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自分の心を明かすために、旅に出る

香港発ダナン行きの航空券を取った深夜1時、漫然と考えていた。

この旅の間に、いつ仕事を辞めるのか、その先のことをちゃんと決めようって。






私はたくさん働いている。

帰宅するなり、すぐにもう一度PCを開く。連絡を確認し、上司に返信し、自分の仕事を再開する。平日の夜は予定を入れづらくなった。

日付が変わっても働く。時計の長針が3周してようやく退勤できる日もある。意識はほとんどない。

重い腰を上げて、ようやくベッドに入る。疲れて熟睡できるかと思いきや、夢の中でも現実と同じチームで同じ業務を続けている。




私はあまり、働いていないかもしれない。

会社には私より働いている人の方がずっと多い。まだ新卒だからと、気を遣って連絡をくれる先輩たちがいる。どのプロジェクトでも、チームには恵まれたと思う。

私より早く出勤し、私より遅く退勤する人たちがいる。彼らはいつ自分の生活をしているんだろう。ちゃんと私の成果物に目を通し、レビューをし、激励の言葉をかけてくれる。

私が深夜3時に退勤する日、4時に退勤する同期がいる。5時に退勤する同期もいる。休日まで働く同期もいる。彼らは少なくとも私の前で弱音を吐かない。私はまだ楽な方で、まだ頑張る余地があるのかもしれない。



まだやれる、まだやらなきゃいけない。干されたくないから、仕事は巻き取っていかなきゃいけない。潰される前に、潰さなきゃいけない。



私は健全に頑張れていると思っていた。この仕事に時間帯は関係ない。内定の連絡を受けたとき、日和りはしたけれど、それでも若いうちは楽しく暮らすことより必死に働くことを選んだ。軒並み不採用の通知を受けた私が、唯一とんとん拍子に選考が進んだのがコンサルティング業界だった。とにかくやるしかないって思った。





視野はどんどん狭くなっていく。

ドライアイが悪化して、コンタクトを入れられなくなった。椅子から立ち上がる時、右脚がふらつくことが増えた。

日系企業の人たちが嘆く「激務」は、とても薄っぺらく聞こえた。その日のうちに退勤できるなら、ちゃんと守られていると思った。

恋人と初めて大喧嘩した。「気付いてないの?仕事が忙しいとき、いつも当たりが強いよ」と言われた。直近の自分の言動を振り返ってみたけど、全く心当たりがないことが怖かった。

一方的に敵対視してくる人たちも現れた。自分の仕事に誇りを持っているらしい彼らは「なんでコンサル?」「どうせ金でしょ?」と嗤う。その歪んだ自尊心が近い将来、大阪湾の底深くに沈まないことを願う。おかげで、いわゆる意識高い系の人々を生理的に受け付けなくなった。




精神よりも先に、身体に変化が起きる。


土曜の午前に入れていた私用のZOOMを寝過ごす。

夕方までベッドから這い出せない。

友達が家に遊びに来てくれたのに、ほんの一瞬席を立たれた隙に寝落ちしてしまったのには、我ながら呆れた。「疲れてるでしょ」って2時間も寝かせておいてくれる優しい友達でよかった。




忙しない日常ではとても心穏やかに考えごとをすることはできなくて、それでも私なりに現状と目標を見つめ返してみた。直近2,3年の理想を描いた。それを検証したくて、長期休暇をもらって1人でダナンまでやって来た。


快晴!青のグラデーションに惚れ惚れする




私は1人旅が大好き。誰かと行くのも楽しいけど、何でも自由に決められるのは気ままで楽しい。食事ひとつとっても、時間も場所もメニューも価格も、そもそも食べないことだって、何だって好きに選んでいい。それが本当に気楽で、寂しさよりも心地よさが勝る。

何より、自分の本心を見つめ直せる。忙しない日常では義務が大きなノイズになるけど、1人でふらふらと見慣れない街並みを歩いていると、何からも解放されたように感じられて、いつもより少し積極的になれて、一番素直な自分でいられるような気がする。


世界遺産の街・ホイアンも1人で訪れたよ



1人でダナンやホイアンを巡り、考えごとをしてみる。いつもより明瞭で空っぽな頭を抱え、色鮮やかな緑や青を視界いっぱいに収めると、ちゃんと私の本心が見えてくる。



ファーストキャリアをここに決めたのは、最適解だった。きっともう一度新卒で就活するとしてもこの業界を選ぶし、この会社に入る。日常から一度離れてみると、楽しいことも多いなって気付けた。

だけど何年もいるのは違う。職能は業界を変えれば通じなくなることもあるけど、人格は万国共通。私のストレス耐性がこの程度だったってわかった以上、さらに歪んでいく自分は見たくない。

半年間働いてみて、職務上の得意不得意が少しずつわかってきた。成果物の出来はさておき、コンサルティングは本当に合っている仕事だと思う。面白いと同時に、私はやっぱり自分が主体になりたいって思うようにもなったから、次はマーケティングをやってみるのもいいなって考える。外資系企業の雰囲気が居心地良いので、できれば次も外資がいいな(弊社は外資もどき)。



さらに先の未来はわからないけど、言葉とアイデアに携わる仕事をしたいとはずっと思ってる。いつか点と点が線になるなら、コンサルティングだって立派な言葉とアイデアを創る仕事。いつも人生計画を立ててみるのに結局脇道にそれちゃって、でもそこではもっと綺麗で珍しい花が咲いていたりするから、今の自分もその道中なんだと信じたい。


もっと自由に考えるなら、世界遺産の街に住みたい!直近の理想は、京大院からテルアビブ大学に交換留学すること。大好きな京都、テルアビブにまずは1,2年住みたい。老後はペナン島にも拠点を持ちたいし、夏の休暇はまたホイアンに来るのも良いなあ。ヨーロッパ、南米、アフリカにもまだまだ訪れたい世界遺産の街がたくさん。住みたい街探しを続けたい。

最近はこの小さいのか大きいのかわからない理想に近づくために、あるチャレンジを始めました。上手くいったらいいな。どんな結果であれ、とにかく一喜一憂のあとはまた動き出せる自分でいたい。





死ぬ時に私は何を誇りに思う?

世界を自分の足で巡ったことかもしれない。大切な人に出会えたことかもしれない。でもきっと、大きな会社で高い役職に上り詰めたとか、生涯でいくら稼いだとか、そういうことではないはず。大切なものを見失う前に、問いを立て続けていたい。




note書くのってつかれる!でもスッキリした。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

細かい話は自分の中に秘めておくとして、ずっと文章を書くことは続けていきたいな。

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