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「はたらく」と「稼ぐ」を分けて考える

先月、voicyのトークテーマに合わせて放送した「#185 しあわせに生きるために『はたらく』と『稼ぐ』を分けて考える」

この放送に寄せられたコメントはいつにも増して多く、1本1本の熱量がすごくて、多くの方の心に刺さる何かがあった、という手応えがありました。

というわけで、わたしにとっては初めての試みとして、この放送回をテキスト化したものを公開しようと思います。

もともと、この放送に関しては台本を先に書いていたので(今はそうするときと台本なしでしゃべるときと半々くらい)、放送したものの文字起こしではなく、放送前に書いた台本の公開になります。

わたしのnoteのコンセプトは「いつかエッセイとして出版するものの下書き」ですが、音声配信用の台本というのは、なんだか別の緊張感があり、ちょっと新鮮です。

さておき、「しあわせに生きるために『はたらく』と『稼ぐ』を分けて考える」。以下、放送用に用意した文章となります。


今日の本題は、voicyさんの今週のトークテーマ「私にとってはたらくとは」にあわせてお話ししたいと思います。

個人的な好みとして、このテーマ、voicyさんは「はたらく」をひらがなで、ひらいていて、そこがいいなと思っています。

わたしはいま新刊のゲラ読みをずっとしてるんですけど、文章で、この言葉は漢字にするか、ひらがなにするかってことを、延々とやっているんですね。
校正と呼ばれるこの作業が、わたしは苦しいながらも大好きで、だって同じ言葉でも、漢字、ひらがな、カタカナで、全然ニュアンスが変わってくるし、より自分にしっくりするのはどれか、ってことを、ときには腕組みしたり頭を抱えたり、声に出してみたりしながら、悩んでいます。

文章を書く立場になると、みなさんが直面する問題だと思いますけど、たとえば「わたし」って言葉。漢字にするか、ひらがなにするか。
「僕」って言葉も、漢字、ひらがな、カタカナで、それぞれ印象が違います。あまりそこ意識したことない、っていう方もいらっしゃるでしょうし、たしかに書き手側のこだわりでしかないんですけど、でも、それがわたしの仕事でもあります。

それで「はたらく」ってことなんですけど、わたしにとっての「はたらく」を表現するとき、とくに今は、やっぱりひらがなの「はたらく」かなって気がしています。
それはなぜか。
そして「はたらく」と「稼ぐ」の違いについて、今どんなふうにとらえているか、といったお話を、今日はしたいと思います。

………………………

これまでも何度か、「はたらき方」のお題で取材を受けたことがあります。

出版社の社員編集者からフリーランスになって、フリーのエディターライターとして、30代前半までは、今思うと仕事まみれな生活を送っていました。
早朝から撮影したり、夜中まで原稿を書いたり校了したり、打ち合わせが夜9時や10時からスタート、なんてこともありました。

でも楽しかったし、そのときはそのときで、とくにストレスを自覚することもなく、夢中で働いていた感じでしたね。

その生活は、結婚してもとくに変化はなかったんですけど、出産してからはやっぱりそのまま継続はできなくて、まずファッションからライフスタイル系の記事やインタビューを担当させてもらったりすることで、子育てと両立しながらも仕事を続ける前提で、バランスを試行錯誤してきました。

それから、郊外へ引っ越したことが大きな転機となって、雑誌から書籍の仕事へシフトする決意をして、同時に編集やライターという裏方の立場としての仕事だけでなく、著者として著作を出すことを仕事にするという目標を立てたのが約10年前、でした。

そんなふうに話すと、取材してくださるライターさんや編集者さんに「目標に向かって着実に、一歩一歩進んできたんですね」なんて言っていただくこともあります。
でも、実際は着実にっていうより、迷ったりぶつかったりをくり返してきた感じ、です。

自分は何をしてはたらいていきたいのか。
子育てで限られた時間しかはたらけない今も、子育てが落ち着いて時間が戻ってきてからも、どんなふうにはたらいていきたいか、というテーマに、いつもいつも向き合って考えてきた。

というのも、わたしは、社員編集者時代も、フリーのエディターになってからも、収入に関する悩みって、ほとんどなかったんです。
つまり、はたらいた分の対価としては十分な報酬を、ずっといただけていたんですね。
でも出産を経て、仕事にあてられる時間はそれまでよりぐんと減って、それでもこの先もずっとはたらいていきたい、だったらどうやってはたらくかを考えたとき、もっと自分のペースではたらきたいし、自分の名前で本も出したいし、企画を考える時間もほしい。もちろん子育ても、子どもが小さくて手がかかるけど、かわいくておもしろい時期はそれを楽しみたい。そんなふうに自分軸ではたらきたいと思って、フリーなので、そういう調整は自分でできるんです。それでやってみたら、収入がみるみる減っていったんですよね。
自分がこうしたいってはたらきかたを、すればするほど収入が減る。
まずこの現実に直面しつづけたのが、わたしの40代でした。

でも、収入が減っても、自分の暮らしとか価値観も、それに合わせて変わっていったんですよね。
収入が多かったときに買っていたものが、今の経済力では高価すぎる、となっても、だったら今の経済力にあったお金の使い方をすればいいじゃないか、という思考の転換がすぐにできた。

たとえば、服の買い方とか美容代とか、一つ一つ見直しをしていって、その過程があったからこそ『ただいま見直し中』という本も書けたと思うし、単に節約目的じゃなくて、目的は「今とこれからも自分らしくはたらいて生きていくために」ということだったんです。

これが、目的として先にくるのが稼ぐことだったら、こうした思考の転換にはならなかった。
稼ぎを取り戻すために、やっぱり以前のような仕事も引き受けようか、とか考えたと思います。そうじゃなくて、はたらきかたを先に決めて、このはたらきかたで生きていくには、食費はこれくらい、スマホ代はこれくらい、生命保険はこれくらい、と見直しをしていったわけです。
そうした出費をおさえることによって、何か生活に不便が起こったり、みじめな気持ちになったりしたかというと、それがまったくなくて。

むしろ、たくさん稼いでいた時期より、稼ぎは減っても自分の幸福度は上がっているという実感がたしかにあったんですよね。

だから、はたらきかたを変えたことで、一度収入がガクンと減って、そのときに、「はたらくこと」と「稼ぐこと」を分けて考えて、さらに「幸福度」というのも別にして考えて、冷静に「わたしにとってはたらくとは」というテーマに向き合ったことで、自分がしあわせになれるはたらきかたというのを見つけられた気がします。
といっても、その糸口が見つけられた、くらいですけど。
まだ人生、折り返したばかりなので。

このとき「好きなことを仕事にしているなら稼げなくてもしかたがない」って考え方も世間にはあると思うんですけど、わたしは、それには微妙に賛同していません。

今のわたし、たしかに好きなことで生きていますけど、稼げなくてもいいとはまったく思っていません。
やっぱり何かおもしろいことを始めたい、人に喜んでもらえる価値を提供したいと思うとき、経費はかかるし、収益を得られないと次にはつながりませんから。

この先もおもしろいことをしながらはたらいていくために、労力に見合った収益はちゃんと得る、ということは、大切にとらえています。
だから、ある程度稼ぐことは絶対に大事。
でも、稼ぐことが最終目的じゃなくて、「稼ぐこと」の先には「自分らしくはたらくこと」がある、ととらえています。

なぜなら、おそらく何か幸運なことが起こって、もう一生働かなくてもいいってくらいの稼ぎを得られたとしても、わたしはやっぱり働きたいって思う人間なんですよね。
このときのはたらくの意味は、社会と関わって、他人に喜んでもらえる価値を提供して、それを報酬というかたちで手にできて、っていうこと。
それをできれば一生続けていきたいと思っています。

あと、自分の仕事は文章を書くこと、というのはこれまでずっと揺らいだことがなかったんですけど、今年からvoicyを始めたり、自宅でワークショップを開催したり、書くこと以外の活動、でも全然関係ないことではなくて、書くことから派生した活動を始めてみると、そこからも収益を得られたりして、はたらくことの意味を、以前より広がりをもってとらえられるようになりました。

このときの「はたらく」は、やっぱり漢字ではなくひらがなのほうで、何時間でいくら、みたいなルールのなかでの労働とも違って、好きなことや趣味の延長にあるけれど、ちゃんと労力に見合った対価を得られる活動、としてのはたらく、ですね。

不安定だし、保証もないけれど、自由で、違うなと思えばすぐにやめられる。そしてまた新しいことをはじめればいい。
一つ一つの稼ぎは大きくなくても、ちゃんと収益は手にできて、充実感をもって自分の頭と体を使って動いていられて、人に喜んでもらえる。
そして総合的にしあわせを感じながら暮らせる。

それが今の、とくに風の時代に入って生きやすくなったと感じているわたしにとっての「はたらくということ」です。

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