真面目に、飄々と。

こんにちは。今日は「自分」について。


真面目は弱み?

私はいつの時期からか真面目と言われ始め、そのままの自己認識でこれまでの人生を生きてきました。

ですが年を経るにつれ、「真面目」が弱みであると言われたり、思ったりするようになりました。

その時期から私が憧れていたのが「要領がよく、人の思い付かない策を用いて問題を解決できる飄々とした人」という像だったように思います。

それ以来そのビジョンをあまり深く考えることなく最近まで過ごしていました。

隣の芝は青い

しかしここで、真面目さは本当に弱みなのか、と言う議論がありまして。

真面目であるからこそ得ているもの…他者からの信頼や受容を捨てる、と考えると、真面目な人から飄々とした人に転身することは簡単ではありません。

思考が混乱する中、結局私は人格を通して何を得たいのかに立ち返るため「飄々とした人」で検索してみました。

結果出てきたのは、執着しない、こだわりを持たない、周りからの印象を気にしない、型にはまらない、それでいて自分の価値観ははっきりしていて、視野が広い。

そういった人はミステリアスで感情に流されず、孤独を気にせず、思考に軸がありつつも柔軟である。

私はここまで調べていて思ったのです。

「自分は飄々とする人になって何が得たいんだろう」と。

自分の欲しいもの

そもそも自分の価値観がしっかりしている、軸がありつつ柔軟である、執着しない、周りからの印象を気にしないなどは真面目な自分であっても実現可能です。

真面目な自分は「物事に真剣に取り組む」という価値観を持っていて、そのためなら視野の広さも柔軟性もあるし、執着や周りからの印象も気はしないのかな、と。

よって、飄々とした自分を目指すよりも、既存の真面目さをいい感じに発露する、その工夫こそ、私がやるべきことなのでは⁉︎ となったわけです。

またそれとは逆に「飄々とした自分」を目指したとして「飄々としている」ことへのこだわりに囚われてしまうケースもある気がします。

そうなるくらいならいっそ真面目を貫いて、真面目に囚われていることも自覚して、それでも必要なときには自分を縛る鎖をちぎって出ていける。

そんな姿が良いのではないかな、と。

自覚しないと分析はできない

この話からはもう一つ良い学びがありました。それは現状・なりたいビジョンを明確に・具体的にすることの重要性です。

これまでのわたしの心には「真面目さは弱点である」「飄々とした人には魅力がある」という前提条件がありました。

今回はそこに対して「それは本当だろうか?」と問を投げてみたわけです。

そこからは過去の自分が言われてきた真面目さの要素分解をしたりネットサーフィンで材料を集めたりしました。

これは不確定な現状・不足している情報を自覚したからこそ生じた動きであり、そこからこのnoteによる解決までは1日もかかっていません。

自覚さえゲットすれば数時間で結論まで持っていけるだけのポテンシャルがあったわけです。

これへの反論として「自覚することは簡単なことではないよ」というのは確かにそうなんですが、分析したいことが脳に上がってこないときに自覚不足を疑うのは一つの手段だと思います。

基礎的な定義やデータを洗い直す、問い直す。これだけで解決に一歩踏み出せるケース、案外多いのではないでしょうか。

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