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寝床屋のとある一日 2

 畑でキュウリを収穫していたあたしは、仲間の気配を感じて手を止め、顔を上げた。
「こぉんにちはぁぁぁ」
 独特の調子の挨拶は、リディだ。今日もパリッとした背広姿で紳士を装っている。
「おかえり、元気そうでなにより」
「あぁ、あいさつを間違えましたねぇ」
 リディは姿勢を正し、
「ただいまですぅ」
 と、本心を隠していると伝わるいつもの笑顔で言った。
「うん、ゆっくりしていくといい」
 あたしは素直な笑顔で言った、つもりだ。
 寝床屋に戻ると、あたしは台所に向かいながら後ろにいるはずのリディに言った。
「奥から二番目の部屋が空いているから、そこを使って」
「はぁいぃ」
 リディは返事しながら部屋に入ったみたいで、扉の動く音が聞こえた。
奥側の扉から台所に入ると、ジンがシンクの側に立って水を飲んでいた。
「今夜はキュウリたっぷりのサラダね」
「はい」
 ジンがこの寝床屋に滞在するようになって、ずいぶんと経つ気がする。壁や扉なんかをいろいろと修繕してもらったおかげで、もう手を入れたいところはない。
「トワさぁん、焼き菓子をぉ持ってきましたぁ……あ?」
 リビングルーム側から顔を出したリディは、ジンを見つけて変な声を出した。仲間がいることはわかっても、眠っているんだと思っていたんだろう。眠っている仲間もいるけれど。
 まばたきを数回してから、リディはいつもの笑顔でジンに歩み寄った。
「はじめましてぇ、リディと申しますぅ」
「ジン、です。はじめまして」
「壁とかぁキレイになってるのはぁ、ジンさん、ですねぇ?」
「そうなんだ、ジンがキレイにしてくれたんだよ」
 あたしが言うと、ジンはもごもごと、いやそんな、だかなんだか言った。
「紅茶を淹れていくから、先にくつろいでいてくれよ、ジンも」
「はぁいぃ」
 リディは焼き菓子をのせるのだろう、皿を何枚か持って戻った。ジンは水を飲んでいたコップをゆすいでシンクに置いてから、リビングルームに行った。
 紅茶の用意が整い、あたしもテーブルについて、ちょっとしたお茶会が始まった。
 紅茶をじっくり味わってから、リディがおもむろに話し始めた。
「突き当たりのぉ、ヒイロ専用部屋ぁ、ですかぁ?扉がぁ、もともとぉあったんですねぇ、わかりませんでしたぁ」
 ヒイロ専用部屋への扉もジンの作品だ。
 壁と同化させていた扉を、わかりやすく色を塗り取っ手をつけて、使用中か否かを示すプレートもつけてくれた。
「本人たちはまだ見ていないんだけどね、気に入ってくれると思う」
「だといいですが」
「ミユさんはぁお会いしたことぉありますがぁ、ヒイロさんにはぁ会ったことぉないんですよぉ」
「おや、そうだったんだ。あんたが一番頻繁にここへ来るのに」
「えぇ、トワさんにぃ会いたいですぅ」
「嬉しいねぇ」
 お世辞でも嬉しいもんだ。今のあたしはきっとにまにましている。
「私がぁ知っているぅミユさんはぁ、ヒイロさんをぉ探しているぅ最中でしたぁ」
「そうだったね」
「ため息をぉたぁくさんついておられましたぁ。ヒイロをぉ見つけてぇ、今はぁどうなんですかぁ?」
 ヒイロという特殊な守護者になる者を探し、出逢ったのちはヒイロに寄り添い支える。それが、ミユと呼ばれる者の使命。
「そうだねぇ。もともと面倒見のいい人だと感じていたけど、誰にでも平等にやさしく接するステキな人になったよ」
「それはぁ、ぜひともぉ、お会いしたいですねぇ」
「ヒイロが『昼寝』するときなら、ミユも長期滞在になるから会えるかもね」
 リディはこくこくとうなずいた。ミユに会うためだけにやって来そうな雰囲気だが、さて。
「今のぉヒイロさんはぁどんなぁ方ですかぁ?」
 今のヒイロ。
 あたしはジンをちらりと見た。
「自分に正直な青年です。その特殊な役回りにも関わらず……まっすぐ生きている、ように見えました」
 とつとつとジンが答えた。ヒイロへの印象は初対面のときとはずいぶんと変わったようだ。
「世界を消す者」
 うつむき、ぼそりと低い声でそう言ったリディだったが、直後にはいつもの微笑をあたしに向けてきた。
「とてつもなく、強力なエネルギーを蓄えていました」
 リディの言葉を受けて、ジンはぼそりと付け加える。ヒイロと初対面したときのことを思い出したんだろう、ジンの表情がくすんだ。
「ほほぅ、ぜひぃ会ってみたいですねぇ」
 リディなら物おじせずヒイロと対峙するだろうと、あたしは思った。
 ヒイロには「世界を消す」という役割が与えられている。目的を達成するために必要な「力」も与えられている。
 同じ「界境の守護者」でも、特殊な力を持つヒイロに恐怖心や敵対心をもっている者は少なからず存在する。その事実が、あたしは悲しく寂しい。
「トワさんは、前のヒイロには会ったことがあるんですか?」
「うん、あるよ」
「今の、俺が知っているヒイロと違いますか?」
 ヒイロと名乗る者、ヒイロと呼ばれる者。遠い世界には今も別のヒイロとミユがいるだろう、別の呼び名かもしれないが。
「私もぉ知りたいですぅ」
「でもねぇ、あたしが会ったときには前のヒイロは十分に大人だったし、今のヒイロは眠っているときから知っているからねぇ、違うかと聞かれても困るよ」
 あたしは肩をすくめた。
「見た目も同じなんですか?」
「ああ、それは違う。前のヒイロは、体格はがっしりして、小麦色のなめらかな肌の持ち主で、深い青色の瞳だった」
 今でもはっきり思い出せる。彼は微笑んでいた。見上げるあたしの頭に手を乗せて、強いまなざしで微笑んでいた。
「前のミユは髪や瞳の色素の薄い人で、無表情で、いつも控えめにヒイロに付き添っていたよ」
 彼女の笑顔を一度だけ見たことがある。前のヒイロと二人で会話している姿をたまたま見てしまったとき、笑わない彼女が前のヒイロだけに向けて笑顔になっていた。
 今思うと、二人の微笑は似ていた。
「今の二人とはずいぶんと違いますね」
 今のヒイロもミユも生まれは、世界は異なっているけれど同じ国だそうだ。同じ民族だから、髪の色や肌の色はよく似ている。
 こんな近い世界にいたなんて驚いた、そんなことをミユが言っていたのを覚えている。
「そうだね。ヒイロはひょろっとしているし、ミユはよく笑うし」
 姿形は違っても与えられた称号ゆえか、今のヒイロが前のヒイロに似ているように感じることがある。
 ヒイロと呼ばれる青年に、ヒイロと呼ばれていた大人の面影を、あたしは探しているのだろうか。
「前のぉお二方のぉお話はぁ、今のぉお二方にもぉされたことぉ、ありますかぁ?」
「ないよ」
 訊かれたら話す。訊かれないから話さない。それだけだ。
「ヒイロは前の方のことなんて気にしない、そんな気がします。というか、ミユ以外の誰のことも気にしていない、ような」
 ジンがぼそりと言ったのを聴いたリディが、くすくすと声をあげ肩を震わせて笑いだした。
 笑われたジンは首を傾げた。
「一刀両断、ですねぇ。ジンさぁん、仲良くぅしてくださぁい」
「はあ……」
 リディは、困惑顔のジンの手を取り、ぶんぶんと激しい握手をした。
 あたしは驚きを隠せずに、リディとジンを交互に見た。
 素直に笑ったリディを。
 本音を遠慮せず語ったジンを。
 どちらも意外だった。

 リディとジンのなごやかな気配を感じながら、あたしは台所で夕食の準備だ。
 キュウリたっぷりのサラダ、海で釣った魚を焼いたもの、野菜たっぷりのスープ、シンプルな丸いパン。
 夕食を食べている間も、食べ終わって片付けをしてからも、会話は続く。
リディが話題を提供し、ジンはあいづちを打ったり質問や感想をはさんだり。あたしは聞き役に徹して楽しんでいる。
 寝床屋で、どこかの世界で、出会った仲間たちのこと。
 自らの意思とは関係なく世界の境を越えてしまった『越境者』たちのこと。
 守護者であることをやめた『反逆者』と遭遇したときのこと。
 そして、リディが自分で以前に持ち込んだ酒を飲み始めた夜更け。
 ジンが、自分が守護者の役割を放棄していたことを打ち明けた。詳しい事情を聴くのはあたしも初めてだ。
 妹をつれて世界を渡って逃げていたこと。妹を連れ戻そうとする守護者と戦って、怪我を負わせたこともあること。ヒイロとミユに見つかり、妹の本当の気持ちを知ったこと。
「そういうぅ事情がぁあったんですねぇ。反逆者なぁジンさんをぉ見つけてもぉ、私はぁきっとぉ、何もぉしなかったでしょうねぇ」
 リディの感想は少しずれているような気がする。あたしは思わず笑って言った。
「リディは、そうするだろうね」
「ええとぉ、褒められてますぅ?」
「褒めてるよ」
 反逆者と遭遇しても逃げると、リディは常々言っているし、実際そうしているらしい。
 言動が一致しているのだから立派だと、あたしは思う。
「トワさん」
 姿勢を正したジンに呼ばれ、あたしも姿勢を正した。
「はい」
「俺、行きます。明日の朝に出ます」
 ついに、その時が来た。
「そうか。色々とありがとうね。助かったよ」
「こちらこそ、長居させていただき、ありがとうございました。妹が誇れる兄に、人物になれるようになりたいと決意できたのは、トワさんのおかげです」
 ジンはテーブルにつきそうなくらい深く頭を下げた。
 たいしたことはできていないと、自分では思うのだけれど。あたしは感謝を込めてこう言った。
「どういたしまして」

 翌朝、部屋の片付けをすませたジンを、リディと並んで見送る。
「いってらっしゃい」
 ジンが緊張して昂揚していることが、こわばった頬と煌めく瞳から感じられる。
「トワさん、いってきます」
 初対面のときとはまったく違う力強い声に、あたしはしっかりとうなずいた。
「またねぇ、いってらっしゃぁい」
 のんきに聞こえるリディの声に、ジンの口もとがゆるんだ。
「じゃ」
 回れ右したジンの姿は、直後に像を歪め、消えた。どんな世界へ行ったとしても、ジンは不器用ながらも器用にやっていけるだろう。
「それではぁ、私もぉ行きますねぇ」
 リディはひょいと踏み出し、いつもの笑顔で振り向いた。
「うん、いってらっしゃい」
「またぁ来ますねぇ」
「楽しみにしてるよ」
 あたしが言い終えるとすぐに、リディの姿は消えてしまった。
 さて。
 眠っている仲間がいつ起きてもいいように、眠りにつく仲間がいつ来てもいいように、今日も寝床屋の管理人を楽しもう。
 あたしはうんと伸びをして、深呼吸をした。

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