力みと気合の差
こんにちは。今日は誕生日なので「気合」について改めて。
「気合」ってなんだろう(n回目)
がむしゃらに頑張る、リラックスする、というフェーズを経て、現在は再び「気合」について考えることが増えています。
もちろんここまでの学びを一切否定して考えるわけではありません。
ただ、自分の思考の根幹には気合や根性論などが存在し、その見え方が最近の経験値によって変わってきた、という話です。
心身バランスの取れた充実感
私(のnoteでは)「力みを減らす」を大きな課題としていますが、これと今考える「気合」とは何が違うのか。
これを問う上では「そもそもなぜ力む必要があるのか」を考えると良かったのかもしれません。
今現在で思いついたのは、言い換えればバランスの悪い状態に対し、「力み」を用いてつじつま合わせをしないといけない、という思考でした。
ここ数ヶ月の私には平日と休日でのメリハリの付いた活動で体力を、人との交流を通して心を充実させ、それなりにバランスを取り直してきた実感があります。
つまり、自分のエネルギーを「力み」に使う必要がなくなってきていると言えそうです。
力みは調整、気合は底上げ
心身のバランスを取るための力みは天秤の左右を調整することに似ていると思います。
心が高いから身体にエネルギーを振る。今度は身体が強いから心に、としてても完全に釣り合う状態はそうそう作れません。
対して、多少不釣り合いな現状を自然なものとし、天秤をちょっとした木箱にでも置き直したら、心身関係なく一時的に天秤全体の高さが上昇する。これが「気合」だと思っています。
微妙な不釣り合いを許す
とはいえ「不釣り合いを自然なものとする」をどうすれば実現できるかは私の中でもはっきりしていませんし、自分自身でもいつこの状態が崩れてもおかしくはないと思っています。
一つ言えることは「経験は無駄にはならない」ということです。
この経験には成功失敗などの目に見える結果だけではなく、その時の状況も含みます。
ちょっと調子が悪かったけど周りからは絶賛された、逆に成功を確信していたのに失敗したことも大きな学びです。
これらを集めていくことでちょっとした不釣り合いに過剰に反応しない自分ができていく、と現時点では考えています。
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