具体的な目標はなくてもいい
こんにちは。今日は「具体/抽象」について。
目標の具体性
例えばあなたが楽しくて、いつまででもやっていたいことってなんでしょうか。
それはビジネスマンとしてガンガン商品を売る・契約を取ることですか? あるいは絵を描く・歌を歌うなどの芸術系でしょうか。ゲームやランニングなどの趣味系かもしれません。
これらを行うために仕事をする、あるいはそれに関連する仕事をするのが良い、という考え方が最近増えていますよね。
ですがここらへんの具体性というか、抽象度って人によってまちまちでかまわないと思っていたりします。
上ではあえて具体的な「こと」を挙げてみましたが「お客さんの笑顔を見たい」から接客業・BtoC企業に就く、という考え方もありですよね。
それをもっと抽象化すると「楽しめれば何でも良い」とかになってくるかと思いますが、それも一向にかまわないことだと思います。
たとえ具体性が乏しく、職業や趣味の絞り込みの役に立たないとしても、そう感じているのであればその人にとってはそれが正しいことです。
具体性は急いで上げるべきか否か
ただし、いつまでも絞り込みができないままでは専門性を鍛える機会を先延ばしにすることになります。これはよくありません。
同じことをするなら、早い時期から目標の具体性が高い人・早くから専門性を鍛えている人に軍配が上がります。
では、具体性が低い人は一刻も早く具体的な目標への絞り込みをするべきなのか、という話なんですが……
私は「それ、現実性ある?」と思わざるをえないんですよね。
確かに職業を選んで専門性を高め、業界で生きていけるだけの実力を養うのはとても良いことです。
ただ、目標の具体性が低い人がそこまでの間に、仕事のような「強制力」なしに絞り込みを行うのって変なエネルギー使うと思うんですよね。
具体性が低いことはいわばトランプの「ジョーカー」だと思います。専門性の高さが求められるゲーム/ババ抜きでは役立たずになりますが、多様に組み合わせることが求められるゲーム/ポーカーでは万能選手になります。
真のジョーカーは多くの経験を積んでいる
もちろん実際はトランプゲームのように簡単ではありません。異業種同士を組み合わせるためには両方の業種についての最低限を超える理解と、それぞれの専門的な話を翻訳するスキルが求められます。
具体的な志向がないからこそ、多くのことを経験し、自分にはどれに特化することも出来ない・この抽象度が限界のジョーカーだ、と悟らないといけません。
経験をサボっているだけの存在はジョーカーではなくただの無知自慢でしかない、ということです。
そういう人はとりあえず、特化した好みを持つ人に色々くっついて経験を積み、自分がどの程度抽象的なのかを知る、というのが良い戦略、と言えそうな気がしますね。自戒も込めて。
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