的競争が行われておりその過程で人間は賢く進化していったと考えられるのです。

これを社会脳仮説と言います。

現代の私たちも社会の中で知性を使い競争している点を考えればこの仮説はなかなか信憑性の高いものだと個人的には思います。

要するに知性が高いものが資源を独占し食いっぱぐれなかったわけです。

そして知性の高い人間が独占したものは何も食料や土地だけでではありません。

それが異性、つまり知性が高く社会的地が高いものがSEXすら独占したと考えられるのです。

そしてこの点は進化論において非常に重要です。

なぜなら進化に加担できるものは子孫を残せたものだけだからです。

当たり前ですが私たちの祖先がみな子孫を残してきたから私たちがいるのです。つまり子孫を残せなかった人間、もっと正確にいうと子孫を残すのに不適切な遺伝子は進化の過程で淘汰されていったはずなのです。

これを性淘汰と言います。

私自身この文章を書いていて悲しくなりますww(俺もモテてぇ・・・)

少し話がそれましたが、ほぼ全ての生物、特に哺乳類はこのSEXの権利を争う競争、性競争が激化する傾向にあります。

なぜなら哺乳類の出産、育児にはとてつもなリソースがかかるからです。

人間の女性であれば約10ヶ月の妊娠期間と何もできない未熟な赤ちゃんの育児に何年も費やさなければなりません。

女性からしたら人生のリソースをこんなにも割かなければならない生殖を適当な男とするわけにはいかないのです。

それゆえ優秀な遺伝子を持った男性を厳選します。

だから男性は選ばれるために強く社会的地位などを求めてきたと言えるのです。

もっと正しくいうとそれらを強く求め、生殖にありつけた人間だけが子孫を残してきたので、その性質は私たちにも色こく出ていると言えるわけです。

もちろん逆も然りです。女性も男性から選ばれていたので女性間での性競争もあります。

しかし男性間の性競争ほどそれは激化しなかったはずです。この理由についても後々説明していきたいと思っています。

自然淘汰(生き残るかどうか)と性淘汰(子孫を残せるか)という、2つの淘汰が進化の過程で働き、今に生きる生物の特徴を作っていると言えます。

つまり私たちは生き残りモテやすい心理的特徴を多く持っていると言えるわけです。

この進化心理学のシリーズではそんな人間の進化心理学的な特徴をたくさん紹介していきたいと考えておりますので。ぜひ続きも見ていただけると幸いです。

サバンナでの生活

ではまず、自然淘汰により形成されたであろう人間の心理的特徴の中でもわかりやすいものから説明していきましょう。

例えば、うんち!

いきなりですが、人間はなぜ排出物、特に自分以外の排出物に強い嫌悪感を抱くと思いますか?ぜひ考えてみてください。

このように進化心理学はクイズのようになんでだろう?と疑問を持ち考えながら読み進めていくと面白いと思います。

答えは多分、他人の排出物に嫌悪感を持たなかった祖先は感染症や寄生虫に罹る可能性か高かったからでしょう。

要するに不必要に不衛生なものを触る祖先は長生きできなかった可能性が高かったということです。

そして、あえて多分という言葉をここでは使わさせてもらいました。

進化心理学は反証が難しく、進化というものは様々な原因が複雑に重なり起こるものなので進化心理学的な仮説は絶対に正しいとは言いにくいです。

しかし考察として納得させられてしまうような面白い仮説がたくさん出てくるので「〜と考えられている」という文脈で何というか雑学感覚で読んでもらえると面白いと思います。

次に人間の恐怖と報酬についての進化心理学的な説明をしていきたいと思います。

まず第一に多くの生物はビビリです。

そしてそれは人間も例外ではありません。

自然界の食物連鎖の中では常に自分の捕食者に警戒しておかなければなりません。

自分を食べようとしている猛獣がすぐ近くにいるのにリラックスしているような個体は生き残れず子孫を残せなかったというわけです。

この自然淘汰の結果ビビりつまり用心深い遺伝子を持った個体のみが生き残ってきたのです。

ここで僭越ながら、私の実体験を紹介させてもらいたいと思います。

VS野犬?

私が高校生の時の話なのですが、その時の私は毎晩友人とランニングするのが日課でした。

その日もいつもと同じように友人との待ち合わせ場所に走っていた時、目の前に敵意を剥き出しで吠える野犬が現れたのです。

野犬っていざ遭遇するとめちゃくちゃ怖かったのを覚えています。

あれはもうシンプル猛獣でした。

その時の私はランニングに向かう途中というのもあり本当に手ぶらで、服装も薄手のスポーツウェアでした。

これで噛まれたらひとたまりもありません。

さて、もしあなたが私と同じような状況に陥ったらどう対処したか、よかったら考えてみて下さい。ちなみに場所は人通りのない田舎道です。

どうでしょうか?野犬に襲われた時の対処法など義務教育では少なくとも習わなかった私は3つの行動を咄嗟に取ったのを覚えています。

まずは音、人間でありながら大声で威嚇し、足で強く地面を叩きとにかく音で威嚇したのを覚えています。

次に姿勢です。丁度バスケのディフェンスのように腰を下ろし野犬から目を逸さずにステップを踏んでいたのを覚えています。

きっとすぐ動けるような体勢を無意識にとっていたのだと思います。

最後に石です。

私は誰に習ったわけでもなく咄嗟に石を拾い投げようと考えたのを覚えています。
幸いにもは私の気迫w?に負けたのか噛まれることも石を投げることもなく野犬は去っていったのを覚えております。

もし野犬がいなかったら、路上でバスケのディフェンスをしながら大声をあげて石を投げようとしている、ただのド変態です。

しかし今思えばこれも恐怖によって起こる反応の重要な特徴です。

恐怖に完全に支配されていた私には夜間に大声を出したら迷惑だなんて思考は全くありませんでした。

文字通り恐怖は他の思考を全て支配するのです。

さらにはとっさに拾った石これも後々重要な伏線となってきますw石の投擲は人類にとって最重要な武器だったと考えられているのです。

それについては後に説明していきたいと思います。

言うまでもなく体は汗まみれで心臓の鼓動はランニング中より激しくなっていました。

私が経験したようなこの恐怖によって起こる一般的なストレス反応の事をファイト・オア・フライト反応と言います。

危機への対応

日本語では闘争・逃走反応とも言えるこの反応が示すように生物は脅威と対峙した時戦うか逃げるのかの準備をするのです。

そして多くの生物は恐怖が迫った時に身体の中の緊急ボタンを押されたようにものすごい速さでアドレナリンを放出し、心拍数を増大させ発汗を促します。

すぐに体を動かせるようにそのような反応が起こるのです。

そして重要なのは人間はこの緊急ボタンを押す対象、つまり恐怖に対してとてつもなく敏感という事です。

さらに現代社会では多くの場合私たちは進化心理学によって怖がる対象を見誤っっているとも言えます。

スウェーデンのカロリンスカ研究所では被験者に9枚に写真を一瞬だけ見せ、9枚全て同じ写真なら左のボタンを、9枚中1枚違う写真が混ざっていたら右のボタンを押してもらうという実験を行いました。

興味深い事に8枚がキノコの写真でもう1枚は花の写真の場合に右のボタンを押す速さより8枚がキノコの写真でもう1枚が蛇や蜘蛛の写真だった場合に右のボタンを押す場合の方が優位に正確で速度も速いことがわかっています。

このように人間は太古から脅威であったであろう蛇や蜘蛛、野犬wにはより強く早く反応するようになっているのです。

アメリカで2万人を対象に行われた調査でも虫や蛇への理由のない恐怖を訴える患者の数は6.1%と公共交通機関への理由のない恐怖を訴える患者の3.2%より2倍程度も多くなっています。

しかし現代社会では公共交通機関の方が蜘蛛や蛇より何万倍も命を奪っているはずです。

つまり虫や蛇に怯えるより高速道路に乗ることに怖がる方がよっぽど合理的と言えます。

しかし私はたちの頭はまだサバンナのままなのです。

私たちの祖先にとっては自動車に怖がるよりも蛇に怖がった方がよっぽど合理的だったと言えるのです。そしてそれは何も危険だけではありません。

人類が農耕を始めてから1万年が経ったと言われていますがこれは人類の歴史において1%にも満たしません。

私たちは圧倒的な時間を狩猟採取民族として過ごしてきたのです。だから進化心理学的な私たちの頭はまだ狩猟採取民族のままなのです。

そのためハイカロリーな食事にも私たちは強すぎるほど反応してしまうのです。
狩猟採集民族時代にはハイカロリーな食事は見つけ次第食べた方が生き残る確率は高かったはずです。

次にいつそんな食事にありつけるかもわからないからです。しかし現代では見つけ次第食べるような生活をしていたら肥満、糖尿、高血圧までまったなしでしょう。さらには交友ですらそうです。

霊長類はグルーミングといった種族間交友に一日に何時間も割きます。そしてそれは私たち人間も変わりません。

しかし私たちの頭は画面の中の人間と生身の人間の違いをまだ識別できていないのです。それゆえ画面の中の人間を友人として識別し、一日の何時間もしスマホで動画を見る時間に費やしてしまうのです。

ポルノも同様です。画面の中で尻を向けているポルノ俳優と現実に性交渉を許している異性との違いを私たちはまだ識別できていないのです。


氏か育ちか?

私たちには遺伝的な心理、つまり進化心理学的に培われた要因が私たちの内面の一部であることは確かです。

しかし教育や環境が性格を構成していくこともまた事実でしょう。では私たちの性格はどの程度遺伝に左右されるのでしょうか?

この話は正直タブーしされている話題の一つでしょう。誰もが東大を目指し頑張って勉強している学生に「学力は遺伝だから、お前は無理!」とは言いたくはないでしょう。

しかし進化心理学において「遺伝なんて関係ない!」と言ってしまうと全く学問として機能しなくなってしまいます。

あくまで科学的な見解という事を踏まえてこの記事を読んでいただけると幸いです。

結論から言うと性格は遺伝が半々くらいで、才能はものによる。

そんな感じですw何か釈然としない答えかもしれませんね。

しかしこれは双子研究を元に導き出された化学的な結論となっており、遺伝のデータでは信憑性の高いものになったております。

双子研究とは文字通り双子を対象に行う研究の事です。

もっと具体的に言うと一卵性双生児と二卵性双生児の類似性を比較するというものです。

一卵性双生児は遺伝子が100%同じで二卵性双生児の遺伝子は50%類似しています。さらにこの遺伝の他に行動遺伝学では家族メンバーを似させようとする要因の共有環境と、家族メンバーを異らせようとする要因の非共有環境とを比べて考えます。

例えば一卵性双生児でありながら一方が養子に出されて別々の家族に育てられた双子を比べると、遺伝は100%一致し、共有環境は大きく異なるデータが取れるといった具合です。

(共有環境は家庭環境、非共有環境は家庭外の環境と考えてくれて構いません。)これらのデータを元に性格や才能といった様々な形質における遺伝、共有環境、非共有環境の3つの要因の割合を導き出した研究によると

性格の50%は遺伝、残り50%は非共有環境で決まると言えるのです。

面白いのが共有環境は性格にほとんど影響を与えないという結果になる事です。

例えばひどい虐待があったなど特異な家庭環境であったとなれば結果は別でしょう。

しかし一般的な家庭環境における共有環境は性格の1%にも関係してこないとデータに出ているのです。ついでにここでいう性格とは心理学におけるBIG5の事です。このBIG 5 とは誠実性、協調性、外向性、神経症的傾向、解放性の5つの性格特性の総称と分類の事で心理学的に最も信憑性のある性格分類となっています。

誠実性・・・・勤勉かどうか
協調性・・・・他人に合わせられるか
外向性・・・・社交的かどうか
神経症的傾向・・・・不安を感じやすいか
解放性・・・・好奇心が強いか

ざっくりいうとこんな感じです。このBIG5についてもう少し詳しく知りたい方は

ブライアン・R・リトルの「ハーバードの心理学講義」という本なんかがおすすめです。興味のある人はぜひ。


さてこのBIG 5の遺伝率ですが協調性以外は遺伝と非共有環境がほぼ半々になっています。協調性のみ遺伝が35%前後で残りが非共有環境となっております。

才能についてですが、これはまちまちです。

例えば音楽的才能は90%以上が遺伝で、数学やスポーツも80%以上が遺伝となっており、才能がものを言う世界もあると言うのが、忖度なしの科学的な見解でしょう。

しかし知識や外国語、意外な事に美術やチェスの遺伝は50%くらいになっており、当たり前ですか遺伝率が高いものもあれば低いものもあるのです。

しかしこのデータを狭い視野で鵜呑みにするのはどうかと私は思います。例えば数学は確かに90%以上は遺伝です。

しかしこれはあくまで高いレベルでの話ではないかと私は考えております。(ここからは科学ではなく、私の勝手な考えですwしばしお付き合いあください)

あなたがもし数学者としてミレニアム問題を解きたいのであれば多分無理です!

そんな才能ないから!

しかし大学入試とか少し数学を使った仕事に付きたいと言ったレベルであれば努力とやり方でどうとでもなるのかなと私は考えております。

遺伝は一要素ではあるけど全てではない事を今一度確認しておきましょう。

話を戻すと、氏か育ちか問題は「半分くらいが大体遺伝なんだなー」くらいの認識で大丈夫だと思いますが、もっと言うと、やはりこの事に関しては複雑すぎてまだわからない事だらけだと思います。

例えば、身長や体重がほとんど遺伝で決まる事は納得できるでしょう。(意外かもしれませんが体重も身長と同程度の遺伝との相関性を示しています)

さらには近視についても多くの人は遺伝だと思っていると思います。

しかし狩猟採集民族を調べた調査では彼らに近視になる人はほとんどいないことがわかっています。

よって実は近視になる人は近視になる遺伝子でなく、近視を引き起こす環境要因に敏感になる遺伝子を持っている可能性の方が高いと言えるのです。

このように環境と遺伝は双方が複雑に作用しあい形質を決定するものなのです

他の例としてはミーアキャットは子育ての際、生まれて間もない子供には死んだサソリを持ち帰り、少し成長した子供には毒針だけ切り落として生捕にしたサソリで狩の練習をさせ、充分成長している子供にはそのまま生捕にしたサソリで狩の練習をさせるといったように段階的な教育を施すことがわかっています。

しかしこれはミーアキャットが子供のことを考えて出した結論というよりも、ミーアキャットの中には子供の鳴き声を聞き分ける遺伝子が組み込まれていて、成長過程の鳴き声に応じて持ち帰るサソリを変えるようにプログラムされているからだと言われています。

つまり教育すら遺伝や本能に組み込まれているのです。

このように環境と遺伝は複雑に組み合わさり個々の個体の形質を決定するものだという事を再度理解してもらいこのシリーズを読んでいただけると幸いです。

社会性とゲーム理論

次に進化心理学的な私たちの社会性について説明したいと思います。

多くの霊長類と同じように私たちも群で生活していた事は確かです。

その方が単独でいるより捕食者から自分の身を守りやすいからでしょう。

そして社会性があり群を形成する動物たちの多くは互いに協力し群の中のルールを守ります。

まずはそのルールに関する進化心理学的な見解を述べたいと思います。つまりなぜ生物は互いに協力し、ルールを守るのかを説明していきましょう。

そもそも進化心理学的には個々の遺伝子の繁栄にメリットのない形質は淘汰されてしまいます。

つまり群の中で集団生活をし、群の存続のために協力することは、淘汰の結果生き残った人間の形質なのです。

例えば群が捕食者と対峙した事を考えてみましょう。ここで個々の生物には2つの選択肢が与えられます。戦うか逃げるかです。

ここでモデルをシンプルなものにするために。例えばあなたが友達と二人で一人の不良と喧嘩することを想定して話を進めていきましょう。(突拍子もない設定ですが少しお付き合いください。)

このモデルでは自分と友達のそれぞれが、戦うか逃げるかを選択できます。つまりパターンとしては4通り考えられるわけです。

1 自分も友人も戦う
2 自分は戦って友人は逃げる
3 友人は戦い自分は逃げる
4 二人とも逃げる

この場合最も損失、つまり怪我のリスクが少ないのは3でしょう。

なぜなら、ほぼ確実に逃げ切れるからです。

そして最も損失が大きくなるのは2となります。4ではどちらかが不良に捕まる確率を考えると、1の方が4より損失は低いと考えます。わかりやすいように損失をマイナスで数値化してもう一度見直してみましょう。

1 自分も友人も戦う −2
2 自分は戦って友人は逃げる −4
3 友人は戦い自分は逃げる −1
4 二人とも逃げる ー3

損失を右にマイナスの値で表示するとこのようになります。このモデルをゲーム理論では囚人のジレンマと言います。さて、あなたならどう行動しますか?

このゲーム理論についてはこのシリーズではそんなに詳しくはやりません。(私自身もまだゲーム理論は初歩的な事しかわかりませんし・・・)

ここでのあなたの合理的な行動はどちらにしても逃げる事となります。

なぜなら友人が戦うと逃げるのどちらを選択したとしてもあなたにとっては逃げた方が損失が低くなるからです。

つまり個々の個体としては逃げることが最善の選択肢である事がわかるのです。

しかし二人の合計の損失を考えたらどうでしょう。

1 自分も友人も戦う −4
2 自分は戦って友人は逃げる −5
3 友人は戦い自分は逃げる −5
4 二人とも逃げる −6

この二人合計での損失を考えた場合、双方1が最も合理的な判断となります。

これがこの囚人のジレンマの面白いところです。

個人でのインセンティブとしては逃げるが最も合理的ですが、集団の利益は戦うを全員が選ぶことで最も効果が高まるのです。

このジレンマは所謂、社会におけるフリーライダーの問題を引き起こします。フリーライダーとはタダ乗りという意味です。

フリーライダー

例えば会社という組織を例に話を進めていきましょう。会社では社員全員が利益のために最善を尽くした方が全体の利益は高くなり給料も上がっていきます。

しかし社員1人1人からしたら自分だけサボって他の人に頑張っては働いてもらうのが最も得する事になります。

小学校でみんなで跳び箱を運ぶ時と同じですね。

みんなで持てば簡単に運べるのに、手を添えるだでけ持っているふりするやつがいたと思います。(ちなみに私にも覚えがありますw)

そうすると跳び箱も運べて、自分は楽もできて結果的に一番得をするというわけです。

しかし会社でも跳び箱でも、全員がこう考えることで囚人のジレンマ同様、全員の利益が等しく減ることになります。

フリーライダーだらけの会社は倒産し、ずるいやつだけでは跳び箱は持ち上がりもしないというわけです。

つまり何かを成し遂げるためにはここでのテーマである協力が不可欠なわけです。

でもどうやってやりましょう?

個人のインセンティブとしてはフリーライダーになることが合理的なのに人々はどのように協力するでしょうか?

実は人間は進化を通して協力を促す“強力“な武器を何個も取得してきたのです。ここではその武器をご紹介しましょう。

履歴

1つ目の協力を促す武器は履歴です。

人間は過去の協力か裏切りかを記憶して履歴として頭に残しておくことができます。

その履歴はここで例に出した囚人のジレンマというゲームでは大きく結果を左右する要素だと分かっています。

ここでは政治学者アクセルロッドによるコンピュータ・トーナメントの実験をご紹介しましょう。

この実験のポイントは被験者二人に囚人にジレンマのゲームを200回繰り返してもらい自己のポイントの最大化を目指してもらうというものです。

この実験の結果、最もポイントを稼げるのは「しっぺ返し戦略」であるということが分かっています。

この戦略は基本はずっと相手と協力するけど、相手が裏切った次のターンだけは自分も裏切るというものです。

この戦略を取ることは自分の裏切りを相手に協力させる抑止力として働かせることで双方が協力を選ぶターンを増やす戦略なのです。

つまり繰り返しの中での履歴は協力の抑止力となるということです。

2つ目の武器はです。

人類は高い言語能力を有しているため、前述した履歴の情報は広く共有されてしまいます。

そこで「あいつはすぐ裏切るやつだ」なんて噂が広まってしまったら一大事です。なぜなら、そんな噂広まったら群から仲間外れにされる恐れがあるからです。もしそんな事になったら大変でしょう。

人間はそもそも集団で生活しないと狩もできないほどひ弱で捕食者から身を守る身体能力もありません。

サバンナでは群れから外されるはそのまま死に直結するような恐ろしい制裁であったに違いありません。

きっと裏切りをよくする奴は、逆に生き残りにくかったのではないでしょうか?進化心理学的に言えば私たちは裏切りをせずに群から外されなかった祖先たちの子孫とも言えるのかもしれません。

そして私たちが仲間外れにされる事を執拗に怯え、みんなと同じ行動を取ろうとするのはこの名残なのかもしれません。

規範

進化心理学に置いて履歴と噂に続いて人間同士の協力を促した3つ目の武器は規範です。

これは言わば2つ目の噂と制裁を共通の認識、暗黙の了解として共有したものと言えます。

現代社会においても国家には法律があり、各自治体にも条例、企業なら社則、学校なら校則、さらには各家庭の家族ルールに至るまで人類の社会は規範で溢れています。

私がたまに友人とやるオンラインゲームですら「敵を見つけたら、撃つ前に報告する事!」といった規範があるくらいです。

集団の大小に関わらず規範というものは人間社会では存在するのです。

この規範は大抵の場合は大多数にとって有益だから作られるものです。例えば1万年前の人類には敵が来たらみんなで戦えいった規範があったかもしれません。

(前述したようにここでの規範は法律のように明文化されたものではなく暗黙の了解的に近いものでしょう。)そしてこの規範は大多数にとって利益があったものでしょう。

なぜなら戦闘は頭数が多い方が勝利する確率が上がり大きな被害を防ぎやすくなるからです。

ここで前述したようなフリーライダー、つまり自分は傷つかないで仲間にて敵を倒してもらおうという考えの奴が多いと結果的に頭数が少なく、戦闘に負け全滅と言った最悪の被害すら想定できます。

このように、規範は集団全体で共有することでメリットをもたらすようなものになることがほとんどです。

特に狩猟採集民族の社会ではそういった傾向があります。それはこのルールがボトムアップにより制定される事がほとんどだからでしょう。

多くの狩猟採集民族では権力の階層構造は少ないことが分かっています。

逆に農耕民族では権力の階層はより高次のものになる傾向があるのです。

これはそもそも独占できる資産があるかないかの違いでしょう。

余り物の力

農耕民族における小麦や米を栽培するには決まった土地が必要で、さらには保存も効きます。

これにより土地の奪い合いとその土地の権利というものが発生し、支配者が生まれるのが農耕民族の特徴です。

それは日本の歴史でも物語っているでしょう。

要するに農業には土地が必要で、その土地を所有する権力者が土地を農民に貸し、代わりに栽培量を管理すると言った取引が生まれるのです。

この土地を所有しているかどうかの非対称性こそ格差に他なりません。そしてこれは米のような備蓄が可能な作物でなくては成立しません。

例えばすぐ腐るものなら等価交換で食べられるうちにみんなで分け合った方が良いに決まっているからです。

農業は人類の食糧量を飛躍的に大きくしました。それによって“余り“が出てくるようになったのです。

そしてその余りを管理するのはもちろん権力者なのです。

そしてこの格差の中で規範を制定できるのも権力者です。

つまり農耕民族での規範はトップダウン式の権力者に有利なものとなりやすいのです。それは企業も同じでしょう、お金や設備と言った腐らないものを備蓄する機関では、どうしても権力の階層構造は生まれてしまうのでしょう。

しかし狩猟採取民族はそうはいきません。

彼らには所有する土地も保存できる作物も所有していないからです。

事実、狩猟採集民族は威張ったり執拗に命令してくるようになった権力を持とうとする奴に敏感な事が分かっています。

彼らの中には「あいつは狩の戦略を練るのが上手いから、みんなあいつに従った方が上手くいく」といったように信頼されているリーダーはいるのですが、等価交換を提示しない独裁的な権力者はいないのです。

そんな奴がいたとしたら、みんなで陰口叩いて、口裏合わせて追放すれば良いだけの話だからです。

つまりみんなが協力して集団でのメリットを最大化できるボトムアップ式の規範が狩猟採集民族の基本だったのです。

そしてお分かりのように規範には不正者への罰があったのは言うまでもないでしょう。

「剣なき契約はただの言葉だ」とトマス・ホッブズがこう言ったように制裁がなければ守るインセンティブはないわけです。

そしてその規範にもメタ規範といった「規範の規範」があったと政治学者のアクセル・ロッドは言っています。

このメタ規範は罰則しない人は罰する規範のことです。例えばアメリカでは犯罪を目撃したのに通報しないことも犯罪になります。

これは典型的なメタ規範で規範を集団が守る圧力を強めることができます。

もしかしたら私たちの先祖には自分だけ逃げる裏切り者は例え身内でも報告しなきゃいけないといったメタ規範があったかもしれません。

武器

そして規範に続く4つ目の武器は文字通り武器です。

武器は人間が協力する強い圧力になっていたでしょう。

例えば石投げ。15世紀のフランスの探検家であるジャン・ド・ベタンクールは原住民を発見した時の事を

「ほぼ一瞬にして、彼らは我々をコテンパンに打ちのめし、こちらはすぐに安全な場所に戻るしかなかった。飛んできた石のせいでみな頭から血が流れ、腕や足の骨も折れていた。彼らは他の武器の事など何も知らない。にもかかわらず。キリスト教徒よりもはるかに巧みに石を扱って投げた。彼らが投げる石は、まるで石の矢のようだった」

と書き残しています。

このように人類にとって石の投擲は強力な武器であったことを示す文献は多く見られ、実際に野犬に襲えわれそうになった私ですら誰に教わったわけでもなく石投げを武器にしようと考えたぐらい、人類にとって石の投擲は本能に刻まれた大切な武器だったに違いありません。

そしてこの石投げには協力が不可欠です。

石投げは1人でやってもあまり脅威になりません。

この石投げという戦法は複数人が協力してやることで初めて相手に石の雨を降らせることが可能になり強力な武器となります。

つまり人類はそもそも協力を前提にした武器を持って進化してきたとも考えられるのです。

それに投擲という動作には訓練が必要です。

私も小学一年生の頃の体力測定のハンドボール投げでうまく投げることができずに、ボールを地面に叩きつけてしまい、恥ずかしかった覚えがあります。

しかし父親とキャッチボールを頻繁に行っていたような友人は上手にボールを投げていたのを覚えています。

有名人の始球式なんかを見ていてもわかるように上手な投擲には訓練が不可欠なのです。

そしてその訓練には群の中で年長者が子供に教えてあげるような協力が必要でしょう。

つまり人間にとって強力な武器であったであろう、石投げは協力の末に習得でき、協力しないと効果を発揮しない協力依存の武器であったとも考えられるのです。

この記事では履歴、噂、規範、武器を人間の協力する生物に進化させてきた要因と紹介してきましてが他にも複雑な要因が多数あったことは言うまでもないでしょう。何かまた面白い事が分かり次第それの記事にしていきたいと思います。

男女の性差

今日ではジェンダーレスなんて言葉があるように、男女の性差について記事にするのは少しタブーな所もあるかもしれません。

確かに私自身も「男らしさ」とか言われるとあまり良い気がしません。

しかし、やはり男性と女性の考え方は根本的に違うと進化心理学的には言えます。

この記事で書くことはあくまで進化心理学的な考えなので、その事を今一度確認しておきます。

そもそも、人間の思考の性差というものは先天的はものなのか?という議論から始める事にしましょう。

結論としては、全てではもちろんありませんが、ある程度の男女間の思考の差は先天的なものと言えます。

つまり生まれた時から男の子は男の子っぽい考え方をする子が多く、女の子は女の子らしい思考をする子が多いという事です。

ここではケンブリッジ大学の心理学者サイモン・バロン=コーエンらが行った実験をご紹介しましょう。

この実験では生後一日の男児44人と女児58人に女性の顔の画像と機械感のあるモービルの写真を見せ、どちらに強く関心を寄せるかを調べたという実験です。この実験では生まれてまだ24時間しかたっていない新生児ですら男の子は機械に、女の子は女性の顔に関心を寄せるという事がわかっています。

つまり男の子はロボットのおもちゃを好み、女の子は人型の人形のおもちゃを好む事は生まれ瞬間から決まっているとも言えるのです。

さらにもっと変わった実験ではベルベットモンキーという猿ですら雄はパトカーなどの男の子が好きそうなおもちゃに関心を持ち、雌は人形などの女の子が好きそうなおもちゃに強く関心をも持つ事がわかっています。

そしてこの性差は成長するともっと顕著になっていくでしょう。

男の子は剣やピストルといった、大袈裟に言えば、暴力的・競争的なおもちゃを好むようになり、女の子は人形を使ったおままごとのような社交的で慈悲的な遊びを好む傾向を示すようになります。

しかし、環境要因が男の子には「男の子らしさ」を女の子には「女の子らしさ」を強要する圧力が働いているという意見も無視する事はできませんし、一部事実でもあるでしょう。

いわゆる現代フェミニズム思想の土台をなす考え方です。

しかしやはり先天的な性差というものは、環境要因を差し引いても大きいと言えると思います。

それは様々な異なる文化間にも共通する性差というものが見受けられるからです。

この事を説明するのには人類学者のマーガレット・ミードのエピソードが非常に参考となるので、ご紹介させてもらいます。

冗談でしたw

ミードはコロンビア大学の大学院で文化決定論(人間の特性は環境要因、つまり育った文化で決まるという考え)の強い支持者であるフランツ・ボアズの指導を受けていました。

そんなボアズはミードら学生に文化決定論を確証づけるような西欧文化と全く異なる行動を示す文化を見つけるという無理難題な課題を出しました。

そして、ミードもその課題のために東サモアに向かいました。

そこでミードはサモアの若い女の子2人に「欧米では男性の方が性に積極的で、男性が女性をデートに誘うことが多く、逆に女性は少し消極的で男性からデートに誘われる事を待つ事が多いけど、サモアではどうなの?」と聞きました。

それに2人の少女、ファアプアとフォフォアは「サモアでは男性は内気で、女性が男性を性的に追い求める事が多い」と答えました。

しかし、これはファアプアとフォフォアの軽い冗談で、「まさかこんな話を信じるわけがないだろう」と思っての発言でした。

しかし、そのまさかが起こりました。

この事を聞いたミードは有頂天になりました。

課題であった文化決定論を確証づける証言を手に入れたからです。

そしてミードはその発見をもとに「サモアの春」を刊行し、この本はたちまち世界的なベストセラーになり、現代フェミニズムの土台となる文化人類学の古典となりました。

しかしこのサモアでのエピソードはあくまで2人の少女の冗談が発端です。

この事が発覚したのは、86歳になったファアプアがサモアの政府当局者に「あの発言は冗談だった」打ち明けた、60年あまりの月日が経った1988年の事でした。

今では大多数の民俗学的な証拠がサモアの若い男女も欧米の若い男女と変わらず、デートに誘うのは男性で、待つのは女性が多い事を証明しています。

しかしこの先天的な性差は、進化心理学的には性淘汰により色濃くなっていったものに間違いありません。

要するに男性は男性らしい特性を持っていた方が子孫を残しやすく、女性は女性らしい特性を持っていた方が子孫を残しやすかったという事です。

そしてこの性格的な性差が身体的な性差に起因していた事も間違いないでしょう。

身体的な性差と性淘汰

まず男性と女性では生殖のために負わなければならないリスクが違います。

例えば男性が子孫を残すのに必要な時間は15分程度あれば事足りるでしょう。(僕はもう少し早いかも、、、w)

冗談はさておき、極端なことを言えば自然界での生物としての雄は子孫を残すためには射精できる時間分だけリソースを避ければとりあえずは子孫を残すのには充分なのです。

しかも、そのすぐ後ににまた別の相手と性交渉することも可能でしょう。

実際に1人の親から生まれた子供の最多記録はモロッコ皇帝イスマイール残忍王の888人と言われており、もちろん男性です。(しかしこの数字はロンドン大学のドロシー・エイノンらによって女性の妊娠確率などを考慮するといくらか誇張された数字だろうとは言われています)

しかし男性の生殖可能年齢は50年以上ある事を考えれば、理論上絶対に不可能とは言い切れません。

では女性の最多記録は何人なのでしょうか?これはロシアの農夫ヒュードル・ワシリエフの妻の69人だとされています。

これを聞いて多くの人は男性の888人より女性の69人に驚くでしょう。

なぜなら女性が一回の妊娠には一年近くかかり、妊娠可能な年齢も平均的に20〜25年程度なので障害で可能な出産回数はめちゃくちゃ多くて25回程度なのです。

事実この69人は16組の双子に、7組の三子、4組の四子と全てが多胎産だったのです。

このように子孫を残すために割かなければならないリソースには雲泥の差があるのです。

男性は一回15分、回数無制限

女性は一回1年、回数〜25回

次に男女間の性差の中でも最も顕著と言えるのは体のサイズでしょう。

文科省のデータでは日本の男女別の平均身長は

17歳の男子で170.6cm

17歳の女子で157.8cm

となっており、身長は1.1倍で体重は1.2倍程度に平均してなるのが私たち人の性差です。

このように生物の中には性別で体の大きさが全然違うものが多く見られます。

例えば人と同じ霊長類でもゴリラは身長が雄は雌の1.3倍もあり、体重は2倍近くにもなります。逆にテナガザルのオスとメスに身体的なサイズの差はほとんど見られません。

この様に性別によって生物的な特徴が二分される事を性的二型と言います。

皆さんも当たり前のように男性の方が平均的に身長は大きい、つまり人間は身体的なサイズで性的二型を示すという事は知っていたと思います。

しかし、こんな差がなぜ起こりうるかは知っていますか?

ズバリ!身体サイズの性的二型の傾向は夫婦制度で決まるのです。

性的二型と夫婦制度

先ほど例に出した性的二型の傾向が強いゴリラは完全な一夫多妻をとる生物となっています。

逆にテナガザルは完璧に単婚、つまり一夫一妻をとる生き物だと言われているのです。このような生物ごとの身体サイズの性的二型と夫婦制度の複婚傾向には強い相関関係があるとされています。

つまり人間は科学的にはゴリラとテナガザルの間くらいのやや一夫多妻の夫婦制度をとる生物だと言えるのです。

確かには日本や欧米諸国では一夫一妻を採用している国が多いです。

しかしそれはあくまで最近の傾向です。

ユダヤ=キリスト教の伝統が一夫一妻であるという背景の影響が強く、欧米文化では単婚制が先進諸国の主流となっていますが、世界的、歴史的に見ても人間の夫婦制度は明らかに一夫多妻の方が支配的でした。

例えば西洋の影響を受ける以前の伝統文化における人の配偶システムは83.39%もが一夫多妻だったと言われています。

ちなみに残り16.14%が一夫一妻で0.47%が一妻多夫となっております。

そして単婚制を採用している国でさえ、やはり完全な一夫一妻とはなっていません。離婚や再婚、不貞行為の割合を考えると緩い一夫多妻を多くの国は採用してるいるという見方もできるでしょう。

そもそも、多くの人は交際経験や性交渉の経験は複数人と持っている事を考えると、やはり生物学的には人間に完全な単婚は難しいのです。

この複数人と関係を持ちたいという欲求は特に男性には強いことも言わずもがなと言えます。さらに交際経験のある2人に1人が浮気に準ずる行為をした事があるなんてデータさえあるくらいです。

やはり人は生物的には複婚、特に一夫多妻の夫婦制度を持つ生き物なのだと進化心理学では理解してもらって間違いないと思います。

さて、ではなぜこの夫婦制度によって生物は身体的サイズの性的二型を示すのでしょうか?ここではまずその理由を説明する2つの説を紹介したいと思います。(よかったら自分でも考えてみると面白いかもしれません。)

男が大きくなった?

1つ目は「男性が大きくなった説」です。

これは性競争、つまり子孫を残すためには雌との性交渉の権利を雄同士で争わなければなりません。

その競争に勝つに、雄は身体サイズが大きかった方が有利だったというのがこの説です。

つまり身体の大きな雄だけが子孫を残せ、私たちの多くは身体の大きな雄の子孫であるという事です。

しかしこの説には弱点があります。それは身長の遺伝は母親からも引き継ぐという事です。

小柄な母親、大柄な父親からは小柄な娘と大柄な息子が生まれやすいといった事は起こり得ないと双子研究からも実証されています。

つまり身長という形質は男児なら父親から引き継ぎやすいといった事実は確認されていないのです。

そうである以上男女間の身長差は大きくならず、男女ともに平均的に大きくなるように進化していったはずです。

そこで2つ目の説が有力となってきます。それは

「女性が小さくなった説」です。

女性が小さくなった?


この説は、女性が早熟になるような性競争行われてきたのではないかという説です。

ここでの早熟というのは早く初潮を迎えるという事です。

一夫多妻では既婚の男性も2人目、3人目と妻を迎えることができます。

そうすると早く初潮を迎えた女性は村の有力者のような優良男性と結婚できる確率が同世代より高くなります。

よって一夫多妻制では所長を早く迎えたほうが優良男性と結婚できる確率が高くなり、進化心理学的には女性間で初潮を早める性淘汰が起きたと考えられるのです。

逆に一夫一妻の社会では初潮を迎えた女性の相手は同世代にしかいません。

なぜなら年上の優良な男はもう既に妻を迎えている可能性が高いからです。

同世代としか子孫を残す可能性がない一夫一妻では女性間で初潮を早める性競争をするメリットはないと言えます。

そして女性は初潮を迎えると身長はほとんど止まります。

つまり女性が小柄なのは、一夫多妻の社会の中でいち早く優良男性と結婚するために初潮を早く迎える性競争が行われたためと考えられるのです。

多くの文化圏を比較した実験でも男性間の身長はあまり文化圏で変わらないのに女性の身長は一夫多妻の文化圏では小さくなる傾向が確認されています。

メリット

そもそもなんですが、皆さん一夫多妻は男性、女性のどちらにメリットが大きいと思いますか?

もちろんハーレムを築くことができる男性!!ではありません!むしろ一夫多妻は私を含めたw多くのモテない男性にとってはもっと地獄でしょう。

なぜなら一部のモテる男性に多くの女性を独占されてしまうのが一夫多妻ですからです。

それもそうでしょう、なぜなら一夫多妻制は、多くの女性にとって自分も優良男性と結婚できるチャンスが広がるというものです。

女性の妊娠は、最低10ヶ月、育児も含めると何年ものリソースを費やさなければならない過酷なものです。

このリソースを費やすための大事な相手は二番目、三番目の妻だとしても優良男性と行いたい!と思うのは自然な事でしょう。

つまり優良男性が自分も含めた何人とも結婚してくれる一夫多妻では、女性がモテないやつに構う理由はないのです。

逆に一夫一妻なら、優良男性との結婚の枠は狭くなり「結婚できないよりはマシ!」という妥協案でモテない男性にもチャンスが広がるわけです。(日本が一夫一妻でまだ良かったですねww)

男は戦い、女は選ぶ

次に生物学的には一夫多妻よりの夫婦制度をとる人間の男女ごとの心理を解説していきましょう。

前述したように一夫多妻は少数のモテる男性に女性を独占されてしまうので、多くのモテない男性にとってはあまり好ましい状況とは言えません。

しかし、このモテる男性に自分がなれさえすればハーレムとは言わないまでも多く女性と子孫を残す事ができるので性淘汰において自分の遺伝子が未来に残る可能性が高くなります。

逆説的に言えば私たちはこのモテた男性の子孫であるとも言えるのです。女性に選ばれるか否かというモテバトルに身を置いていたとも言える男性は、このバトルに勝利するという競争的なインセンティブが女性より強いのです。

だから男性は何かと比べたがり競争したがるのです。またこの男性同士(同性同士)の性競争で起こる性淘汰を特にを性内淘汰とも言います。

逆に女性は男性をしっかりと選ばなければなりません。

また一方の性別が異性を選ぶことにより起こる性淘汰を性間淘汰と言います。前述したように女性は妊娠、出産、育児に多大なリソースを割かなければなりません。この言い方だと不快に思う方も多くいるでしょう「育児は男性もするものだ!」と。

しかし進化心理学的には育児への協力度は男性の方が低くなると言わざるを得ません。そこには2つの理由があります。

無責任な男

1つ目の理由はママはベイビー、パパはメイビーです。

これはどういう事かというと、男性は常にその子供が自分の子供かどうかの確証を得ていないという事です。

自分が出産する女性はその子に対して自分の子だと強い確信を得る事ができますが、男性は違います。

もしかしたら自分は寝取られ男で自分の子じゃない子を育てている可能性があるのです。

そしてこれは現代社会でも男性にとっては人ごとではない問題な事もわかります。

その確証の強さの差が育児へのモチベーションの差となっているといくのが1つ目の理由です。

面白い事に、男性の育児へのモチベーションを上げるために赤ちゃんはパパ似になるとも言われています。

2つ目は子供の重要度です。(この重要度とは倫理的には好ましくない表現ですが、何度も繰り返すようですが、あくまで進化心理学的にはというのを今一度確認してもらうと幸いです)

前述したように自分の子供の最多数が男性888人に対し女性は69人です。

シンプルに男性の方が子供の数が多くなるので(一夫多妻では特に)一人一人の子供の重要度というものを考えると、どうしても男性の方が低くなってしまうというわけです。

実際に1992年に行われた全米の米国勢調査では離婚後に子供の親権者になるのは86%もが女性だったそうです。

さらには養育費に関しては1991年の調査では元夫が同意した養育費のを全額支払った割合は52%と約半分にしかならず、全く養育費を払っていないパターンは25%にもなっているくらいです。

ここで大切なのは男は育児に対しては、ろくでもない奴ばかりという事です。

しかし育児というものは女性1人に全てを背負わせるにはあまりにも負担が大きいものです。

だからこそ、女性は男性をしっかり見定める必要があったのです。

「この人は育児に割けるリソースを沢山持っていて、協力してくれるのか?」ということを。

上記のデータでも若いカップルほど離婚後、男性が親権者にならなかったり、養育費を払わなかったケースは多いそうです。

それはきっと若い男性ほど経済力が乏しく育児に割けるリソースが少ないからでしょう。

それゆえ女性が男性を選ぶ基準は富に偏りやすいのです。

特に一夫多妻制では村の有力な男性に女性が集中しやすいのです。

しかしこれを全て許容しているわけではもちろんありません。女性としての一番の理想は、多くのリソースを持った男性が自分だけにそのリソースを割いてくれることです。

これが女性にとっての一夫一妻の一番のメリットでもあります。このため女性にも男性のリソースを独り占めしたいという欲求が働き、人間は性的二型的にも一夫多妻と一夫一妻の間の中途半端な位置に淘汰の末、行き着いたのでしょう。

さらにいうと、このパートナーを独り占めしたい、他の相手に取られたくないという性的な嫉妬にも男女差があります。

例えばあなたのパートナーの不倫が発覚したとします。その時、あなたは下のAとBの場合でどちらの場合の方がまだ許せますか?

嫉妬

A「確かに(不倫相手)に気持ちが傾いている、でもまだ肉体関係はない」

B「確かに肉体関係は持った(不倫相手と)、でもまだあなたを愛している」

さて、どうだったでしょうか?きっと男性ならA、女性ならBの方がまだ許せると考えた人が多いと思います。

これもこれも前述した性差に起因するものです。

まず男性は近本的に肉体関係のある浮気の方が許せない傾向があります。それはパートナーに自分以外の男性と肉体関係を持たれてしまうと、ますます自分の子供なのかの確信が弱くなるためです。

つまり男性は育児を頑張る間抜けな寝取られ男になるのを防ぐために肉体関係のある浮気に敏感なのです。

逆に女性は男性が他の女性と肉体関係を持った所で、パートナーと浮気相手との間にできた子供に自分のリソースを割くことはないので、まだ肉体関係のある浮気には男性よりは寛容です。

しかしパートナーの気持ちが自分から離れてしまう事には問題があります。それはパートナーの男性が育児の際に協力してくれる確率が低くなってしまうからです。

シグナル 

次にシグナルについて説明していきたいと思います。

このシグナルとは相手に何かを気づいてもらう為に発信しているヒントのようなものです。

例えば、「笑い」なぜ人は笑うのか?という問いには多くの学説が存在します。その中の一つが「遊戯理論」です。

多くの動物は仲間同士で戯れ合うといった、擬似的な戦闘や狩とも言えような遊びをします。

猫や犬の兄弟、親子が互いに戯れあっている光景は動画などでも見たことがあるでしょう。

このような戯れ合いは言わば遊びであると同時に訓練であるとも考えられます。

その際に、訓練と本番の線引きとは何なのでしょうか?

例えば小中学生の時に同級生(特に男子)が追いかけっこをしたりプロレスごっこをしている姿は見た事があるのではないでしょうか。

そのプロレスごっこと喧嘩の線引きはどこにあるのか。

それはきっと表情ではないでしょうか?

お互いの目尻が下がり、広角が上がっていれば「これは本番の喧嘩ではなく擬似的な喧嘩、つまり遊びなんだ」当人たちも、周りで見ている人も安心できるでしょう。

逆に、互いの目尻が上がり、口角が下がっている、つまり双方が笑っていなければ誰かが止めに来るに違いありません。

このように笑いは「これは遊戯だよ」と相手や周りに知らせるシグナルだというのが笑いの遊戯理論です。

このように生物はいろいろなシグナルを発しながら生きています。

笑いに加え、威嚇もそうでしょう。威嚇は「お前を敵とみなし、攻撃しようとしている」という事を相手に伝えるシグナルでしょうし、見た目だっていわばシグナルです。顔に複数のシワがあり、頭髪が白く染まっている人を見たら、多くの人がこの人は年齢が高いんだと予想するでしょう。これは見た目が年齢を示すシグナルとなっているからです。

そのシグナルには「自分は高い生殖能力がある」事を示す性的シグナルも存在します。

例えば顔の対称性もその一つです。一般に人間の顔は左右対称な方が美男、美女とされていますが、これは顔の対称性は病気や怪我、遺伝性の疾患がない事の証明というシグナルとなっているからでしょう。

実は顔の対称性は発達過程で寄生虫や病原菌の毒素に晒されると損なわれてしまうような完全に先天的なものでもないのです。ここではそんな性的シグナルについて説明していきましょう。

男性の性的シグナル

男性は女性に生殖相手として選んでもらうために「自分の優秀な遺伝子の誇示」と女性に捧げる余裕のある「富・リソースの誇示」というシグナルを示さなければなりません。

例えば、男性に求める3Kは聞いた事があるでしょう。高身長、高学歴、高収入です。実はこの3Kは進化心理学には正しい男性の性的シグナルの分類分けだったと言えるのです。

ここではそんな男性の性的シグナルの例を紹介していきたいと思います。

スタイル(高身長)・・・例えば身長は男性の代表的な性的シグナルです。

栄養状態がよく健康でなければ高身長にはなりません。

この健康であることは遺伝性の疾患がないことの証明であり、栄養状態が良い事はその男性の狩や採取能力の高さと、それを可能にする健康状態を示しています。

さらには筋肉も高い栄養状態や運動能力(狩や採取、戦闘能力)を示すシグナルの一つです。

逆に肥満はマイナスのシグナルとして働いてしまします。

狩猟採取民族では平均的な運動量の高さと摂取できるカロリーの低さから肥満になることは稀です。

つまり太いウエストは肥満ではなく何かしらの疾患やタンパク質の摂取不足により,血液中の水分が血管外に漏出してお腹に水がたまる腹水の可能性が高いのです。

これが健康でないことのシグナルになるのは明らかでしょう。

面白い事に生物の中にはハンディキャップを背負ってまでこの健康を誇示する生物もいます。

例えば孔雀です。孔雀はオスが求愛のため綺麗で目立つ羽根をつけていますが、これは本来自然界では目立ち過ぎてしまい不利です。しかし、もしかしたらその不利になる事が目的なのかもしれません。

つまり孔雀のオスはわざと目立つ羽根を雌にお見せつける事でこんなメッセージを送っているのです。

「私はこんなに目立つというハンディキャップを背負っていながら、ここまで生き残れるほど健康で屈強だよ」と。

知性(高学歴)・・・社会脳仮説において人間は知性の高い方が集団の中で優位に立ち回れる事が多くそのため知性も優れた遺伝子と富の証明にもなります。

例えばユーモアもその一つです。人間のパートナー選びの基準にはユーモアも含まれます。(特に女性がユーモアの高い男性を魅力的に考える傾向が高いです)

これはユーモアは相手がこの発言を聞きどう思うか?をある程度理解しているという知性の高さの証明になるからです。

さらには現代ではこの知性の高さを証明するユーモア以外の方法も誕生しました。

それが資格です。学歴や資格はある一定以上のその分野における知性の高さを証明する指標となっているのです。

富とリソース(高収入)・・・高収入であることは女性に捧げてもあまりあるリソースを持っている事の証明となります。

前述したように女性は育児に協力できるだけの余裕を持った男性に惹かれるものです。

資本主義社会でのそのリソースの最たるものは収入に違いないのでしょう。

もっと言えばそれは、その地位までたどり着ける優秀な遺伝子と知性、健康状態の証明さえも内包しているとさえ言えるでしょう。

現代ではそのリソースの証明に、変わったものもあるので少しご紹介しましょう。

消費・・・ものを買う

これが最もわかりやすい収入というリソースの誇示でしょう。

特にブランド物の服や高級車がそのわかりやすい例です。

それらのブランド物や高級車は他製品と比べて何十倍も質が良いから高いわけではありません。

少なくとも1〜2倍程度の質の良さでしょう。(この質の良さは定量化が難しくあくまで主観的な物ですがご了承ください)しかし値段は他製品の何十倍とする高級品は存在します。

それはきっと高い方が売れるからでしょう。多くの人は4980円のエルメスのバッグやには興味がないのです。

いわば高級品は自分の富の誇示としてもってこいなのでしょう。

芸術・・・面白い事に芸術活動でさえリソースの誇示と言えるのです。

これは多くの芸術活動が生きるためには不必要な事だからです。

これも前述した孔雀の例と似ているのですが芸術活動に時間を割くことにより「私は生きるための活動以外にもリソースを費やせるほど、リソースに余裕がある」という証明に芸術はなっているのです。

例えば自然界でもニワシドリ、特にチャイロニワシドリという鳥のオスはメスを惹きつけるために自身の体長の10倍もにもなる高さ2.7mもの建造物を草木から作ります。

この事でチャイロニワシドリの雄は「こんな大きな巣を作れるほど俺はリソースに余裕があるんだ」と言うことを雌に示しているのでしょう。

この生きるのに必要ない事は自身のリソースを示すにはもってこいです。例えば花束は食べられず、生きるためには必要ありませんがプレゼントとしては喜ばれます。これは花束という生きるのに必要のないものを手に入れる事ができる、余裕の誇示という意味合いもあるのでしょう。

ここまで男性の性的シグナルである3Kや芸術について説明しましたが、男性はあくまでそれで競争しているという事がここでは大切です。

順位が大切

つまり競争なのであくまで絶対的な評価より性競争においては相対的な評価の方が大切なのです。

例えば自分がいかに優れたオスであっても、群の中に自分よりもっと優れたオスがいるのでは何の意味もありません。

なぜなら自分より優れたオスに群の中のメスを独占されてしまうからです。

逆に自分が絶対的には優れてなかったとしても群の中での順位が高ければ、メスは自分を選ばざるを得ないので子孫を多く残せます。

このように人間の性競争は常に相対的なのなのです。

その相対的な競争は青天井です。

それを示す良い例が1992年のアメリカ証券取引所の新たな取り決めの例でしょう。

この取り決めは企業の役員報酬を明確にするというものでした。

こうすることによって当時、通常の従業員の100倍にまで膨れあっていたCEOの報酬の賃金格差を明るみに出すことで、格差解消の圧力を作る事でした。

しかしこの改正は反対にこの格差を200倍にも膨らませる結果となりました。

なぜそんな事が起こったのでしょうか?

それはCEOたちに他の企業のCEOと賃金を比べさせてしまったからです。

つまり各CEOが会社内の賃金競争から、会社同士の賃金競争に比較対象を広げさせてしまった事でさらに格差を大きくなってしまったのです。

富の性競争はこのように青天井でどんなに自分が優れていても順位が低いと人間は満足しない生き物なのです。

美の条件

ここでそもそもなんですが、イケメンや美女を決める要素ってなんだと思いますか?一つは前述したように左右対称性でしょう。

では他には何が重要で、もっというと美しい顔とはどんな特徴を持った顔なのでしょうか?

実は美しい顔とは特徴が特にない顔、つまり平均的な顔と言えるのです。

これについては確かに思い当たる節があると思います。

美人やイケメンの顔は大きすぎず、小さすぎない平均的な大きさの顔のパーツが、上すぎず、下すぎもしない平均的な位置にある顔であると言えるわけです。

なぜ私たちが平均的な顔を好むのかは諸説あるようですが、平均的な顔は遺伝的な多様性を証明しているらという説が有力でしょう。

遺伝的に多様性のあるということはより多くの寄生虫に抗体を持っていたりと健康上に問題がない可能性が高いという事です。

さらには潜在性遺伝病の遺伝子を2つ持っている可能性も少ないでしょう。

逆に言えば私たちは遺伝的多様性が少ない特徴を魅力的に思わないとも取れるのです。では遺伝的多様性はどのような状況で少なくなるでしょう?

ここで少し話を脱線し、潜在性遺伝病と近親交配という少しセンセーショナルな話題に踏み込みましょう。まずは潜在性遺伝病について説明したいと思います。

近親交配

この潜在性遺伝病の遺伝子とは両親がともにその遺伝子を持っている時のみ25%で発病する病気を引き起こす遺伝子の事です。(つまり遺伝的に劣勢という事です)

例えばテイ=サックス病がその一つです。

この病気は生後6ヶ月以内に発症し、視覚、聴覚、嚥下能力を低下させ、最終的なは動くこともままならない状態で死に至る病気です。

このテイ=サックス病の遺伝子の保因率は0.5%つまり200人に1人と言われています。

そしてその保因者がたまたま(0.5%の同じ)保因者との間に子供を作ると、その子供にが25%(両親からそれぞれの特定の遺伝子が遺伝する確率)の確率でテイ=サックス病を引き起こします。つまり両親ともに保因者の確率が0.0025%(0.5%の0.5%だから)でさらにこの間の子がテイ=サックス病を発症する確率はその4分の1(25%だから)自身の子供がこのテイ=サックス病を発症する確率は0.000625%と非常に低い発症率となり、一般人が発症する事は非常に稀と言えます。(100万人中に6人)

しかしある条件下でこの発症率は劇的に上がります。

そしてこれが生物にとって遺伝的な多様性が重要視されるもう一つの理由となります。その条件下とは近親交配が起こった場合です。

例えば自身の子供である兄妹(この兄妹はどちらも、テイサックス病を発症していないと仮定します。)が近親交配を行ったとします。そのときにその兄妹間で出来た子供の発症率は0.062%と一般事例の約100倍にもなります。

そして何も潜在性遺伝病はテイ=サックス病だけではありません。

他にも嚢胞性線維症など、私たちは皆発症すると命に関わる劣勢遺伝子を3〜5つは持っていると推定されています。

そしてこの近親交配はそんな全ての潜在遺伝病のリスクを大きく上げる事になるのです。

よって私たちには兄妹といった幼い頃から一緒にいたような異性に性的興奮をしずらくなる近親交配を防ぐ性格特性が身についているのです。

これはフィンランドの人類学者であるエドワード・ウェスターマークが提唱したもので、事実、一緒に育った兄妹同士は幼児期に分かれて別々に育った兄妹同士に比べて、思春期以降に性交する確率が低くなることもわかっています。(すごい、研究だな・・)

この近親交配を防ぐシステムは、集団で生活する動物には多く見られ、最も一般的なのオスかメスのどちらかが育った群を離れ、別の群に加わるというものです。例えばチンパンジーはメスが成獣になったら、生まれ育った集団を出ていくという性質を持っています。

現に人間の祖先であるアウストラロピテクスのメスも成人になると集団から離れて別の集団で生活していたであろうという証拠も見つかっています。(アウストラロピテクスの男性の歯と女性の歯の化石を比べて、歯の中に含まれるストロンチウムという金属の同位体がその化石が見つかった地域と一致するかを調べて、女性の場合、一致しない事が多いことから、女性は他の地域から移住してきたと考えられる。というのがこの証拠です)

男女平等のこの世の中では古臭い考えかもしれませんが、女性が嫁に行くという風習もこの育った環境を女性は出ていくという進化心理学的な心理を反映しているのかもしれません。

女性の性的シグナル

男性同様、女性も生殖においてはもちろん男性に選んでもらえるように性的シグナルを発します。

では女性はどんな性的シグナルを男性に送り、男性は女性のどんな性的シグナルにより強い関心を寄せるのでしょうか?

男性が最も性的な関心を寄せる女性の性的シグナルは、若さでしょう。

それは若い女性の方が繁殖能力が高く、他産だからです。

人の女性は平均的に11歳前後に初経を迎え、50歳前後に閉経を迎えます。

その間の40年前後が繁殖可能な年齢と言えます。

特に繁殖能力は20代でピークを迎え、年齢が高くなるほど卵子が老化し受精卵の染色体異常が増加するため、生まれてくる子供のダウン症などの発生率が高まり、流産や早産、死産のリスクが増加します。

さらに高齢でかつ初産の場合は産道や子宮口が硬くなっているため難産になりやすく、帝王切開になる確率が高くなります。

つまり進化心理学的に言えば、若い女性と年配の女性が好きな男性の2人を比べた時に、若い女性を好む男性の方が、高齢出産というリスクを背負っている熟女好きの男性より子孫を残しやすかったと言えるのです。

その淘汰により、現在では若い女性を好む男性ばかりが残ったというわけです。

そこで大切になってくるのは、その年齢の証明です。

戸籍も住民登録もない1万年前は、誰しもが年齢を把握してはいなかったのです。

記録がなければ他人の年齢はもちろん、自分の年齢でさえわかりません。

もっと言うと年齢や暦という概念すらありません。

そんな中で男性は女性の年齢をある程度は性格に掴むために、女性から発せられるいくつかの年齢を示す性的シグナルに性的興奮を抱くようになりました。

ここではそんな女性が発する性的シグナルを進化心理学的に説明していきたいと思います。

アニメ乳が好きなんじゃい!


このアニメ乳とは、ある番組でお笑い芸人の千鳥のノブさんが女性の大きい胸を表現した冗談です。

確かに漫画やアニメの女性は、男の夢が詰まったような体型をしていますねww
わかりやすい例が尾田栄一郎先生の 「ワンピース」に出てくる女性の体型でしょう。

大きい胸!!!(しかも全然垂れていない←ココが重要)、細いウエスト、大きなお尻!いわゆる、ボン!キュッ!ボン!な砂時計のような体型をしています。

そして、その体型は男性が性的魅力を感じるものでもあるのです。

それは、それらのシグナルが若さを含めた女性の繁殖能力の高さを示しているからです。

まずは大きな胸について、なぜ男は“垂れていない“巨乳が好きなのかを解説していきましょう。

実はこの問題は長い期間、納得のいくような答えが得られない問題でした。
しかし1990年代後半にハーバード大学の人類学者であるフランク・マーローの優れた見解を残してくれています。

それは大きな胸は若さの指標として優れているからです。

なぜなら高齢で大きな胸を垂れずに維持することは難しいからです。

つまり垂れていない大きな胸を持った女性は男性にとっては若さの証明書がついてくる女性のようなものなのです。

次はウエスト・ヒップ比についてです。

このウエスト・ヒップ比は言葉の通り、ウエストサイズをヒップサイズで割ったものです。

テキサス大学の研究ではほとんどの男性はこのウエスト・ヒップ比が低い、つまりウエストが細くてお尻が大きい女性を好む事が分かっています。

逆に女性はこのウエストが細い男性より、ウエスト・ヒップ比が1、つまりウエストとヒップが同じくらいの男性を好む傾向があったそうです。

この理由としては前述したように細いウエストを維持している女性は糖尿病、高血圧、心臓病などの病気のリスクが低く、栄養失調による腹水も見られないからでしょう。

またウエスト・ヒップ比が低い女性は重症な生殖ホルモンの分泌量が高く、多産な傾向があることも分かっています。

さらにはわずかながら、女性のヒップ・ウエスト比は月経周期にも影響を受け、排卵日に最も低くなることも分かっています。

昔の欧米社会でも心肺機能や骨格に影響を与えるほどキツいコルセットをしてまでウエストを細く見せようとしたり、現代でも補正下着をつけたり、過剰なダイエットやヒップラインを綺麗にするためのお尻の筋トレをするといった、ヒップ・ウエスト比を少しでも低く見せようという慣習は今も昔も女性に多く見られます。

これはヒップ・ウエスト比が進化心理学的に重要な性的シグナルであったという事に起因するのでしょう。

次に長い髪です。

多くの文化圏でも髪を伸ばすのは圧倒的に女性が多いです。

さらには女性間でもショートヘアよりロングヘアの方が多いように思えます。

やはり、街を歩いていてもやはりロングヘアの女性の方が多いでしょう。

しかも、年齢別でも若い女性の方が、年配の女性よりロングヘア率が高い事がわかります。

これは髪は年齢や健康状態を色こく反映するからです。

髪は基本的に生命維持に重要な役割を持っていません。

それゆえ、人は病気になったり栄養状態が乏しくなると、髪にいくはずだった栄養を他のところに送るようになるのです。

つまり健康でなければ艶ののある髪を維持できなくなるのです。

さらには、人間の髪は一年で15cmくらいしか伸びません。

つまり、艶のある60cmの髪の毛は、過去4年間は健康であったことの証明になるのです。

さらにはこの髪の艶は年齢を重ねるごとに維持するのが難しくなってきます。

よって、艶のある長い髪は健康で若い女性の証明でもあったのです。

最後に人の女性の閉経後についての説明をしましょう。

多くの霊長類は出産ができなくなる年齢と寿命がほぼ一致するようになっています。
しかし霊長類の中でもヒトだけは閉経、つまり出産ができなくなる年齢を過ぎても30年以上も人生が続きます。

これはヒトが進化の過程で女性が孫に目を向ける事に成功したからです。

1702年から1823年までのフィンランドの異なる5つの農村や漁村の記録を調べた研究では、育児に祖母の助けがある場合、子供が幼少期を生き残る確率と次の出産までのスパンが短くなる事が確認されています。

つまり、おばあちゃんが育児を手伝うことが女性に閉経とその後の人生をもたらしたとも考えられているのです。

自己欺瞞

自然淘汰と性淘汰により、私たちは互いに協力し合い、それと同時に異性を巡って競い合い、時には異性を見てムラムラする、そんな心理を持つようになりました。

そして、それらの心理を持つに至るまでの進化心理学的な理由も多々紹介してきたと思います。

しかし、多くの進化心理学者文化人類学者、ゲーム理論学者がその理由を推察するまではなぜ我々が互いに協力や競争、性的興奮をするかの理由なんて知るよしもなかったし、気にもとめなかったと思います。

つまり自分の衝動や行動を起こす理由を、私達自身も理解してないのです。

なんとなく仲間を助け、なんとなく他人と張り合い、なんか知らんけど異性を見るとムラムラする。

そして理由はわからないけど、理由がないと変だから何か理由をでっち上げる。
そんなふうに私たちは自分がその行動を起こす本当の理由を、自分自身から知らされていない場合も多いのです。

こんな自分が自分を騙す、自己欺瞞が私たちの心理の一つなのです。

ここからはそんな自己欺瞞についての説明をしていきたいと思います。

フロイト曰く、このような自己欺瞞は防衛のためだと言われていました。

人間自身の性悪の性質や醜い動機付けから目を逸らし、最もらしい理由にすり替えることで、自分自身を正当化し不安や苦痛から守るのが自己欺瞞の役割であるというのがこの考え方です。

自己欺瞞の心理学の第一人者であるハロルド・サッカイムは以下のように説明しています。

「鬱状態の人は自分や社会について、社会がどれほど残酷で、自分もどれだけ他者に酷いことをしてきたか正しく認識しています。ですから、私たちが彼らにできる支援は、彼らが間違える手助けをすることなのかもしれません」

この自己防衛という考え方は部分的には納得いくものですが、進化心理学的にはまだ不十分です。

なぜならこの自己欺瞞が淘汰されずに今に残った理由の説明が不十分だからです。

近年では自己欺瞞は“巧みな情報操作“であると考えられています。

これは、他人を欺くには、まず味方から欺く。もっと言えば自分すら欺いた方が上手くいくことが多かったから、自己欺瞞は現代に残っているのではないか?という考え方です。

例えば、男性が女性に優しくするのには「優しいふりをしとけば、ワンチャンSEXできるかも」という下心があると、ほとんどの場合で言えると思います。
進化心理学的には、女性は自分にリソースを割いてくれる男性を、育児に協力してくれそうな男性として信用します。

よって優しい男性に惹かれるものなのです。

それならば、男性は、進化心理学的には(あくまで、進化心理学的にはですよ・・・)優しいふりを偽装して、やる事やって子育ては放棄した方が得なのです。(子孫は残し、さらに子育てにかかるリソースを節約できるから)

しかし女性は女性で、そんなヤリ目男を見分けるために進化してきたとも予想できます。

それにより男性、もといヒトはそれに対抗して嘘を上手くつけるように進化してきました。

その嘘を上手つく方法こそが、嘘を本当だと自分自身が信じ込むこと。

つまり自己欺瞞だったと考えられるのです。

その瞬間は本当に人生をその女性に捧げたい!と男性自信も信じ込んでいるとしたら、女性にヤリ目男を見分けることは不可能です。

なぜならその瞬間には自分への愛に誠実な男性しか存在しないからです。

しかし少し時間が経ち、他に好きな人が出来たとでも言って、別れることになったとしたら、それは結果的にはやるだけやってトンズラした事と変わりありません。

これが自己欺瞞が淘汰によって残ったと考えられる理由です。

何か裏の理由があったとしても、自分自身もその理由に気がついてない方が他人を欺きやすかったというわけです。

この自己欺瞞には4つの典型的なタイプがあるとケヴィン・シムラーとロビン・ハンソンの著書「人が自分をだます理由」には書かれています。

その4タイプとは、狂人、忠臣、チアリーダー、詐欺師です。

自己欺瞞の四タイプ

狂人とは競争において相手を臆すさせるのに有効な自己欺瞞です。

例えば不良漫画でよく出てくるチキンレース(バイクや車で正面から突っ込み先にハンドルを切った方が負け)で「何がなんでもハンドルを切らない!!何ならハンドルを握りも絶対にしない!!」と相手に伝える、これはいわば狂人型の自己欺瞞です。

この時、相手に「こいつはイカれてるから、本当にそのつもりだ」と思わせられれば、相手もイカれてない限りはチキンレースで勝負する事ができるでしょう。

この狂人タイプの自己欺瞞はスポーツなんかでもよく見られるます。

例えば野球で、最初からフォアボールをだけを狙って振る気のないバッターはピッチャーにとって怖くないでしょうし、サッカーでゴール前でもパスを回すことしか考えてないフォアードはキーパーにとってそれほど脅威ではありません。

いつでも本塁打やゴールを“本気で“狙っている選手だからこそ、フォアボールを誘発させる事も、ゴール前でのパスが活かす事もできるのです。

忠臣は相手の信頼を得るために「自分は味方だ」と自分自身も盲信するという自己欺瞞です。

私たちは友人に「お前といるとメリットがあるから友達でいる』と言われるより「理由なんかないよ!友達は友達でしょ」と言われた方が忠義のような信頼を感じる事は往々にあります。

「大した理由がないけど、あなたについていきます。だってあなたに忠義を誓ったから」といった忠臣タイプの自己欺瞞は相手との関係性を強めるのに有効です。

チアリーダーは相手の考えを変えるために、まず自分が熱烈にそれを信じるといった自己欺瞞です。

自信に溢れる起業家は、自信のない起業家より多くの投資家を惹きつける事がわかっています。

人は誰かが強く信じている事を信じやすくなります。

「この人がこんなに強く信じているのだから真実なのだろう」と思うわけです。

逆説的に言うと、人を意見を変えたいなら、まず自分がその意見を熱烈に信じなければいけないという事でしょう。

最後に詐欺師は。

動機を偽ることで断罪を回避する自己欺瞞です。

人への親切も悪く言えばゴマすりとも取れたり、浮気だって情熱的な純愛と捉える事ができるように、ほとんどの行動には両義性があります。

詐欺師タイプの自己欺瞞はこのような両義性のある行動において社会的に断罪されにくそうな理由を自分自身が本気で信じることで、社会的な断罪を回避しようとする自己欺瞞です。

自分自身がこれはゴマすりではなく親切で、浮気ではなく純愛だと信じることで、周りにもそれを認めさせやすくなるという事です。

ここまで自己欺瞞、つまり自分で自分をだます事は人間の心理では当たり前に行われます。

これは脳科学や心理学的には騙しているのというよりも、本当に知らなかったり情報が共有されていないという場合の方が多いです。

ここではそんな脳科学的な話を少し脱線して考えてみましょう。

心の社会

そもそも、人間の脳というものは前頭葉や海馬といったいろいろな部位に分かれており、それぞれの部位が少しずつ異なる情報処理を行うことで筋肉を動かすといった単純なものから、数学的な抽象的が概念を思考するといった複雑なものまで。ざまざまな情報処理を行えるようになっています

このように脳は何十万もの異なる部位(モジュール)が寄り集まった構造をしていると考えられるのです。

心理学者はこの事をモジュール性なんて言ったりするそうです。
あるいは人工知能研究者のマーヴィン・ミンスキーは「心の社会」と表現しました。

私は個人的にこの表現の方がしっくりするような気がします。

要するに人間の心にはたった1人の「自分」がいるというよりも。丁度、ディズニー映画の「インサイド・ヘッド」のように、複数人の議会制になっていると考えた方がしっくりくるのです。

社会と同じように人間の心というのは各モジュールが互いに繋がりながら、かつ部分的は隔離されているという事です。

このような全ての情報が共有されているわけではない仕組みでは、その情報の非共有による自己欺瞞が起こってしまっても全くおかしな話ではないのです。

例えばわかりやすい例が盲視と言われる症状でしょう。

盲視とは視覚野脳卒中などが起きるなどで、脳の一部に損傷を負ってしまった場合にまれに起こる症状です。

この盲視の患者は何も見えないと断言します。

しかし目がなくなってしまい、光を感覚として受け取れなくなった訳ではありません。

つまり感覚は脳に届いているけど、認識はできないという状態に近いと言えるのでしょう。

事実、この盲視の患者に教材用のカードを見せ、何を見たかを尋ねる実験では偶然よりは良い結果を出すことがわかっています。

つまり盲視という症状は、心の社会で例えると、情報を受け取る人は働いているけど、その受け取った情報を“頭の中で考えていること“として認知する役割の人は働いていない、そんな状態に近いのでしょう。

しかし、なんとなくこの感覚は理解するのが難しいものと言えます。

それは、感覚(見る)→認識(見たものの理解)→判断(カードから選ぶ)という流れの中で認識のフェーズだけ抜け落ちてしまうと、判断の理由に整合性が取れなくなってしまうからでしょう。

これを判断したのに、その理由は認識できない。

それは健常者にとっては理解しようにも難しい事です。

しかしこんな時私たちの脳は「理由はないけど、多分こう!」と第六感的な答えを出したりしません。

脳は理由がない時は理由をでっち上げることがあるのです。
それを心理学的に作話と言ったりします。

次にそんな作話について説明していきたいと思います。

作り話

この作話については分離脳患者を対象にした実験が有名です。

分離脳患者とは医学的な理由から脳の左脳と右脳をつなぐ神経を断ち切る外科手術である脳梁離断術を受けた患者の事を指します。

そんな手術して大丈夫なの?と思われると思いますが、1970年以前までは、あまり大きな問題は起こらないと考えられていました。

しかし1970年代初頭に神経科学者のロジャー・スペリーとマイケル・ガザニガが分離脳患者にある実験を行なった事で、事態は変わりました。

分離脳患者には変わった形の本人にも認識できない不自由があったのです。

通常、脳は左半分の情報を右脳で右半分の情報を左脳で処理します。

さらに発言や説明は左脳の役割というのも重要な事なので覚えておいて下さい。
ここでスペリーらは分離脳患者の左耳から「立ち上がって、ドアの方に歩いて」と指示をだしました。(左耳だから、右脳に指示を出した言えます)
そして被験者が指示に従い、ドアの方へ歩いていくと、スペリーらは大きな声で被験者に「何をしているのか?」と尋ねました。

すると分離脳患者はこう答えたそうです。

「コーラを取りに行きたかった」と

これは一見すると意味がわかりません。

あなたが被験者なら「あなたがそう指示したんでしょう?」と聞き返すのが普通でしょう。

しかし分離脳患者にはそれができません。

なぜなら右脳で受け取った理由が説明の役割を持つ左脳に届いてないからです。

そこまでは理屈はわかります。

しかし、それなら被験者の反応は「わからない」が正しいでしょう。

ですが、左脳はそうはしなかったのです。

あろうことか左脳は「コーラを取りに行きたかった」という嘘の理由をでっちあげたのです。

これが所謂心理学における作話という現象です。

私たちの脳は私たち自身にも嘘の理由を報告している可能性があるのです。

この奇妙な理由づけは右脳の脳卒中などによって時々発症する障害否認でも見ることができます。

右脳の脳卒中には左手の麻痺といった症状が見られるのですが、奇妙な事に左手が上がらない事を頑なに否定し言い訳するという患者が見られるのです。

ある患者は「なんとなく動かしたくない」と
ある患者は医師の「両手を挙げるように」という指示に対して自分の右手しか挙がっていない理由を「右手を上げているので、左手を下げてバランスをとっています」と説明したそうです。

これらの作話の例は特異的な例だと思うかもしれません。

しかしこの作話の共通点として被験者は自身が作話したということに気がついていないという事です。

私たちにも自分の行動の理由を説明する機会は多々あります。

「なぜ、この仕事を選んだのか?」「なぜ、この政党に投票したのか?」「なぜ、彼と結婚したのか?」

それらの理由のうちどのくらいの理由が正しいのか?私たちには知るよしもないという事です。

進化心理学的な自己欺瞞もこんな巧みな動機隠しと言えるのです。

終わりに

今回は進化心理学についての記事を書かして頂きました。

大きな声では言えないようなセンシティブな内容もありましたが、しかしあくまで進化心理学は絶対的な真実ではありません。

戦争や差別のような愚かな行いもするのも人間で、それらの行いを戒めるのも人間であるように、全てにおいて複雑な側面を持つのが私たち人間なのです。

この記事を読んで下さった皆様には、その1つの側面として進化心理学を捉えていただけたら幸いです。

最後に参考文献をのせておきます。







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