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薄暗い台所も悪くない、と思った

うちは夫婦ともに在宅ワーカーなので、通勤している方に比べれば、現在の状況と普段の生活のかたちが大きく違う方ではないのだろう。

けれど、娘の学校が臨時休校、塾もお休みのため、くる日もくる日も家族全員が一日中家にいて、朝、昼、晩と一緒に食事をしている。当たり前のようで、現実にはけっこうレアな数週間だと感じている。

それぞれに取り組むべき仕事や勉強はあるものの、普段と比べればのんびりだ。こんなときは映画だよねと、仕事が早く片付いた日や週末の午後は、わたしの4畳半の仕事部屋のiMacでAmazonプライムの映画を観る。

その中で、これは観てよかったなぁとしみじみ思った1本が、『リトル・フォレスト』だ。
東北の小さな村で農作業をしながら暮らす主人公の1年を描いた作品で、前編にあたるのが「夏/秋」↓

後編にあたる「冬/春」↓

都会での生活から逃げるようにして故郷の小さな農村へ戻ってきた主人公(橋本愛)が、一緒に暮らしていた母の失踪という喪失感を抱えながらも、残された家と畑と田んぼを一人で守り、「生きるために食べる」「食べるためにつくる」というシンプルな営みを、厳しい自然のなかで淡々と繰り返していく。そしてゆっくりとたくましく成長していく姿を描いた作品。

映画の構成がとてもユニークで、軸となっているのは、主人公が薄暗い小さな台所でつくる料理と、その工程である。つまり「料理映画」と言ってしまっていいくらいに映画の中心に料理がある(その料理をすべて手掛けるのはeatripだそうで、もうどれもこれも、ものすごくおいしそう!)。

つくる料理の材料は、主人公が畑で育てた季節の野菜、周辺の自然で採れた山菜や果物。それを使い、彼女がいちばんおいしいと信じる方法で調理し、出来上がりを一人で、ときどきは友達を招いて、満足そうに食べる。
一つの料理が一つの章(エピソード)になっていて、小さな章が積み重なるにつれて、季節と物語がめぐっていく……というわけ。

この映画のことは、来月出版される最新著書『直しながら住む家』で、友人宅として取材させてもらった家の住人に、「こんな家や暮らしが憧れ、というモデルは何かある?」と尋ねたところ、「映画の『リトル・フォレスト』かな」という答えが返ってきたときに、はじめて知った。
2014年~2015年の作品で、わたしがあまり映画を観る余裕がなかった時期の公開だったせいだろう、全然知らなかった。興味をそそられて観てみたら、満足度はかなり高く、しかも、今このタイミングで観てよかった、と個人的には思っている。

新型感染病の拡大で経済が混乱し、日本は、世界はこの先どうなってしまうのだろうという不安が、どんよりと重い雲のようにわたしたちの生活を覆う今、この映画のなかの暮らしが「いろいろそぎ落としていった先にあるかたち」として、リアルに想像できる気がするからだ。

その暮らしは、電気も水道も使っていて、もっと原始的な自給自足を行う人にとってみたら生ぬるいと感じるものかもしれないけれど、だからこそ、わたしみたいに現代文明の恩恵を享受しながら生きる者に、「こんなの絶対無理」とは思わせない現実味がある。

主人公はテレビを観ず、ネットもやらず、夜は料理の仕込みをしたり文庫本を読んだりして過ごし、朝がくれば自転車に乗って田んぼや畑に出る。朝も昼も夜も、自分でつくったごはんを食べる。ときどき地元の日雇い仕事をして(畑と田んぼがあっても光熱費や日用品に払うお金は必要だろう)、外灯の調子が悪いのを修理してくれたり、本気でケンカしたり、仲直りのごはんをいっしょに食べてくれる近所の友人が2人(男女1人ずつ)いる。

彼女の胸の奥にはいろんな葛藤や焦りや不安が見え隠れするし、何より日々の農作業はとてもハードそうだけれど、でも朝から晩までくるくるとよく手と体を動かし、しっかりと食べながら、生きていくために必要なことを黙々とこなす姿が清々しい。取材した相手の女性が、この映画の暮らしが憧れだと言っていた意味が、よくわかった。

とくに台所は、印象的だったな。

↑ 主人公の家の台所/-(C)リトル・フォレスト製作委員会

わたしが暮らしている家も古い和風住宅で、台所は北向きだ。そのため一日中薄暗い。だからこの映画の台所の色合いには、すごくシンパシーを感じた。

蛍光灯をつけなくても料理ができる明るいキッチンへの憧れはずっとあるものの、この小さな薄暗い台所でおいしそうな料理を次々とつくりだす主人公を見ていたら、これが暮らしってものだよな、と思えたし、自分の台所も悪くないかも、と思えた。

どんなに消費が落ち込もうと、観光客が激減しようと、株価が下がろうと、人がごはんを食べることだけは、生きているかぎり最後まで行われる。
そして、食べることによって人はエネルギーを得て、また前を向いて生きていける。言葉にすれば陳腐だけれど、忘れてはいけない大切なことを、この映画にあらためておしえてもらった気がした。

そうそう、もう一つ。
5週間に及ぶ臨時休校という機会を利用して、いま11歳の娘に料理をおしえているのだけれど、この映画を観たことでモチベーションがずいぶん高まったようだ。

今は、ごはんを炊き、みそ汁をつくり、卵焼きがつくれるまでになった。食いしんぼうなのは主人公といっしょだから、料理上手になれる見込みはきっとあるはず。
映画では、母親はいなくなってしまったけれど、わたしはいつか娘が次々とつくるおいしい料理やお菓子を、ぜひ食べさせてもらいたいと強く願っている。

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