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高校野球の面白さを知ってしまった

まさか、こんなことになるとは。

子どものころからスポーツ全般に興味が薄かったのに、2年ほど前から、熱心に高校野球に見入っている。
ほとんど「夢中」といっていいくらいに。

きっかけは、車で15分の地元校が甲子園に出場したことで、でも野球そのものに目覚めたわけではなく、相変わらずプロ野球は観ていない。
ただ高校野球が、ひたすら面白いのだ。

なぜこれほど高校野球に引き込まれるのか。

第一に、青春の光と影が痛々しいほど鮮やかに描き出されている点。
高校野球の試合って、まるで人生の縮図のようだ。

笑顔と涙はまさに表裏一体。このままいけるかと思ったら一瞬のミスであっけなく逆転され、もはやここまでと思ったときに、神様が気まぐれにほほえんだようなラッキーが訪れる。

チームメイトとの友情、監督の葛藤と決断、見守る応援席の生徒や親たちの祈り、さらに3年生には「これが最後、来年はもうない」という残酷なタイムリミットがある。何年間もつらい練習、うれしい勝利、悔しい敗北をともにしてきた仲間たちと、翌年から別々の道を進むことがわかっている。
すべての一瞬一瞬が、台本なしのドラマの重要な1シーンとなっていく。

結末は、最終日の決勝戦、試合終了の合図まで誰にもわからない。

このドラマの出演者はグラウンドに立つメンバーだけではなくて、ベンチ、アルプススタンドで見守る生徒、吹奏楽や応援部員たち、彼ら一人一人の高校生活を見守り支えてきた家族まで、1校あたり何百人、それ以上にも及ぶ。

とくに甲子園まで出場するレベルの野球部は、部員100人を超えることもめずらしくない。試合に出られるのは9人だけ。ベンチを入れても18人。ほとんどはアルプス席からチームメイトを応援する。
まだ17、8歳の胸に渦巻く複雑な感情を想像するだけで、苦しくなる。
神様、どうかこの子たち全員に笑顔の結果を与えてやってくださいと、テレビの前でぎゅっと手を組んで祈り続ける。

この「すべてが真実」の面白さを知ってしまったら、もう作り物のドラマでは感動できないかもしれない、と思うほどだ。

今は、バーチャル高校野球というサイトで、全国の地区予選からライブ中継が見られるため、今年の夏は7月からずっと高校球児たちの熱戦を見守ってきた。
仕事中もPCのピクチャーインピクチャーモードで試合の行方をチラ見しつつ、舞台を甲子園球場に移してからは、熱闘甲子園を毎晩録画。

自分でも戸惑うほどの高校野球熱の高まりには、熱闘甲子園という番組の存在が大きい。
この番組を観なければ知らなかった、各チームの秘話がていねいに取材されていて、毎回涙があふれる。

決勝戦が終わって優勝校が決まった今、あぁ、楽しかったなぁ、しばらくはテレビで高校野球の試合が観られないのか……という喪失感が数日続いている。
つまり、わかりやすく「夏の甲子園ロス」に陥っている。
この寂しさは、NHK朝ドラ『おかえりモネ』後の「菅波ロス』以来かもしれない。

コロナ感染者が急増し、ここまで出かけない夏休みも過去になかったというほどおこもりの日々だったけど、そのわりに毎日が忙しくて充実していたのは、家族がリビングに集まって高校野球を応援するというイベントがあったからだ。

毎日、わたしの胸をこんなにも熱くしてくれた高校球児たちと、応援で高校野球を盛り上げてくれた生徒たち、そのご家族全員にもお礼を言いたい。
ありがとう、お疲れさま。
今年は後輩としてチームを支えたメンバーの成長を、来年また見られるのを楽しみにしています。

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