神になりたくない〈前編〉
小説「界境の守護者シリーズ」5作目
今日から暮らす世界は、高くて四角い建物がたくさん並んでいて、馬が引かない乗り物がたくさん行き交い、人はせかせかと歩いている。草木は少なくて、空の色はなんだかくすんでいる。
とても高い建物の真ん中くらいに私たちの新しいお家がある。エレベーターという箱はあっという間に高い所へ連れていってくれる。
「エナ、気に入ったかい?」
窓から外を眺めていた私は笑顔で振り返った。
「キレイなお家ね!」
私が言うと兄さんは照れ笑いを浮かべて、私の頭をぽんぽんと優しくなでた。
「もう! 子どもじゃないよ!」
子ども扱いしないでって何回言っても兄さんは、
「エナはまだまだ子どもだよ」
と言う。
私が大人になるということは神になるということだから、私はまだ子どもなんだ。それでいいんだ、兄さんがそう望むのだから。
私が生まれた世界では、神は人の子として生まれて、大人になったら迎えが来て神の国へ行く。
神になる子には特徴がある。おへその下にアザが浮かんでくる。他人に見せにくい場所だから、自分や家族以外がそのアザに気づくことはあまりない。
それに、神になる印のアザが浮かんだことを家族以外に言ったら家族だけではなく村そのものが滅びた、という言い伝えがあるから、誰にも言わない。
だから私にアザがあることを知るのは私の家族だけ。今は兄だけ。
私が知っている神は、人を罰するために嵐を起こす。
それでも人は、雨が続けば雨をやませてくださいと神に祈り、雨が降らなさすぎると神に雨を乞う。そんな祈りは、神に届いているのだろうか。
神になるということは、人の声を聴かなくなることだろうか。
川で漁師をしていたお父さんが大雨の洪水で流されていなくなってから、兄さんは山で狩りをしてお母さんと私を養ってくれていた。
なのに、兄さんは突然いなくなった。
山で遭難したのだろうと村のみなが探してくれたけれど見つからなくて、踏み入れられない奥まで行って帰れないのだと思うことにした。
お母さんと私で、山菜や作った小物を売ったりしてどうにか暮らしていた。そんな生活が一年になろうという頃、お母さんは熱を出して倒れ、呆気なく逝ってしまった。
私は一人になった。
近所の人に住み込みの仕事を紹介してもらい、働きだした数日後の夜だった。私は雇い主に襲われそうになった。私を寝床に押し倒した雇い主は、突如、壁に飛んでいった。
「エナ、逃げるぞ!」
驚きで固まっていた私を起こしあげたのは、兄さんだった。壁際で気絶している雇い主を見、私は兄さんに抱きついて兄さんの胸に顔をうずめた。
「エナ、もう大丈夫だよ」
兄さんの優しい声に目を開けて、兄さんの顔を見た。兄さんの背後に月が見えた。
「ここ、どこ?」
部屋の中ではなかった。兄さんから腕をほどき、周りを見た。向こう岸の見えない川岸に、私たちは立っていた。
「安全な世界。エナが神にならなくてもいい世界だよ」
私たちの旅が始まった。
向こう岸の見えない川は、海というのだと兄さんが教えてくれた。
海の近くに空き家を見つけて、修理しながらそこで暮らすことになった。
「兄さんはどこにいたの? どうして帰ってこなかったの?」
私の質問に、兄さんは困った顔をした。
「長い時間を眠っていたんだ。やっと目が覚めたからエナを迎えにきたんだ」
「お母さん、死んじゃった、よ」
言った私は泣いた。兄さんが生きていた喜びと、お母さんの死を思い出して、ぐちゃぐちゃに泣いた。
兄さんは優しく抱きしめてくれて、私は泣きながら眠ってしまった。
新しい住処の近所に暮らす人はなく、必要なものは兄さんがどこからか調達してくる。私は家にいて兄さん以外の人とは会わない暮らしが始まった。
私を元いた場所へ連れ戻しにくる輩がいるから、見つかってはいけないから、家から離れてはいけないと兄さんに言われた。だから私はその通りにしていた。
そんな暮らしが一か月ほど続いたある朝、洗濯物を干していたら、こちらに近づいてくる人の姿を見つけた。ずんずん近づいてくるから怖くなった私は立ち尽くした。
「エナ!」
家から飛び出してきた兄さんに腕をつかまれた。途端に景色が歪み、歪みがおさまると知らない場所にいた。
そこは、遠くにお城みたいな大きな建物が見える、林の端っこだった。
そういえば景色が歪む直前に、待て、と知らない声で聞こえた気がした。きっと、私を連れ戻しに来たんだ。
神になれ、と。
遠くに見えた大きな建物には、神さまの言葉を聴いてみんなに伝える、神子(みこ)と呼ばれる人が暮らしていた。
私たちは大きな建物の麓にある村に迎えてもらえた。それは、林の端っこにいた私たちを、神子が見つけて村に連れてきたからだ。
親切にしてあげてください。と村人たちに言いおいて、神子は神殿と呼ばれている大きな建物に帰っていった。
村人たちは私たちに、住む場所と当面の食べ物と仕事を与えてくれた。兄さんは家畜の世話をして、私は神殿に通い神子の身のまわりの世話をした。
「神さまとどんな話をしているのですか?」
神子と二人きりになったとき、思いきって尋ねた。
神子は毎日、大人たちの会議に出ているのに、大人たちは神子から神さまの言葉をきいていないように見えた。
「何も」
神子は困った顔でそう言った。
「僕は一度も、神さまの言葉を聴いたことはないんだ」
神子が伝える言葉は、大人たちが会議で決めた言葉なのだと。神子は言う。
「初めの神子だけだよ、神さまの言葉を聴いたのは」
もう何十年も昔にいた神子だけだと、神子は言う。
「じゃあ、神さまは何をしているの?」
「次の本物の神子を待っているんじゃないかな」
自分は偽物なのだと、悲しそうに笑った。
偽物だから、みながより良く幸せになれる方法をいつも考えているのだと。大人たちに負けないように、学んで考えて行動しているのだと。
神子こそが神さまなのではないかと、私は思った。
その日の帰り道、脇道から突然現れた人に行く手をふさがれた。すると逆から兄さんが現れてその人を殴り飛ばし、私を抱き寄せた。
そうして、私たちはまた違う世界へ逃げた。
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