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【インド】女子一人旅で高級ショッピングモールとスラム街を渡り歩いたら情緒が崩壊した【ムンバイ】

今日見たもの感じたことはきっと一生忘れちゃいけなくて、でも今はメモ帳とペンが手元にないから、noteにちゃんと残しておきたい。記憶が、感情が鮮烈なうちに。





私が今いるムンバイは、インド最大の金融都市、そしてインド国内でもかなり治安の良い地域として知られている。

国内外の大企業が集結し、高層ビル群が立ち並ぶ。それと同時に、インド映画の制作地「ボリウッド」としても有名で、インド有数の観光地にもなっている。


そんなムンバイに到着した瞬間、ここは本当にお金を持っている都市だってことがよくわかった。

チャトラパティ・シヴァージー国際空港のImmigration


天井も壁も床も、一面シャンパンゴールド。関空よりも羽田よりも成田よりも煌びやかで、それでいて清潔。免税店も高級ブランドがひしめき合っていて、機内の大多数を占めていたインド人の乗客もみんな身なりが整っている。


インド一人旅はもう本当にめちゃくちゃ不安だったけど、この雰囲気を見て「あ、大丈夫かも」って思えた。深夜便からの空港泊もしんどかったけど、半年前に泊まった世界一治安の悪い空港ことニノイ・アキノよりは全然マシだと思ったし、実際そうだった。


それでもここはインドで、治安の悪いって言われる国であることに間違いはなくて、案の定私もバス停で困っていたところをしっかりカモられてトゥクトゥクおじさんにぼったくられかけた。

途中でまずいと思い強引に降りてプチ騒ぎになったところを、周囲の人たちが助け舟を出してくれて、特に英語とヒンディー語と日本語で私に通訳してくれたムンバイ出身、アブダビ出身のお兄さんたちにはその後すごくすごくお世話になった。



こんな一大事も今となっては霞んでしまうくらい、ショッキングな景色。

それは、ムンバイ最大のショッピングモール『フェニックス・パラディアム』を歩く人々と、ムンバイ最大のスラム街『ダラヴィ』のゴミの山。





諸々あってUberでムンバイ散策をすることになって、最後に私がお願いしたのがショッピングモール。

ビル一棟一棟がカメラに収まらない巨大なモール


2008年に同時多発テロが起きたムンバイでは、観光地など人が集まる場所への警備がとっても厳重(私の大好きなインド映画『ホテル・ムンバイ』のもとになった事件!必見なのです)。

私もインド門とこの『フェニックス・パラディアム』の入口で2度、身体検査と荷物検査をされた。ちょうど空港の保安検査みたいに。




マレーシア、タイ最大のショッピングモールを散策してすっかり現地のショッピングモール巡りにハマった私は、この『フェニックス・パラディアム』にもすっかり魅了されてしまった。ちゃっかりワンピースも買ったりして。

そのワンピースを物色している最中に、インドに降り立ってからずっと感じていた違和感に気付かされた。



同じく買い物をしていた現地人らしき女性に「ねえ、このお店に行きたいんだけど、どこか知ってる?」と尋ねられる。

私は少し驚いて、初めて来たからわからない、と答えた。女性はあ、そう、と言ってあっさり引き返す。



なんで私に聞いたんやろ。明らかに現地の人間じゃないのに。



インドに来てから驚いたのは、本当にインド人ばかりだということ。ホーチミン発の機内でも、空港でも街に繰り出してからも、本当に現地人ばかりで東アジア人の女性、しかも一人だった私は、ものすごく浮いていた。多分人口が多すぎて、数多い海外からのバックパッカーすらも覆い隠してしまっているんだと思う。


インドでは極力目立たないようにって、トレーナーにスニーカー、ノーメイクという何とも味気ない格好で歩いていたのに、そんなのは一切役に立たなかった。街を歩くたび、遠慮のない視線が四方八方から突き刺さる。かなり、居心地が悪い。こんな事態は初めて。

なんで私? と思いながら周りを見渡してみて、ふと思いあたった。肌の色? って。


インドにはたくさんの肌の色を持つ人がいる。

中華系と思えるほど黄色い、もしくは白に近い色。
インドを連想させる浅黒い色。
アフリカ系と思えるほど真っ黒い色。


カースト制度における身分は、肌の色が白ければ白いほど高く、黒ければ黒いほど低くなる。それを思い出した時、はっとした。

機内にいた見なりの良い乗客、ショッピングモールで私に声をかけてきた女性、私をぼったくりおじさんから助けてくれた男性2人組。みんな、確かにそうだった。



街行く人を眺めながらホテルまで送迎してもらう帰り道は、衝撃の連続だった。

クラクションが永遠に鳴り響く渋滞の中、窓を叩かれる。顔を上げると、赤ん坊を抱えた女性が窓越しに私に何か訴えていた。それをドライバーは片手を振って拒絶する。前から小学生くらいの男の子が歩いてきて、女性は窓を叩き続けて、そこでやっと物乞いだって理解した。どうしていいかわからなくて顔を伏せて、上げた頃には女性は別の車の窓を叩いていた。


渋滞を抜けて両脇に広がった景色に、思わず口元を押さえた。上下左右に押し込められ密集する建物、の前に視界を埋め尽くす洗濯物。渡航前にYouTubeで見た、ムンバイのスラム街そのものが窓越しに見えた。

人が暮らしている地域に対してなんて失礼な、って自分でも思うけど吐き気は止まらなくて、夢中で深呼吸した。涙が出てきて、何度も瞬きした。でも目を逸らすのは失礼じゃないかって思って、顔を上げ続けて、窓越しにすれ違う人々を視界に入れた。遠慮なしに、そして決して心地良くはない視線で、窓越しにずっと私を見る人がたくさんいた。



ゴミは地面を埋め尽くしていた。
日本で1ラン3ゴミ拾いなるものをほんの少しだけやっていたから無意識に目がいって、その途方もなさに言葉を失った。積み上がったゴミ、地面に流れ出たゴミ、カラフルなゴミ、土色のゴミ。



自分が考えていたことが、何だか浅はかに思えてしまった。

私ひとりでも環境問題にアクションを起こして発信すれば少しは何かが変わるのかな、私が友達のSNSに感化されたように、って。そんなのは全部先進国の人間のエゴで、そのエゴは犠牲によって成り立ってるって、東洋史を学んで嫌というほど痛感したんじゃなかったっけ。


ぼったくられかけてお兄さんたちの前で泣いたのが、もう何日も前のことみたい。たった1日でそれほど感情を揺さぶられたこの国に、私はどこまで踏み込めるんだろう。


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