(開始の)早さと(作業の)速さについて改めて考えてみる
こんにちは。今日は「早さ/速さ」について。どっちも大事ですよね。
やっぱり早く始めるのが正義?
皆さんは何かの課題に取り組むとき、スタートする早さと作業の速さのどちらがほしいと思いますか?
早く始めても速く進めればかかる時間は同じになるかもしれませんが、速さを発揮するのは結構疲れるものだったりします。
もっと言えば、早く始めておくことで課題にかける時間を無意識に増やすことができます。
速くできるからと言ってラスト一日で仕上げる人に対し、それより三日早く始める人は、少なくともプラス三日分のニュースを判断材料にできるわけです。
そんなわけで、一般的には速さは早さを超えられない、となるケースが多いように思いますし、私もそう思います。
速さが要望される機会が多い気もする
とはいえ現実問題、私達には速さも必要になってきます。
早めに三日前から始めたとしても、ラスト一日にならないと前提となる作業が終わらない状況であれば、結局速く作業を進められる人の価値の方が高くなるでしょう。
ここで思い出したいのが「うさぎとかめ」の話です。
あれ、短距離走であればうさぎが休憩する前にゴールして終わりますよね、という話もあるのですが、もう一つ注目したいポイントがあります。
それは「なぜ亀が勝つ話の展開になっているのか」です。
原典がどうだ、という話は置いておいて、現代で読まれるうさぎとかめは教訓として「亀のあり方の方が望ましい(けどそうなるのは大変である)」を伝えたいからこそ、最後に亀を勝たせる話になっているのではないでしょうか。
逆に言えば、一見するとうさぎの速さのほうが多くの人にとって魅力的であるわけです。
そして速さが魅力的である以上、「より速く」を前提に出来上がっているシステムと、それに対する需要も多く存在すると考えられます。
問題を入れれば一瞬で答えを返す各種のコンピュータや膨大な量のホームページを短時間で閲覧して答えを作る生成AIとかまさにそれですよね。
人間の速さの限界と可能性
ここでもう一度「早さ」の側に戻ると、一瞬で答えを返すテクノロジーがある現代において、人間の速さにそもそも意味があるのか、という意見が出てきます。
どんなに人間が手を早く動かしてもコンピュータの速度には勝てません。それならば速さはコンピュータにまかせて、人間はそれを準備する早さを追求すべき、というのも一つの意見でしょう。
ですが、早さが大事であることを前提にして、それでも人間の速さはまだまだ必要だと思います。
突然のトラブル対応、状況変更、想定外などはいつまでも発生するものです。そういった早めに準備したちゃぶ台がひっくり返されてもなお「現代基準」の速さが要求される事態に対応するためには、まだ人間の速さも必要だと思うのです。
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