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音声マガジンで中学受験を振り返った話

「コドモノ ハナシ、」という子育てをテーマにした音声マガジンの編集者の方から、中学受験の体験談を語ってほしいという依頼をいただき、逡巡した末にお引き受けした。

わたしが中学受験についての取材を受けるかどうか迷ったのは、自分の中で今も「やってよかった体験」として整理しきれていないからだ。

ドラマ『二月の勝者』の放送もスタートしたが、毎週家族で観ながら、一年前の記憶と重なって胸がぎゅうぎゅうと締めつけられている。

娘はというと、「わたしはやってよかったと思ってるし、将来自分の子どもが中学受験したいって言ったらやらせると思うよ、ママにも手伝ってもらいながら」などとケロッとした顔で言ってのけているが、それはきっと、最終的に手にしたのが「自分が行きたかった学校に合格した」という結果だったからだと思う。

中学受験に関するこれまでのnoteにも書いてきたが、娘の学力や志望校(つまり今通っている学校)は、いわゆる上位レベルではない。
それでもわれわれ親子はとことん苦しんだし、こんなにつらいなんて聞いてない、という日々を送った。

だから、優秀な子たちばかりが競い合って難関校合格を目指すような世界の過酷さは、わたしの想像をはるかに超えている。
でもきっと、中学受験が「やってよかったもの」になるかどうかは、子どもの成績や学校の偏差値レベルとはまた別の話で、最後にどんなかたちで受験を終えられるか、それ次第のように思う。
世間では十分優秀といわれるレベルの中学校に合格したとしても、そこに進学することが本人や親にとって本意ではない場合や、志望していた学校に合格できなかった現実をいつまでも受け入れることができないような場合も、終わって1年やそこらで「やってよかった」と晴れやかな顔で言い切ることはむずかしいのではないだろうか。
または、合格してめでたしめでたし、と思いきや、いざ通い始めたら校風や周囲とうまくなじめない、なんて事態だって起こりうるのだろう。
受験をきっかけに夫婦間の価値観に食い違いが生じて家族崩壊してしまうケースも少なくないと聞く。

目標に向かって努力すれば、必ず望みは叶う、わけではない。
でも、努力して得た結果の受け止め方次第で、その体験はきっと大きな価値をもったものになる(でもそれは人生におけるどんな試練にもいえる)。

なんだか曖昧な結論だけれど、これが、すべて終えてみて感じた、わたしにとっての中学受験だ。
まだ10〜12歳の子どもが、遊ぶことも部活に励むことも我慢して、テレビやゲームも制限して、歯を食いしばって2年も3年も勉強し続けても、全員が願いを叶えられるわけじゃない。生きていく現実のきびしさを、その幼い体に突きつけられる。

ならば、そうした人生の辛酸をなめるのは何歳だったらいいのかと聞かれたら、それもわからない。
受験などさせなければよかったかと問われたら、今は毎日が楽しくてたまらない様子の娘を見ながら、けっしてそんなことはない、と答える。
このすっきりしない感じ、自分でいうのもなんだが、非常にわたしらしくない。でも本音なのだ。だからうまく話せるかどうかとても悩んだ。

今回の取材は、まだ中学受験を始めるか始めないかも決めていない、入り口にも立っていない親御さんの参考になればと、塾通いがスタートした4年生の時期の話が中心だった。
編集のおかげで、だいぶさわりの部分ではあるものの、わかりやすい内容になっていると思うので、ご興味ある方は聴いていただけると幸いです。


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