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神になりたくない〈後編〉

小説「界境の守護者シリーズ」5作目
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「そう、俺はヒイロ」
 ならば、さっきの女の声はミユ。ヒイロを見い出し、ヒイロと共にあり続ける存在。
「もう逃がさないよ」
 今までのヤツらとは強さの桁が違いすぎる。闘ったところで勝てない。
 エナを連れて逃げたくても、エナに近づくことができない。
 目の前のヒイロは、薄っぺらい体つきで、背もとびきり高いわけではない。そうと知らなければ、戦っても勝てそうだと見た目に惑わされるに違いない。
「一人では、逃げない」
 戦えば殺される。殺されなくても再起不能になるだろう。戦う姿勢を見せた直後に、完膚なきまでに叩きのめされるに違いない。
 どうすれば、エナをつれて行ける?
「だから、逃がさないって言ってる」
 ここでヒイロと向き合っている間に、ミユがエナを連れて行くかもしれない。
「お名前は?」
「……エナ。兄さんをどうするの?」
 奥から、ミユとエナの声が聴こえた。
「本来の仕事に戻ってもらいたい。そのためにお話をしなきゃね」
ミユの声は優しそうだった。エナを安心させようとしているのか。
「ひどいこと、しないで」
「お兄さん次第よ。それより、エナさんは自分がどうなるかは訊かないのね」
 ハッとした。エナは俺のことを案じてくれているのだ。突如現れた正体不明の女を目の前にして怖くてたまらないだろうに。
「私は……兄さんが無事ならいいんです。私が戻ればいいんですよね、そのために来たんでしょう?」
「エナ!」
 俺は思わず叫んだ。ヒイロがじっと俺を見上げていて、動くことはできないけれど。
「ヒイロ、連れてきてあげて」
 ミユの声に、ヒイロは動いた。俺に背を向け、中へと進む。
 俺はヒイロの後をついて行く。
 奥の壁際にエナ、そのすぐ横にミユが立っているのが見えた。俺は部屋の入り口に立ちつくし、ヒイロが俺をすぐそばで見張っている。
「エナさんをこのまま元の世界に連れ戻しても、あなたは守護者には戻らないだろうし、エナさんをまた連れ出そうとするのは目に見えている。だから、無理矢理なことはしたくない」
 ミユはエナと変わらないくらい小柄で、非力そうだ。ミユを人質にとれば、エナを連れて逃げられるかもしれない。
「だから、私はエナさんの気持ちを知りたい」
「私……?」
「そう、エナさんの気持ちを聴かせて」
 エナを向いたミユは笑みを浮かべている。エナを安心させて油断させる気だ。
 ミユを人質にとるなら、今。そう感じたが、ヒイロからの圧力が俺の体を動かさない。焦れる。
「私、は……」
 エナと目が合った。エナの瞳は揺れて、そして、俺を射抜いた。
 その瞳は、その表情は、俺が知っているエナではなかった。
「いろいろな世界で、たくさんの人たちと知り合いました。豊かな人、さみしい人、優しい人……いろんな人がいました」
 ゆっくりと、エナは言葉をつむぐ。
「私は、神は、つらいことばかりを押しつけてくる、ひどい存在だと思っていました」
 やはり、エナも神が憎いのだ。
「でも、神に頼らない人々がいました。自分だけではなくまわりの人を幸せにするために、考えながら行動しながら生きている人がいました」
 エナ?
「私は、よりたくさんの人のために考えて行動できる神になります」
「エナ!」
 叫んでいた。けれど、続く言葉は見つからなかった。
 エナが神になる?
 神は父を殺した。たくさんの人を不幸にした。
 俺が憎む神に、エナがなる?
「兄さん、私は兄さんが誇れる神になります」
 体から力が抜けて、俺はへなへなと床に座りこんだ。
「エナさん、本当の気持ちを聴かせてくれて、ありがとう」
 そう、ミユが言った。
「ダメだ。エナは、俺が、守らないと……」
 知らず口にしていた、弱く小さな声で。
「そばにいて面倒をみることが、守ることとは限らない」
 ヒイロの声が降ってきて、俺は顔を上げた。エナが俺を見ている。
「おまえは、自分のことしか考えていなかったんじゃないか? エナさんが何を望んでいるのかを考えずに、自分の考えを押しつけていたんじゃないか?」
 違うと否定することができなかった。
 エナが逃げたいと言ったことは、一度もなかった。俺と一緒に行きたいと言ったことは、一度もなかった。
 神になりたくないと言ったことも、ない。
「兄さんは私のことを考えてくれた!」
 そう言ったエナは、俺がよく知るエナだった。ちっちゃくて弱くて優しいエナ。
「そうね。エナさんの望むことと、お兄さんの望むことが、ずれてしまっただけね」
 そうか、そうだったのか。エナのそばにいたい、エナに変わらないでいてほしい、それは俺だけの望みだったのか。
 エナは俺がそばにいなくても大丈夫になっているのに、俺はそのことに気づかないようにしていた。
 俺がエナのそばにいたいから。
「ごめんな……」
 言ったら、涙もあふれてきた。
「兄さん、ごめんね……ありがとう」
 エナはうるんだ瞳で笑みを浮かべている。大人になったエナの笑顔はとてつもなく美しい。
「エナさんを連れて行きます。あなたはどうしますか?」
 ミユに問われて、涙をぬぐった俺はヒイロを見上げた。ヒイロはやはり不機嫌そうに見える。
「俺は守護者としてやり直せる、のか?」
 そうヒイロに尋ねたら、
「あんたしだい」
 ぼそっと言われた。
「俺しだい、か」
「とりあえず、寝床屋の修理してきたら?あんたが壊した壁、そのままになってる」
「そうか、そうするか……」
 よろよろと立ち上がり、エナを向いた。
「兄さん、ありがとうございました。エナは、兄さんが誇れる神になります」
 エナはそう言い、深々と頭を下げた。顔を上げたエナに、俺が深々と頭を下げた。
「エナ、幸せになれ。俺が安心できるように、幸せになってくれ」
 そう言って、顔を上げた。
「うん!」
 エナは満面の笑みを浮かべて力強くうなずいた。
 もう大丈夫だと、エナはもう大丈夫だと、その笑顔に納得し、さみしくなった。
「ヒイロ、彼はまかせる」
「わかった。じゃ、寝床屋で」
「エナさん、行きましょう」
「はい」
 ミユが差し出した手をエナが握った瞬間、二人は消えた。
「行くぞ」
「ああ、行こう」
 エナが着るはずだった艶やかな服たちを眺め、俺はうなずいた。
 俺とエナの逃避行は終わった。そして、今がそれぞれの新たな出発だ。
「はぐれないように」
 そう言ったヒイロが俺の肩に手を置いた直後、見える景色が歪んだ。

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