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名品に頼るのはおしゃれを忘れたい日

娘の小学校の卒業式が終わった。

緊急事態宣言中につき、参列できる保護者は1名、卒業ソングは合唱の代わりに一人ずつパートを分けて歌い、それを先生がつないでくださった映像が流される。
児童がマスクを取って声を発するのは、卒業証書を受け取る前後のタイミングのみ。開会から閉会まで、ほんの1時間程度という縮小形式だ。

それでも、娘の人生の大切な節目の日であることには変わりない。
当日はきちんとした装いで、お世話になった先生方と学校に感謝の気持ちとお別れを伝えたいと思った。

ならば、その日の装いは、さてどうする?

ブラックフォーマルにさりげなく味付けを


卒業と入学のイベントが続くこの季節、母としてのセレモニースタイルについては、いざ当事者になってみると多くの人が頭を悩ませると思うけれど、もちろん、わたしもその一人。

念のため、セレモニースタイルのマナーや傾向などを調べてみると、卒業式は「お別れの日」なので、黒やネイビーなど落ち着いた色味の着こなしが好ましいとされる。
反対に、「出会いの日」である入学式は、白やベージュなど明るい色味で装い、「はじめまして」「これからよろしくお願いします」という姿勢をさりげなく表すのがよい、とされるらしい。
もちろん、どちらの日もネイビーのスーツやツイードのジャケットで出かけたところで、まったく問題はない。

ちなみに、娘の保育園の卒園のときは、今思えばけっこうカジュアルに済ませてしまったな、と少し反省している。
黒いショートジャケットにボトムも黒のパンツ、ロングパールとベージュのコサージュをつけたのだったけれど、手持ちの単品を組み合わせただけだったし、後からビデオを見たら、この場にこのトンガリ感はいらなかったかも、という感じだった。
まぁ周囲はなんとも思わず、ジャケットの形がちょっと変わってるなってくらいだったかもしれないけれど。
いや、それどころか、見ていないだろう。そりゃそうだ、みんな自分の子どもしか見ていない。わたしだって、周りのお母さんたちのスーツがどんなかだったなんて、おぼえていない。

所詮そういうものとは理解しつつ、今回は、卒業式にはブラックフォーマル用に以前買っておいた黒のカシュクールワンピース(ごくベーシックな形のノーブランド品)を着て、中学校の入学式には、白いトップスとパンツにネイビーのロングジャケット(その後も普段に着回す前提でsoejuで揃えた)を羽織る、という方針をまず決めた。

そもそも卒業式は、基本的にはブラックフォーマル(喪服など黒の礼服)でいいらしい。が、まんまそれだと自分がつまらないので、小物で少し味付けしようと試みる。
ロングパールのネックレスを3連に巻き、胸にはネイビーのコサージュを飾り、靴はベージュのスエードパンプス(ポインテッドトゥでヒールはほぼフラット)。手には黒のレザーバッグ。だいぶ出来上がってきた。というか、これで十分ともいえる。けれど、まだなんかつまらない。うーむ、なんだ。

クロゼットを開けて、視線をゆっくりと左右へ動かすと、いちばん端っこにまとめてハンガーにかけてあるスカーフが目に入り、ピンときた。
美しい布の束から、30代のときに自分で買ったエルメスのスカーフをそっと抜き取り、しばらくぶりに広げてみる。
それはチャコールグレーの地に、白と黒と茶で大胆に馬の絵柄と文字が配された、惚れ惚れするほどカッコいいデザインである(当時もまさに惚れ込んでエイヤッと買ったのだ)。
そのとっておきを、細く折り畳み、V字に開いた襟元の内側に、ちょうど着物の半襟みたいに重ねてみたところ、「ピタッ」という音が聞こえた気がした。

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のぞいている幅はほんの数センチ。でも、しっとりとしたグレーのシルクの布が、服と肌の間に挟まるだけで、パズルの最後の1ピースが埋まったかのように、あるべきかたちに落ち着いた、という感覚があった。

あぁ、よかった。これで悩む時間は、おしまい。
あとはアイロンをかけたり、めったに履かないストッキングを用意したりして当日を待つだけだ、という安堵が全身を包んだ。

おしゃれの心配から解放してくれる


それと同時に、エルメスのスカーフはなぜ名品と呼ばれるのか、その理由がわかった気がしたのだった。

名品は、なぜ名品なのか。
それは最もシンプルに言えば「頼りになるから」なのだ、きっと。

エルメスのスカーフの他にも、パールのアクセサリーや時計、バッグ、靴や香水やスーツケースに至るまで、雑誌の特集でも繰り返し紹介される名品というものがある。
それらはどれも高価だけれど、その事実をいかにもアピールするように身につけたのでは、逆に品性を欠いた印象になり、その姿は皮肉にも「おしゃれ」や「素敵」からは遠のいてしまう。

名品の実力とは、「あ、あのブランドの」と周囲から注目されるときに発揮されるものではなくて、むしろ、身に着ける人が、その日はおしゃれの心配から解放されるところにあるのではないか。

おしゃれがマナーである以上、場にそぐわない格好で訪問先や周囲に対して場違いや失礼なことになったり、そのことに気づいた瞬間に肩身の狭い思いをしたり、同伴者にもなんだか申し訳ない気持ちになったり……そうやって気をもんでいるうちに、任務を全うすることも場を楽しむこともできずに、モヤモヤとした気分で一日が終わってしまったとしたら、それは本当にもったいない話だ。

そうならないように装いの下支えをし、「おしゃれのほうは気にしないで、この時間をめいっぱい楽しみなよ」と着る人を影でサポートしてくれる、そんな役目が、もしかしたら名品と讃えられるものたちの得意とするところなのではないかと、一枚のエルメスのスカーフを前に思ったのだった。

気分よく過ごすためにシックに装う


思いきり話は飛ぶのだけれど、以前ライターとして文章を担当した本で、ヨーロッパ旅行の際のファッションに対する著者の考え方に、深く感銘を受けたことを思い出した。


著者の太田篤子さんは、子育てがひと段落した40代から、毎年のように高齢の母を連れてヨーロッパへ旅することを生きがいにしている女性。

母親も自分も楽しめるようにと、とことん考え抜いた旅程やホテル選び、あらゆるハプニングやリスクに備えた荷造りなど、語られるすべてに著者の知性と思いやりがにじみ出ていて、聞き書きをしながら「関われてよかった」と心から思えた本だった。
旅の実用的なテクニックとヒントも満載だから、一人の旅好きとしても参考になることばかり。仕事を切り離しても、付箋だらけにしながら読んだ一冊である。

この本には、母娘の旅コーディネートを写真付きで紹介する章もあり、そのページがとても楽しい。
篤子さん母娘のヨーロッパ旅の服装選びにはしっかりとした理論の裏付けがあり、それは「ヨーロッパはわかりやすいくらい見た目を重視する文化だから、店でもホテルでも気持ちのいいサービスを受けられ、気分よく過ごせるために、場にふさわしい装いする」というもの。

それはたとえば、いかにも高級そうな指輪をたくさんつけて富裕層らしく見せるとか、そういうことではまったくなくて、むしろ、着回しのきくダークカラーのシンプルなニットやワンピースに、バッグと靴は上質なレザーのものを身につけ、ネックレスやスカーフなどでさりげなく華やぎをもたせる、つまり「シックに装う」という表現がぴったりのコーディネートだ。
それぞれのアイテム全部が全部、高級ブランドというわけではない。でもトータルで見たときに、高級店としての誇りを持って営業しているレストランやホテルに対して、その格にふさわしい装いを自分なりに整えて今日は来ました、という姿勢を伝えられる服装といえる。
そしてそれは、店側からマダムとしてのきちんとした扱いも、微妙にそうでない方の扱いも受けた経験の上に獲得したスタイルだからこそ、説得力がある。

あの本の取材と文章を担当したのは、まだほんの3年くらい前の話なのに、当時の著者の年齢に近づいた分、その語られる内容に今のほうが強く共感していることに気づく。
こんなことからも、大人のおしゃれの悩みがいかに刻々と変化するものなのかがわかる。

さておき、卒業式は無事に終わった。
次は入学式だ。
入学式の方は、もっと明るくリラックスした感じで装いたいなと思っていて、これから細かいツメをしていこうと思っている。
そんな話も、また今度。

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