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寝床屋のとある一日

 世界は次々と創造されている。誰も見たことのない「創造主」によって。
 あたしはそのことを知っている。
 知っているだけで、仲間以外の誰かを納得させられるような証拠の提出はできない。
 創造主を見たという話も、世界がうまれる瞬間に立ち会った話も、あたしは聞いたことがない。
 だけど、あたしは知っている。
 あたしが「界境の守護者」だから、だ。

 普通に暮らしている人が、ある日突然、自分が界境の守護者であると自覚する。
 あたしの場合は、朝、顔を洗っているときだった。珍しくスッキリした目覚めで、鼻歌まじりで機嫌よく洗面台に向かい、手に水をためて顔に浴びせた、その瞬間だった。
 あ、あたしは界境の守護者だ。
 ポンとそう感じた。
 そして、自覚すると強烈な睡魔に襲われる。
 スッキリ目覚めたはずなのに、とてつもなく眠くなった。
 睡魔に負けてその場に倒れそうになりながらも、「寝床屋へ行かねば」という強い思いで踏み止まる。
 寝床屋が何なのかもわからぬままに。

 初めて世界を越えたのは、寝床屋へ行くときだった。どうやって越えるのかという方法を考える余裕はなかった。
 ただただ、「行かなければ」という強い思いが界境を越えせたんだと、今のあたしは考える。
 越境の方法は、今もたいして変わらない。行きたい先を強く思う、ただそれだけだ。
 あたしは運よく寝床屋の真ん前にたどり着いた。中には、島の端っこに出てそこから歩いたり走ったりときには這ってくる仲間もいる。
 たどり着いた寝床屋で、管理人に支えられて寝床につき、そして、眠った。
 その眠りは長い。だいたい一年。長ければ三年くらい眠る者もいる。
 眠って、目が覚めると、「創造主が世界を次々と創造していること」「世界を越えた者を元の世界に戻すのが界境の守護者の役目であること」などなど、知識の刻みこみが完了している。
 一年かけて刻みこまれた知識を、仲間以外の誰かに説明するなんてことが、あたしにできる気がしない。
 知識を刻みこむ、と言ったけれど、元々自分の中にあった知識を使える状態にしている、のかもしれない。
 そう、界境の守護者でも、知らないことはたくさんある。
 創造主の姿を知らないように。

 でも、寝床屋がどんなところかは説明できる。
 大海の中、大きくはない無人島に、あたしが管理人をしている寝床屋はある。
 この世界の住人はこの島の存在を知らないことになっている。近くを過ぎる船の類を見たこともない。明らかな人工物がたまに流れ着くから、ヒトが存在しない世界ではない。
 この島を訪れる人は界境の守護者に限られている。
 長い眠りについている者のための場所ではあるけれど、常に誰かが眠っているわけではない。
 眠らない者も訪れる。差し入れを持ってきてくれたり、数日くつろいでいったり。
 あたしに会いに、なんて嬉しいコトを言うヤツもいる、たまに。
 今、寝床屋に滞在しているのは、守護者の役目を放棄して妹を連れて世界を渡っていたジンだ。
 複数の守護者をかわして逃げていたが、ミユとヒイロに説得されたらしく、妹と別れてここへ来た。
 自分が壊した寝床屋の壁を修理して、前よりも頑丈にしてくれた。だから、他の修繕も頼んだら、引き受けてくれた。
 あたしは大工仕事が苦手だから、ジンがやってくれるのはとてもありがたい。
「この扉を、ね、扉らしくしてほしいんだ」
 それは、廊下の突き当たりにある、取手がなく、壁と同じ色で塗られた扉。
「扉、なのか。気づかなかった。どこへ通じているんだ?」
「ヒイロ専用の寝床。あの子は『昼寝』をしにくるからね、専用の寝床を用意してあるんだ」
「……ヒイロの」
 言ったジンは苦い顔だ。
 妹と別れたジンをここへ連れてきたのがヒイロだった。ミユは妹を送ってから遅れてやって来た。
 ヒイロは、無言で力を誇示していた。ジンが逃げないように、大人しくしているように、と。
 妹と別れたばかりで傷心だっただろうに、絶対敵わない相手にプレッシャーをかけられ続けて、ジンは心穏やかとは程遠かったに違いない。
 ミユが合流したあとは、ヒイロは力の誇示は辞めたものの、不機嫌を隠さないいつものヒイロになっただけだった。
 ジンがヒイロへの印象を変える機会はなかった。
「間違えて誰かが入るより、立ち入り注意って書いちゃうほうがいい気がするんだ」
「立ち入り注意?」
「ヒイロは寝起きが悪いから」
あたしは冗談めかして笑ってみたけれど、ジンはやはり苦い顔をしている。
「……!」
 そして、ジンの顔に苦さが増した。
「噂をすればなんとやら、だね」
 あたしたちは同類が近くにいると察知してしまう。なかでもヒイロは特殊すぎるからヒイロだとわかってしまう。
「だいじょうぶ、仲間だ」
 緊張して固まったジンにそう言って、あたしは玄関に向かった。
「ごきげんよう」
 引き戸を開けて入ってきたのはミユ、と、誰かを肩にかついだヒイロ。
「適当に放り込んでいい?」
 あたしの返事を待たずに、ヒイロは入り口から二番目の部屋に入っていった。
「ケガしてるのか?」
「眠っているだけよ」
 あわてるあたしに、ミユが柔らかい笑みで言った。
「浜で倒れていたの。ここまでもたなかったのね」
「そうか、運んでくれてありがとう」
 廊下の奥からこちらを見ているジンは、あたしが見たことないほどの戸惑いを見せている。いや、おびえているようだ。
 ヒイロを苦手と感じるジンも、ジンに怖がられるヒイロも、どちらもかわいそうだなと思った。
「ヒイロは無駄に力持ちだから」
 言ってミユは微笑み、ジンに会釈した。とたん、ジンの緊張感がちょっぴりゆるんだように見えた。
 初対面だろうと相手に警戒されにくいのは、ミユが持って生まれた特殊能力だとあたしは思う。
「無駄じゃない。ミユのために強いの、俺は」
 部屋の中からぼそりと聞こえて、あたしたちはあわてて部屋に入った。
 五つあるどの寝室も万全に整えてある。あたしはヒイロが運んで寝かせたその人に清潔なリネンをかけてやった。
「幼いね」
 寝顔を見下ろして、あたしがそう言うと、
「こんなにデカいのに?」
 とヒイロが驚いて言った。ヒイロより背が高いようだが、ひどく華奢だった。デカいという言葉は似合わない。
「背だけ先に伸びたんだね。思春期前じゃないかな。声変わりしてなさそうだ」
「男?」
「担いだあんたがわからないなら、見ただけのあたしにわかるわけないだろ」
「担いだけどわかんなかった。まあ、どっちでもいいんだけど」
 外見では性別も年齢も判別できない。服装は、性別も年齢も関係なく着られるようなジーンズと黒い厚手のシャツ、靴は紺色のスニーカー。髪はショート、前髪は長めで目にかかるくらい。
「あ、呼吸してるのと心臓の鼓動は感じたから、たぶんヒト」
「たぶん、なんだね」
 そう言って笑ったミユに、ヒイロは肩をひょいとすくめた。
「心臓が鼓動する人形があってもおかしくないじゃん」
「そうだけども。ヒトではない守護者は知らないんだもの」
「あたしも知らないな。ヒトではない守護者もいるだろうけど、遠すぎて無縁なのね」
 世界は無限に存在する。ヒトがいない世界だってあって当然だし、そこで生まれた守護者がどのような姿をしているかは想像するしかない。
 ただ、そんな世界はここから遠すぎて出会う可能性はない。そっちにはそっちの寝床屋があるはずだから。
「さ、出ましょ。おいしい緑茶をもらったんだ。用意するよ」
 ぞろぞろと部屋を出て、扉を閉めるときにあたしはいつもの通りの言葉をかけた。
「今のうちにゆっくり寝なさい、安心しておやすみ」


「で、今回は何を持ってきてくれたんだ? まさかあの子だけじゃないよね?」
 笑いながら言ったら、ミユはほほ笑みながら答えた。
「コオロギパウダーよ。これを使ったお菓子やコーヒーがあるんですって。トワさんなら上手に使えるんじゃないかと思って」
「へぇ〜、わざわざ粉にしてるの?」
「昆虫は見た目からも無理な人が多いのよ。私も触りたくないし、食べるなんて無理」
「そんなもんか」
 寝床屋は基本的に自給自足だ。野菜は小さな畑で、魚は海でとれるけれども、肉や嗜好品の類は手に入らない。
 寝るためではない客が持ってきてくれる食糧やもろもろにずいぶんと助けられている。とくに、布の類はとってもありがたい。
 あたしが着る服、窓にかけるカーテン、床に敷くラグ、ベッドに使うリネン。それらを作ったり繕ったりするための糸。
 寝床屋の管理人になるまでは、裁縫も畑作業も釣りもしたことなかった。ここで暮らすようになって、あたしはたくましくなった。
 蓄えてある食糧がなくなれば、野草でも昆虫でも食べられるもの。
「それと、ヒイロの着古し」
「ヒイロの服は大きいけど好みだからよく着るんだ。ありがとう」
 着古しと言ってもボロではない。たまに、ミユがのけそこなって血の跡がついている服があるけど、着られないわけではない。
 ちなみにミユの着古しはあたしには小さい。あたしが着られない着古しをもらったら、いつかの誰かのために置いておいたり、ほどいて端切れにして使う。
「ジンには小さいよね」
 言って、ミユはほほ笑む。
 ミユのはす向かいで、ジンは大きな体をきゅうくつそうにして椅子に座り、湯呑みを両手で持ってお茶を飲んでいる。
 リビング側のソファを独占し、ヒイロは横になっている。目を閉じているから、寝ているのかもしれない。
 無防備に見えるヒイロでも、ジンは緊張を解かないでいる。あたしはため息を心の中だけでもらした。
「ヒイロの寝床に通じる扉を、ジンに新しくしてもらおうとしてたんだよ。せっかくだから、ヒイロとミユの好みに合わせたらどうだろう?」
 よけいなお世話かもしれないが、ヒイロを怖がる仲間が減ればいいなと思っている。実際、あたしはヒイロを怖いと感じていない。
「俺が通るときは眠すぎて意識朦朧としてるときか、寝起きでぼうっとしているときだから、ミユの好きにすればいいよ」
 目を閉じたままで、ヒイロが言ったから、あたしは驚いた。
「起きてたのか」
「うん。眠くないけど寝てた」
「どっちよ」
 そう言って、ミユは声をだして笑った。あたしもつられて笑って、見たらジンも笑っていた。ヒイロはニヤリと口もとをゆがめた。
 ジンのまわりに漂っていた緊張感がやわらいで、ミユがほっとしているようだ。
「ヒイロ、しっかり昼寝するなら、部屋に行きなさいな」
「ぼんやりしてるだけ。寝ない」
「そう。わかった」
 声は起きている調子だから、目を閉じているだけなのだろう。
「退屈してるの。気にしないで」
 ミユがそっと言った。
「平和ってことだね。いいことだ」
「そうね」
 愛おしそうにヒイロを見つめるミユ、マイペースにリラックスしているヒイロ、緊張が解けてきてくつろぎはじめたジン。
 なんて穏やかな雰囲気なんだろう。
 あたしの口もとがゆるんだことに、あたしはちゃんと気がついた。

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