見出し画像

遺体に触れられない私の話

11月3日未明、叫び声で目が覚めた。


正確には違う、起きていたけど意識が曖昧だった、のが覚醒した。いつも通りソファーの上で寝ているはずの愛犬の名前を、お父さんがずっと呼びかける。お母さんは病院に連れて行こうとしたのか、必死でスマホに何かを打ち込んでいた。


ものすごく悪い予感がした。動けない私の目の前で、愛犬は突然大きく荒い呼吸を幾度かした、その瞬間、助かるって思った。今すぐ病院に連れて行けば大丈夫、そんな僅かな希望は目の前で途切れた。「瞳孔を確認して」お父さんが叫んで、お母さんがライトを目に当てる、あの緊迫感と絶望感はまだ脳裏にこびりついている。



お父さんは黙って愛犬の背中を撫でていた。初めて出会った6年前より、ずっと痩せてしまった背中。


お母さんは泣いていた。「もうこの子で最後にしよう、耐えられへん」って言って、私の傍で縮こまる子猫を横目で見た。



ドラマや映画でよく、遺体に縋りついて泣く人たちを見る。私はそれを見るたび、いろんなことが疑わしく思えてくる。それが本当に起こりうる光景なのか、だとしたら私がおかしいのか、私の心は麻痺しているのかって。




私は、遺体に触れるのが怖い。


11歳のとき、祖父が亡くなった。私をとっても可愛がってくれて、それ以上に弟を溺愛していた祖父だった。肺炎で入院した祖父は、見舞いに行った私に、自分の孫ではなく他所の子だと思って話しかけるほど熱に浮かされていた。


その祖父が亡くなったと聞かされて、通夜の会場に向かい、初めて祖父の遺体を見た。硬直前に閉じさせてあげられなくて、うっすら宙を見ている虚ろな目。血の気が完全に引いた、青白い頬。全部鮮明に覚えている。




「これが死んだ人の体温やで」

親族の誰かが私の手を引いて、祖父の顔に触れさせた。心臓が縮み上がった。こけた青白い頬は、私の知っている体温じゃなかった。真冬に素手で氷を触ったときのような、痛みすら感じさせる冷たさ。衝撃と同時に、言い表せない恐怖が押し寄せてきたことを覚えている。


生き物は死んだら魂が抜けるというけれど、あれは本当だと思う。これまで看取った人も、動物も、みんな生きていたときには私を見る目に宿っていた光が、最期の姿からは完全に失われていた。冷たくなって、動かなくなって、ただの入れ物になっていた。私が接していたのは、肉体ではなくその魂だったんだって、そのとき悟った。



私は、遺体に触れることができない。触れると、その氷のような冷たさを通して、魂がもうこの世にないことを痛感させられるから。もう二度と話すことも、抱きしめることもできないんだって気付かされるから。空っぽの遺体は、もう私の知っている存在じゃない。



そして、取り返しのつかない所まで来てしまって、ようやく後悔する。私は愛犬を幸せにできていたのかなって。幸せにしようと、この家に来て良かったって思ってもらおうとできていたのかなって。


先代の愛犬と同じ保護犬団体から引き取った女の子。お父さんが一目惚れして、「絶対連れて帰る」ってその場で決めたらしい。大人しくて、控えめで、時々何かに怯えているような目をした。この子にとって、前の環境はあまり良くないものやったんやろうなって感じた。



引き取って約6年、心の距離がちゃんと縮まっていたのかはわからない。私はいつも、失って初めて過去を振り返る。遅すぎると思う。いつも後悔するくせに、なんで学習しないんだろう。


大事にしているよって伝えられる時間には、限りがある。想いは伝えないと意味がないって、あの冬に知ったはずなのに。私とあの子の間にもう次なんてないけど、ないからこそ、過ごした時間は貴重だったんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?