見出し画像

16歳病かもしれない

新聞でなにげなく読んだ辻村深月さんの短いエッセイが、なんかとてもいいな、と余韻に浸った数日後、書店の文庫本コーナーで『図書室で暮らしたい』を見つけた。


パラパラとめくると、ちょうど本の前半に収録されていたのは、数年前に日経新聞で連載していた週刊エッセイで、すぐにレジへ持っていった。

この本は、新聞の連載のほか、さまざまな媒体に寄稿した単発のエッセイをまとめたもので、自身の子ども時代の話から、直木賞を受賞したときの話、保育園に幼いわが子を預けながら働く現在の暮らしのことまでと、題材はいろいろなのだが、1篇1篇が、ものすごくよかった。

大げさな表現はどこにもないのに、だからこそ心の奥深くまで静かに沁み込み、いつのまにか内側から体が温まっている、そんな愛おしくなるような話ばかりだった。
こんなに短い文章で、じわっと胸が熱くなり、ときには目尻に涙さえ浮かべてしまう自分にも驚いたけれど。

中でもとくに面白かったのが、「中二病」を自認する辻村さんの核をなす、中学や高校時代に熱狂した本や漫画の話と、憧れの作家たちに向けられた熱烈なファン行動のエピソードだ。
大好きなミステリー作家のサイン本が欲しくてファンレターを100通書いた逸話や、新刊発売サイン会に行くために山梨から埼玉へ出かけた日の思い出など、好きなものに向かって不器用に体当たりしていくことしかできない、ティーンエイジャー特有のありあまるエネルギーの描写に、胸がキュッとなる。

辻村さんは、とくにひどいいじめにあったわけではないけれど、友人から理不尽な扱いを受けた苦い記憶と重なる中学時代の話を書くことがずっとできなかったという。それでいて、その年代に抱えていた、くすぶるような感情を今でもずっと忘れていないし、忘れたくもないそうだ。
だからこその「中二病」なのだろうが、辻村さんに限らず、つらかった、つまらなかった、そこから抜け出したかった、という時期こそが、実はその人の人格や進路を左右する大切な期間でもあるのを感じた。

そんな話を、自他共に認める「小三男子病」の夫(ただし彼の場合はこの時期にほとんど幸せな記憶しかない)に話すと、じゃあ自分は何病なのかと聞かれ、うーん、としばらく考え込んだ。
その結果、出した答えは「16歳病かもしれない」。

暗黒の女子校生活


わたしの女子高生時代は、家族の間で今も語り草になっているほどに「暗黒」そのものだった。

あの頃のわたしはいつもムスッと不機嫌で、周りに理解者なんていないと思い込み、レンタルCD屋で借りてきてダビングしたザ・スミスのアルバムをヘッドホンで聴きながら、『ロッキングオン』と『オリーブ』を毎号すみずみまで読み込んで暇をつぶす面倒くさい少女だった。

そもそもの暗黒のはじまりは、高校受験での挫折だった。
塾の模試でたまたま1回だけ有望圏内に入った東京のミッション系スクールをチャレンジ校にしようと決心したが、中3の三者面談で、理由は忘れたけれど当時強い反抗心を抱いていた担任の男性教師(40代後半だったのだろうか)に「受かるわけないから、あくまで記念受験と思っておけ」みたいなことを言われて、猛烈に腹が立ったことを覚えている。

とはいえ自分自身、その学校に受かる自信などなく、5歳上の姉が通って青春を謳歌した地元の公立高校を本命としていた。そして、そこは受かるだろうと信じていた。
三者面談で、担任の教師は「一応すべり止めも受けておいた方がいい」と、まったくノーマークだった私立の女子校を勧めてきた。
日程も公立高校の前だし、たしかにすべり止めは必要かもねと、わたしと母は深く考えもせずにその女子校を受験することにした。そして当然のように合格したのだが、なんと本命の公立高校には落ちてしまう。

ザ・スミスと田舎道


その結果、担任から勧められて受けただけの、入試の日も「まぁここに通うことはないだろう」とたかを括っていた女子校に進学して、わたしの高校生活がはじまった。

その学校、入学してみると、近隣にある他校の高校生たちから憐まれるほどに校則の厳しい仏教校であった。
キリスト教の学校に通い、チャペルで礼拝する都会のおしゃれなキャンパスライフを夢見ていたオリーブ少女にとって、「線香色」と揶揄される野暮ったい制服に身を包み、数珠を手にして南無阿弥陀仏を唱える女子校生活は、あまりにも残酷な日々に思えた。

世の中には、女子校出身であることを、自虐しつつもどことなく誇らしそうに語る女性は多いが、わたしにはその気質がゼロである。
現実には、クラスに仲のいい友人もできたし、厳しくて退屈な学校は行きたくないほど嫌な場所でもなかった。けれど、女子校生活のことを思い出そうとすると、教室の風景よりも先に、暗い表情でザ・スミスをヘッドホンで聴きながら自転車で通学していた田舎道の風景の方が浮かんできてしまう。


もっと、よくよく目を凝らすようにして記憶を辿れば、そういえばわたしは意外と先生のモノマネがうまくて、休み時間に披露してクラスメートたちが爆笑してくれたなとか、細分化すればまったく同じ趣味というわけじゃないけれど音楽や雑誌の話で盛り上がれる友だちもいたなとか、U2のファンクラブに入った後すぐにU2の来日が決まり、ファンクラブで知り合った学校外の音楽仲間たちと東京ドームに通い詰めたなとか、楽しい思い出もいろいろあるのだけれども。

職員室の帰りに誓ったリベンジ


その女子校は、お嬢さん大学とよばれるような女子大の推薦枠が多かったのだけど、わたしは入学早々から「大学はぜったい共学に行く」と固く心に誓っていた。
女子校に向く向かないより、「わたしはここにくるはずじゃなかった」という絶望感にとらわれすぎていて、ならば大学はここと真逆の場所へ行ってやる、という発想での共学志望だった。

2年から予備校に通わせてもらっていたし(母は「あなたが高校生のときは学校に塾にとお金がかかって本当に大変だった」と後々もらしていた)、成績はそこそこ上位をキープしていたから、1人だけ枠があった上智大の推薦がほしいと伝えに職員室へ行くと、中3のときよりさらに相手を敵対視していた50歳前後の男の担任教師に「お前、何考えてるんだ? 始末書を書いた奴が推薦なんてもらえるわけないだろ!」と怒鳴られた。

そう、わたしは高2のときに校則違反をして始末書を書いており、それによって両親まで学校に呼び出しを食らっていた。
しかし、その違反内容とは、自転車で下校途中にパン屋に寄って菓子パンを買い食いした、それが見つかった、ただそれだけである。
こうして書きながら、わが10代のあまりの冴えなさに泣けてくる。それってそんなに悪いことか? 中高生とは菓子パンを買い食いする生き物ではないでしょうか?と。

三人きょうだいの末っ子であるわたしは、両親が31歳のときの子である。
ということはあの日、忙しい仕事の合間を縫って、田園風景の真ん中にそびえたつ私立女子高校の理事長室まで足を運んでくれた両親は、今のわたしとちょうど同い年という計算だ。
金はかかるわ、いつもふてくされてるわ、部屋ではヒリヒリした旋律のロックを気むずかしい顔で聴いてるわ、本当に厄介な子どもだったなぁと、今さらながら申し訳ない気持ちになる。
もしわたしが今、女子高生だった時代のわたしの親になれと言われたら、ホント勘弁して、と逃げまわるだろう。

とにかく、担任に職員室で怒鳴られながら大学推薦を突っぱねられた屈辱と、その様子を冷ややかに見ていた周りの教師たちの視線にズタズタに傷ついた自尊心は、「コンニャロー、見てろよ!」という復讐心と闘争心への見事な転換を見せた。そこからの猛勉強の末、わたしは憧れの作家の方たちも多く通った大学の文学部に合格を果たす。
あのときのわたしの執念じみた受験勉強ぶりもまた、今も家族の語り草となっている。

同好の士と出会えた大学時代


3年間の女子校生活から抜け出した先に待っていた大学生活は、その鮮やかな対比とともに、それはもう自由で楽しかった。
今もうれしい記憶として刻まれているのが、1年生のときの第二外国語のクラス分け直後の出来事。
クラス名簿として、学生一人一人の手書きのプロフィール用紙をコピーして束ねた冊子が配られたのだが、わたしが「好きな音楽」の欄に「U2、The Smiths」と書いているのに反応したロック好き男子が2人、話しかけてきてくれたのだ。

今は、SNSを使って趣味仲間を見つけるのも簡単だけれど、あのころはそうじゃなかった。みんな、バンド名が大きく入ったロックTシャツを着たり、愛読する本や雑誌の表紙をわざと見えるようにして持ち歩いたりしながら、それをきっかけに仲良くなれる同好の士を探していた。

「いい音楽聴いてるじゃん」とかなんとか言いながら話しかけてきてくれた彼らとは、音楽の話ができる友人となり、そのうちの1人はザ・スミス好きだったため、モリッシーの初来日ソロライブにも一緒に行ったっけ。あの彼は今ごろどうしてるだろうか。3年生で専修が分かれて以降、疎遠になってしまったように思う。

U2はその後も作品を発表し続け、今も現役で活躍している。そのせいか、聴き始めたときはすでに解散していたザ・スミスの方が、当時の記憶のBGMとしてまっさきに鳴り響いてくる。
暗く鬱屈とした16歳から18歳にかけての、あの青春とも呼べない退屈な3年間だけにピタッと寄り添ってくれている、ザ・スミスはわたしにとってそんな象徴的音楽としてずっと存在している。

今でも、不意にラジオからザ・スミスが流れてくると、「ああ!」と両手で頭を抱えたくなるほど強烈なノスタルジーに身を焦されるような心地がする自分は、やっぱり、16歳病といえるのだろう。

辻村深月さんが自らの10代を振り返りながら書いた、切なくてほほえましいエッセイによって、わたしはそのことに気づけたのだ。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?