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センサーの向きと集めるデータ

こんにちは。今日は「知覚」について。


周りを気にしていないと落ち着かない?

周りをしっかり見ていてよく気が利く人、というのはいると思いますが、周りが見えすぎて落ち着かない人もいると思います。

かくいう私は自分は後者寄りかな、と思っていまして、常に周りに気を張っていないとどうにも落ち着かないんですよね。

ただし、そうして気を張っていることが疲労につながる側面もあるので、この特徴には少し注意して向き合いたいと思っています。

……ところで、この「気を張っている」結果、私は何をしたいんでしょうかね。

気を張って得たもの

おそらく私は「周囲で起こっていることを知って安心したい」のだと思いますが、この文言の意味を歪んで考えている気がします。

つまり、「周囲で自分にどんな悪評が立っているかを知り、それがないように立ち回ることで悪く思われる状況になりたくない」という話です。

この思考の最大の歪みポイントは「自分が悪く見られている」ことを前提に考えている点です。

この前提で周囲を気にすることは、自分の悪い点をわざわざ探し回ることに等しいです。

「周囲から自分が悪く見られない」ように悪い情報を集める行為は行き過ぎないように監視する必要があるでしょう。

どんなデータを・どこから集めるか

ここで仮に周囲から集めるデータを変え、「周囲から見た自分の長所を集め、それが活きるように生きていく」ならどうでしょう。

前述までの話よりもメンタルは良好になると思いますし、長所を伸ばし、副次効果で短所をカバーすることにも寄与すると想像できます。

少なくともさっきよりは「周囲から自分がよく見られる」可能性が上がりそうです。

次にデータを集める方向を変えて「自分から見た自分の強みを集める」ことで「自分から自分がよく見られる」とするならどうなるか。

周囲から見た長所には自分が属する環境にある先入観が作用しますから、その影響を排除することが可能になります。

センサーを向けるべきはどこか

ここまでの3つの話で、
「周囲から自分が悪く見られない」=他己否定(の回避)
「周囲から自分がよく見られる」=他己肯定
「自分から自分がよく見られる」=自己肯定
に通じる話をしましたが、結局どれが正しい、というのは無いと思っています。都合の悪い前提は設けず、かつバランスが大事、というやつです。

ただ、バランスが大事と言いつつも個人的には最後の「自己肯定」が一番重要で難易度が高いと思います。

他己肯定も悪くはないのですが、周囲の人は変わって当然。自分への印象もそれに合わせて変わってしまいます。

ですが、自分は良くも悪くも自分一人のもので不変とするならば、そこから肯定されることは、肯定のエネルギーを安定供給することに繋がりそうです。

そんなわけで、外に向けて気を張ることに加えて、内側に対しても気を張ることをちょっと試してみたくなりましたとさ。

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