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フリーランス20周年を迎えて


勤めていた出版社を退社したのは、29歳を迎えた翌月、2001年9月末付だった。ということは、フリーランスとしてスタートを切ってから、今日でちょうど丸20年ということになる。でも10周年も15周年も気づかずに通り過ぎていたし、今年たまたま気づいただけなのだけど。

年齢と決断


24歳で中途入社した会社を、29歳で辞めてフリーになったのは、その少し前から「自分にはフリーの方が向いている気がする」という気持ちが徐々にふくらんでいたのと、「でもこの会社で楽しく仕事ができるうちは続けよう」という気持ちと、「とはいえフリーになるなら、また振り出しからスタートだからなるべく早い方がいいかな」という気持ちを、自分のなかで整理して、「今だ」と思ったのがちょうどそのタイミングだったからだ。

自分が出した結論には基本的に後悔しないタイプ、というのが前提としてあるけれど、やっぱりあのタイミングでよかったと思っている。
超多忙な雑誌編集部に5年在籍していたことで、経験も人脈もそれなりに広がっていて、でも年齢的にはまだギリギリ20代だから、独立後のすべり出しは順調だった。

やっぱり現実問題として、発注主からフリースタッフに仕事を振りやすい、逆に気軽には振りにくい、という線引きに、年齢やキャリアは多少なりとも影響する。

5年間とはいえ、出版社で発注主の立場を経験したからこそ、「仕事を振られる側として一からスタートするなら20代のうちがいいかもしれない」と思ったし、今とはだいぶ時代が違うかもしれないけれど、当時のその決断はそう的外れなものでもなかったと思う。

こんなふうに人生における大きな決断に、年齢はどうしても絡んでくる。
自分では49歳でも50歳でも一緒だよ、と思っていても、他人からすれば、40代と50代はやはり違う。
最近、人生の大きな転機について語り合ったある人も、「同じことを結局やるなら、50代に入ってからより、40代のうちの方がいいと思った」、と話していて、こちらも「うん、そうだと思う」とうなずいたばかりだ。

立ち止まってもステップは止めない

もちろん、いくつになっても新しいことはできる。
でも、結局やるなら、やりたいと思っているなら、明確な理由なしになんとなく先延ばしにするよりは、1年でも2年でも早く動くほうが、後に「あのとき早めに動いてよかった」となることが多い気がする。

それって考えてみれば当たり前のことで、早めに動けば、その動いた先に次の展開があるわけだから、俯瞰して5年や10年をみたときに、その期間で起こる出来事と経験が多くなり、よって中身の濃い年月になる。

2020年の年明けから続くコロナ禍は、ずっと走り続けてきた人が、少し立ち止まって考える時間を手にする機会にもなった。
でも、その間も時はちゃんと過ぎていき、体は年齢を重ねていく。だから、立ち止まっても、寝転がるのではなく、ジョギング中に信号待ちするみたいに「その場足踏み」はしておきたいと思うのだ。
そうしていると思考はちゃんとはたらくし、いったいいつ変わるかわからない信号機だって、やがて青になる日はくる。そのときに「今だ」とすぐに一歩目を踏み出せるように、エンジンは切らないでおきたい。そう、ステップは踏み続けるのだ。

なんだか話が思ってもいなかった方向へ流れそうになったが、20年前といえば、わたしは一人暮らしをしていて、ライターとして仕事に奮闘しながら、家では好きな音楽に浸り、ケーブルテレビで映画を観まくり、夜通しで小説を読み耽っていた。
そのころはファッション誌の編集の仕事がメインで、秋のファッション特大号のために夏の間は1日の休みも取らずに働くかわりに、秋が深まるころにぽっかりとスケジュールが空くタイミングを狙って、2、3週間まとめて休暇をとるのが恒例となっていた。

オフシーズンで安くなったチケットを買い、友達と連れ立って、ときには一人で旅に出ることもあったし、「年1度、村上春樹を総ざらいする月間」を設け、初期の作品から一気に読み返す、なんてこともしていた。

毎年読み返すたびにベスト1の作品は変わったけれど、一時期は「やっぱり『ダンス・ダンス・ダンス』かな」と思っていた。それがちょうど30歳前後だったような気がする。
さっき、無意識に指先が動いてキーボードを打った「ステップを踏む」という言葉は、きっと20年前の秋の夜更けに、三軒茶屋の小さな部屋で夢中でめくっていた『ダンス・ダンス・ダンス』のページから、あのキーワードが年月を飛び超えてわたしの頭にふっと姿を現したのかもしれない。

なんてことを思い浮かぶままにつらつらと綴った、フリーランス20周年のnoteでした。

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